上の娘が生まれたその日から、ひとつだけ欠かさず続けてることがあります。
夜寝る前の、「一日ありがとう。良い夢見てね。」という声かけ。。
これは誰から言われたものでもなく、言わずにおれない、自分の言葉。
生まれてきてくれて。
そばにいてくれて。
今日も元気に家に帰ってきてくれて。
子供にもありがとうだし、今日一日子供を守ってくれた、見えないみんなへの、ありがとう。
毎日のことなので、菩薩様やマリア様みたいに、いつも慈愛に満ちて…
というわけにはゆきません。
さっきまで子供を叱ってた怒りにまかせて、投げやりになってしまうことだって
でも泣いたり笑ったり、怒ったり。
そんな一日のすべてに、やっぱり「ありがとう」なんです。
さて、下の息子が小学6年生になった頃…
私の「ありがとう」に応えることも少なくなり、照れくさいのか、もうばかばかしいのか、
「おかん、それいつまで言うつもり?」
と聞かれたことがありました。
私はすまして、
「おかんが死ぬまでよ。」と。
以来息子は、それまでに増して言うようになりました。
「一日ありがとう。良い夢見てね。」
夜寝る前の、「一日ありがとう。良い夢見てね。」という声かけ。。
これは誰から言われたものでもなく、言わずにおれない、自分の言葉。
生まれてきてくれて。
そばにいてくれて。
今日も元気に家に帰ってきてくれて。
子供にもありがとうだし、今日一日子供を守ってくれた、見えないみんなへの、ありがとう。
毎日のことなので、菩薩様やマリア様みたいに、いつも慈愛に満ちて…
というわけにはゆきません。
さっきまで子供を叱ってた怒りにまかせて、投げやりになってしまうことだって

でも泣いたり笑ったり、怒ったり。
そんな一日のすべてに、やっぱり「ありがとう」なんです。
さて、下の息子が小学6年生になった頃…
私の「ありがとう」に応えることも少なくなり、照れくさいのか、もうばかばかしいのか、
「おかん、それいつまで言うつもり?」
と聞かれたことがありました。
私はすまして、
「おかんが死ぬまでよ。」と。
以来息子は、それまでに増して言うようになりました。
「一日ありがとう。良い夢見てね。」