(親子関係のトラウマ③私の場合(二)からのつづきです。)
その日の礼拝では、聖書の逸話につづき、ヘレンケラーの師、サリバン先生について話が進められました。
10代の頃から「教育」と「子育て」をライフワークにしていた私は、このサリバン先生の話を聞いてますます、押し殺した声が溢れ出してしまいそうに、涙が止まらなくなりました。
ご存知のとおり、見ることも、聞くことも、しゃべることも出来なくなった、ヘレンケラー。
彼女の師、サリバン先生も、幼い頃トラコーマを煩って盲目となり、9歳で母親を亡くし、救貧院に移り住んだ先で弟を結核で亡くし、その悲しみから鬱になります。
一切の食事を拒んで、恐らく死のうとしていたのでしょう。
その時、看護師から毎日キリスト教の教えを説かれ、心を開き始めます。
その後、手術で多少の視力も回復し、盲学校では卒業生の総代を務めました。
自身も数々の困難を克服しつつ、在学中には、視力と聴覚を克服した人物にも出逢って、親しくなります。
その後…
誰の手にも負えなかった、野獣のようなヘレンケラーを目の前にして、しかし、サリバン先生は自らの経験と出逢いから、
「必ず改善する!」と…
信念が、揺らぐことはなかったのでしょう。
その後のヘレンケラーの奇跡は、誰もが知るとおり。
人は必ず、人によって癒されるのです。
ザアカイの姿に自分を重ね、サリバン先生の生き方に自分の進む道が心に刻まれ、その日流した大量の涙で、私の心と身体はすっかり入れ替わったかのようでした。
入れ替わりはしたけれど、それまでの苦い経験こそ私にとっては財産なのだと、そう深く思いました。
どんなにみすぼらしくても、自分の姿を直視することは、ほんとうの力になります。
そして「改善しよう」と決めて自ら扉を開けば、新しい扉はどんな時でも、人生に開かれているのです。
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本日8時配信のメルマガで、8月の東京での対面カウンセリングの受付を開始します。
その日の礼拝では、聖書の逸話につづき、ヘレンケラーの師、サリバン先生について話が進められました。
10代の頃から「教育」と「子育て」をライフワークにしていた私は、このサリバン先生の話を聞いてますます、押し殺した声が溢れ出してしまいそうに、涙が止まらなくなりました。
ご存知のとおり、見ることも、聞くことも、しゃべることも出来なくなった、ヘレンケラー。
彼女の師、サリバン先生も、幼い頃トラコーマを煩って盲目となり、9歳で母親を亡くし、救貧院に移り住んだ先で弟を結核で亡くし、その悲しみから鬱になります。
一切の食事を拒んで、恐らく死のうとしていたのでしょう。
その時、看護師から毎日キリスト教の教えを説かれ、心を開き始めます。
その後、手術で多少の視力も回復し、盲学校では卒業生の総代を務めました。
自身も数々の困難を克服しつつ、在学中には、視力と聴覚を克服した人物にも出逢って、親しくなります。
その後…
誰の手にも負えなかった、野獣のようなヘレンケラーを目の前にして、しかし、サリバン先生は自らの経験と出逢いから、
「必ず改善する!」と…
信念が、揺らぐことはなかったのでしょう。
その後のヘレンケラーの奇跡は、誰もが知るとおり。
人は必ず、人によって癒されるのです。
ザアカイの姿に自分を重ね、サリバン先生の生き方に自分の進む道が心に刻まれ、その日流した大量の涙で、私の心と身体はすっかり入れ替わったかのようでした。
入れ替わりはしたけれど、それまでの苦い経験こそ私にとっては財産なのだと、そう深く思いました。
どんなにみすぼらしくても、自分の姿を直視することは、ほんとうの力になります。
そして「改善しよう」と決めて自ら扉を開けば、新しい扉はどんな時でも、人生に開かれているのです。
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あなたにしか出来ない子育てのために