「あたり前のことを、あたり前にする」

このことを掲げた新所沢幼稚園では、◯◯式、◯◯法、といった国内外の教育法とは無縁に、独自の幼児教育を実施しています。

「あたり前」というのは、たとえば、誰かが話し始めたら、自分の動きを止めてそちらを見る。

先生が絵本を持ったら、みんな静かに集まって輪になってすわる…

そういうことでした。

そして親に求められたことは…

子供のために3度の食事を作る。
(幼稚園では給食でなく、お弁当持参でした。)

服を汚さないように気づかうのではなく、子供が泥だらけになって帰って来たら、「元気に遊んだのね」と、ただ洗えばいい。

おねしょをしたら、叱って子供を萎縮させるのではなく、さっと下着を取り替えてサッパリさせる。

「ねぇねぇ、お母さん…」と子供が話しかけてきたら、家事や仕事の手を止めて、子供の話をしっかりと聴く…


あたり前のことを、あたり前にするのは、簡単なようでいて、実はなかなか難しいことでもあります。


たとえば、子供の話を聴くことにしても、家事や仕事のさなか、そして疲れてもいる時に、毎回きちんと子供の顔を見て聴くなんてこと…

私にとっては難しく、ついつい「後で!」と言ってみたり、空返事してしまうことも多々ありました。

だけど、


小さな積み重ねを大切に重ねていくことと、その積み重ねに自分は関わらず、他人や「早期教育」を謳う教材に任せてしまうこと。

子供の内面を活性化させ、豊かにしていくのは、どちらでしょう?



「あたり前のことを、あたり前にする」


子供が通った幼稚園では、何かを教える時に特別な講師がいて…

ということはありませんでした。


ただ、教師はどんな時でも子供に集中する。

絵本を子供に読むとしたら、1冊の本を選ぶために100冊の本を読み込む。

それくらい真剣に子供に向き合っていました。

だから子供はみんな、自分の目の前にあることに集中し、夢中になるのです。

素朴な詩やわらべうたを、すっかり暗唱して生き生きと声を出す。

歌を歌えば、小学校の音楽コンクールも顔負けじゃないかという豊かな表現力。

運動会の真剣な走りっぷり、踊りの楽しさといったらなくて。。


…これらのことが、専門家による特別な指導ではない、というのが驚異でした。

何度も言うように、大人が子供にひとつひとつ向き合っていることの結果なのです。

それがどのようなものか、ブログでお伝えしやすい「絵」をここに紹介いたしましょう。


$高校・大学講師 岩崎佳子のブログ


次回に続きます。