こんばんは!


山口の小さなイチゴ園、おひさまファームの中野ゆうやです。


最近、ブログ等で農園名を頻繁に発信しているためか、少しずつ認知が広がってきました。


先日は農業関連の某有名出版社から「ネットで中野さんの農園のことを知って営業に参りました」という方が来て下さり、改めてブログの効果を感じていますアップ


さて、恒例の【僕農シリーズ】(と勝手に命名・笑)の第8弾。もはや理由というより、経緯を全部お話している感じですが、その方がずっと伝わると思い、回り道を承知で書いています。飽きていなければ、もうしばらくお付き合いください。


前回「僕が農業を選んだ理由⑦」では、意気揚々と新聞社に入社した僕でしたが、先輩からの「相手の嫌がる記事を書け」「取材相手を疑ってかかれ」という教えに驚きつつも、少しずつ現場に出ることになりました。




元々、文章を書くこと自体は好きだったのと、普段からしゃべるよりも人の話の【聞き役】に回ることが多かった自分にとって、新聞記者という仕事自体は向いている面も多くありました。




実際、学生時代から司法書士浪人時代にかけて、世の中を知らない自分に気付いたため、様々な場所へ出向き、色んな職種、立場の方とお話しするのはとても新鮮で、勉強になりました。




そしてニュースになる人、ニュースになりそうな情報を提供してくれる方は共通して、世の中に対する感度や意識が高く、エネルギーを持った方が多かったので、取材回り自体は結構好きでしたにひひ




記者時代の仕事の流れは、毎週、編集日を除く平日4日間は市内各所をめぐりネタを探し、土曜日にその週の記事を10数本~20本近くまとめて書くという流れ。




日曜日は基本的にお休みですが、イベントなどの取材が入ると、新人の僕が現地に行ってその日中に記事をあげることもしばしばでした。




当時、文章力にはそれなりの自信があったのですが、最初の頃は出した記事全てに編集長(社長)のチェックが入り、ひどいときには書いた記事全てに赤ペンで大きな✖が付き。一言「別紙へ」の文字。




これは、別紙に編集長が書き直した記事を、そのまま僕が清書して編集にあげなさいよという意味。つまり「お前の書き方がへたくそだから、全部こっちの指示通りに書き直し」という事です。




悔しいし、屈辱的でしたが、確かに最初の頃の記事は回りくどい表現が多く、要点もつかんでいないので、編集長が簡潔にリライトした記事を読んでは「くっそ~」と思いながらいつも手直ししていました。




そして、記者時代で最大で最悪の思い出が、そうっ!?








「マグロ写真事件」うお座










熊野・勝浦200712 / merec0

ひぃぃ叫び今でも、思い出すだけで胃がキリキリする(笑)







当時、うちの地元で新しくマグロの養殖事業を始めた民間の企業があり、先輩記者がそのネタを元に先に記事だけを書き上げていました。(僕はそのことをよく知らなかった)





で、ある日その先輩から一言。




「中野くん、明日の早朝、○○の漁港でマグロを出荷するから、その写真撮ってきて」と頼まれ。



その漁港は、市内のはずれの方だったので、自宅から直接向かっても片道40分以上かかる場所だったのですが、先輩の頼みという事もあり



「分かりました。任せて下さいっ!!」えっキランっキラキラ




と快諾した僕。





翌朝、予定よりも出発が遅くなってしまったこともあり、出荷ぎりぎりに現場に到着した僕。何とか間に合い、眠い目をこすりながら、2~3枚マグロを運ぶ人の写真を撮ったのです。




「あぶな~、先輩の頼みに遅刻しなくて済んだ~得意げ汗





と思い帰社。その週の編集用に使う写真の1枚として、その中の写真を編集用の写真データに送りました。






で、編集当日。






(編集長)「あれ?、○○くん(←先輩記者のこと)、この1面のマグロの養殖の記事なんだけど、写真これしかないの?」




(先輩記者)「えっ?それって中野くんに任せたんですけど、何かまずいですか?」(先輩は僕の写真をまだ見ていない)




(編集長)「いやぁ、これ男の人二人が何か黒い物体を運んでるだけで、マグロの感じ全然出てないんだよね~」




(先輩記者)「えっ!?(写真を見て)本当ですね。中野くんほかにいい写真ないの?」




(新人・中野)(先輩のやり取りを片耳で聞きつつ、びくびくしながら)
「えっ、えっ!?もちろんありますよ~ガーン」(と、かなり挙動不審になりながら、デジカメのデータを見せる)




(編集長)「これもだめ、これもだめ。えっ、写真これだけしかないの?」(ちょっとキレ気味汗




(先輩記者)「えっ、この間あれだけお願いしといたのに、なんでこれしか撮ってないの?」(かなりキレ気味あせるあせる




(新人・中野)「えっ、えーと汗みなさん出荷が忙しかったみたいで、僕が行った時にはこのアングルでしか撮れなくて・・・」




確かに、僕の撮った写真は何らかの魚を男性が運んでいるものでしたが、角度が悪く、肝心のマグロの顔が見えないので、イマイチ中途半端な感じ。





熊野・勝浦200712 / merec0

THE・マグロビックリマークみたいな写真が撮れていれば何の問題もなかったのに・・・。




当時の僕には「写真を撮る」=「ただ、その場に行って言われたものを写真に撮ればいい」とだけ思っていた訳で。要するに、写真なんて記事のおまけ。この写真が読者に伝わるかなんて、ほとんど考えてもいませんでした(あぁ、お恥ずかしい)




で、言い訳がましい事を言った僕に対し、先輩お二人の怒りが頂点に達し、時に”インテリヤクザ”とも称される本職の新聞記者の視線が容赦なく僕をロックオンドクロ




(先輩)「せっかく苦労してネタ取ってきたのに、写真がこれじゃぁ台無しだよね。大体、中野くんは、日頃から取材に対する姿勢が云々・・・・・ガミガミガミガミプンプン




(編集長)「写真がこんなボロボロじゃぁ、とても1面には載せられないねぇ。なんで先輩がお願いしている仕事をおざなりにするの?写真の構図もいちいち俺たちが指示しなきゃいけない?ねぇ、どうなの?・・・・ガミガミあせる




このまま言われてばかりではいけないと思い、よせばいいのに自分の正当性を主張するために一言言い返すと、それがかえって火に油を注ぐ結果となってしまい。。。。



(編集長&先輩)「写真もロクに撮れないくせに言い訳だけは一人前だなぁ。大体中野くんはこの前だって云々・・・・・(←それ、今関係ないんだけどなぁと思いつつ、もうどうする事も出来ず・・・汗)」





結局、夕方5時ぐらいに怒られ始め、気づいたら夜中の11時半ぐらいになっていたわけでダウン





(編集長)「おぉっ、もうこんな時間かぁ。さすがに怒り疲れたなぁ。中野くん、怒る方も疲れるんだから次からちゃんと頼むよ!」(→先輩二人はそそくさと退社)





6時間以上もサンドバック状態で打たれ続けた僕はといえば、途中から何をどう怒られているのかも全く入ってこず、もはや完全に










地蔵











地蔵状態あせる(ちーんガーン






学生時代は割と優等生タイプで、先生からもほとんど怒られたことはなく。後にも先にもこんなに延々と怒鳴り続けられた事も当然ないわけで。





もう写真で怒られるのは絶対に嫌だったので、これを機に自分で一眼レフカメラを購入(それまでは会社支給の安いデジカメだった)。写真雑誌を読み漁り、カメラの基礎知識や撮影技術などについても学びました。





普段、新聞を読むときも、内容よりも写真の撮り方、構図などを意識して読むようになり。





そうした小さな努力が功を奏し、それ以降は写真で怒られることはなくなりました。(ほかでは色々やってるけど)





正社員という甘い誘惑に誘われ、何となく入ってしまった新聞社。でも、田舎の会社にしてはお給料はそれなりに良かったし、ボーナスだってしっかりもらっていました。




だから、最低5年はここで頑張って、30歳を前にもう一度、自分の進むべき道を考えよう。





当時は、仕事が楽しいとか、向き不向きとか考える余裕もなく、ただ与えられた場所で自分がどれだけのやりがいを感じて仕事に取り組めるか?そして世の中には新聞記者や司法書士以外にどんな生き方があるのかを、この目できちんと確かめたい。




おぼろげながらも、そんな気持ちで気づけば入社4年目。25歳の年に入社した僕も、この時すでに28歳。世間一般で言う「アラサー男子」になっていました。(つづく)