犯罪が凶悪であるほどに、私たちは思います。

「一体、どんな育ち方をしたのだろう…?」

そして私たちは、育てた親に同情したり、その親を非難したりします。


犯罪を生む原因はさまざまですが、多くは「生きづらさ」によるものと言われます。

それでは子供たちが「生きづらさ」を感じないですむために、そして「生きづらさ」が鬱屈し、爆発しないために大切なことは何でしょう?


笑ったり、泣いたり、怒ったり…

このあたり前の感情をあたり前に表現出来ること。



「生きづらさ」の原因となる家庭環境については、私さえ我慢すれば?でお伝えしたとおりです。

それよりももっと、目を覆いたくなるような環境も存在します。

でも、そういった環境で育つと人は誰でも罪を犯す、というわけではありません。

「何が原因か?」

…と、それを分類してその家族を非難することに、意味があるでしょうか?

「自分はこんな育ちをしたから仕方がないのだ」と、当の子供を絶望させたり暴走させたりすることに、意味があるでしょうか?

大切なのは、子供のあたり前の感情を受け止めてくれる人が、家庭や、学校や、地域、社会のどこかにいる、ということです。

「わが子」を越えて、地域の、目の前の子供たち、さまざまな状況の家庭を受け止めること。

そのことが、誰かの寂しさや悲しみや怒りを、増幅させ爆発させずにすむ、ひとりひとりの大切な歩みではないでしょうか?


ここで、この曲を聴いてみてください。

カッチーニが作曲したと言われている(実際は、ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフの作曲)「アヴェ マリア」です。




「アヴェ」はラテン語で、「幸せであれ」という意味です。

この歌は、歌います。


「幸せであれ、聖母マリア…

罪深いわたしたちのために、今も、死を迎えるときも、祈ってください。」


今日は、原曲の歌ではなくピアノのメロディに乗せ、ひとりの少年の詩とともに。

重い罪を犯した少年が刑務所の中で、固い固い殻をやっとの思いで脱いで、そうして綴った詩をご紹介します。



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クリスマス・プレゼント



五十二人の仲間のクリスマス

ごちそうを食べて ケーキも食べて

ゲームをやって  思いっきり笑って

プレゼントだって もらえるんだ

寝ているあいだに だれかが

こっそり枕元に置いていってくれるんだよ

それが サンタさんなのか 学園の先生なのか

ぼくは よく知らないけれどね



でも ほんとうにほしいものは

ごめんね これじゃない ちがうんだ



サンタさん お願い

ふとっちょで怒りん坊の

へんちくりんなママでいいから

ぼくにちょうだい

世界のどっかに きっとそんなママが

余っているでしょう

そのママを ぼくにちょうだい

そしたら ぼく うんと大事にするよ



ママがいたら きっと

笑ったあとに さみしくならないですむと思うんだ



ぼくのほんとうのママも

きっと どこかで さびしがってるんだろうな

「しゃかい」ってやつに いじめられて たいへんで

ぼくに会いにくることも できないでいるんだろうな



サンタさん

ぼくは 余った子どもなんだ

どこかに さみしいママがいたら

ぼくがプレゼントになるから 連れていってよ



これからはケンカもしない ウソもつかない

いい子にするからさぁ!





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