熊本からこんにちは。
梅川初美です。
わたしの父は、数年前のお正月に他界しました。
その日は、毎年恒例のお正月を両親のいる実家で過ごすために、娘たちと一緒に準備をしていた時のこと。突然、携帯が鳴りました。
わたしの弟からの電話で、「姉ちゃん、、父ちゃんが倒れて、、救急車で運ばれて、、、多分、、助からない、、、。。。」
「え???」
わたしは、一瞬、なんのことか理解できずに聞き返した。
「助からないって、、、お父さん、、、なんで???」
弟からは、父はインフルエンザで寝込んでいたこと。あまりにも様子がおかしいので救急車を呼んだが、搬送中にも一度、心肺停止したことを聞いた。
それから、片道二時間かかる道のりを、娘と車で移動、、「どうか、神さま、父に、最後に、逢わせてください。。」
そう祈りながら。
病院に着くと、酸素マスクに、身体に管を付けられた父の姿。
看護師さんからは「血圧もどんどん下がっています。時間の問題です。」
と告げられた。
見ると父は、懸命に呼吸をしていた。まるで、私たちが来るまでは!!と本当に、最後の力を振り絞る様に呼吸をしていた。
父は中卒で、自営業で私たち姉弟4人を育ててくれた。家はいつも生活に困っていて、父と母は喧嘩も多く、母が何度か泣いているところも見たことがある。
幼かった私は、父の苦労など、ちっともわからずに、わがままだった。母を泣かせる父が大嫌いで、ずっと反抗していた。
反抗心から、親が気に入らないことばかりしていたように思う。
やがて、私も結婚し、そして、離婚。私自身も、子供を4人抱えての生活は、本当に食費や学費にも困るほどだった。
そんなことを経験し、父と母も、喧嘩をしながらもお互いが支えあっていることなんかもみえてきて、、感謝の気持ちはあるものの、気恥ずかしさもあって、直接、何も言えていなかった。。
そして、突然突き付けられた父の死。
わたしは、意識もないと言われている父に向って、それまでの自分の気持ちを伝え始めた。
小さい頃の運動会で、抜群の足の速さの父は地元のヒーローで、とってもカッコよかったこと。
田舎の小学校のわずか一周100メートルしかない運動場を、父は「15メートル以内の差なら絶対に抜く!!」と言い放ち、実際に自分よりも若いリレーメンバーをぶち抜いて、運動会は歓声の渦だったし、一番の盛り上げ役だった。
離婚したときに支えてもらってありがたかったこと。父と母のおかげで、離婚後の子供たちが愛情豊かに育ったこと。沢山の感謝や、沢山の思い出を話し続けた。
すると、意識がないと言われている父の目から一筋の涙がこぼれて、、表情も、とても穏やかになって。。。
その瞬間、父に聞こえたんだと、、とっても嬉しくて、私も涙が止まりませんでした。
そこに、看護師さんがはいってこられて「今日は大丈夫みたいですね、泊まられますか?」
と聞かれたので、わたしは、娘と泊まるために、飲み物を買いたいからと、すぐに戻るからと病室を出ました。
そして、ほんの5分後、病室に戻ると、私の娘が、父の手を握り締めて泣きじゃくっていました。
私が、病室をでて、すぐに、呼吸が止まったとのことでした。
私は、泣いている娘に「じいちゃんを見送ってくれてありがとうね、、きっと、じいちゃんも喜んでるよ。」
と伝えました。
気丈な父は、私に最後の瞬間を見せたくなかったんだと思います。
他界したすぐの父の顔は、本当に安心したような、穏やかでとても誇らしげな顔をしていて、、私は、最後の最後でほんの少しだけ親孝行ができた気がしました。
父の死後は、以前よりも父の存在が近くに感じられますし、今はこの世にはいないけど、他界した今でも、親孝行は出来るんだと、椎原勇さんの「神さまの道しるべ」を読み、そう感じました。
でも、親にとっての本当の親孝行はわたしが私らしく生きることだと思います。
あの世で父が喜んでくれるように、この世を精一杯、生きていこうと思います。
いつか、わたしが、あの世にかえるときに、父や神さまが、よくやったと笑ってくれるように。
今日は長くなりましたが、突然、父のことを思い出し、書いてみました。
読んでいただきありがとうございます。
