こんばんは❗️
どーも。
E判定を覆す男、中野ゆうやです(笑)
(意味が分からない方はこちらをチェケラ
♫)
引き続き今夜も、僕が農業をするに至った経緯をお話していきます。今日は【激動の大学編】だよ

では、はじまりはじまり~

悲願の第一志望合格を掴んだ僕は、19歳で念願だった田舎暮らしからの脱却を果たしました。
僕が通った岡山大学は、岡山市の中心部から北に車で10分ほど。
そこに文、法、経の文系三学部と、理、農、工などの理系の学部が一緒になった津島キャンパスがあります。
憧れのキャンパスライフを手に入れた僕は、1年次こそ真面目に通学し、人生で初めてのアルバイト(下宿近くのローソンのレジ打ち)も経験しました。
当時は1人暮らしの自由な時間を手に入れられたこと、アルバイトで高校時代よりも多くのお金を手に入れられたこと。そして何より、地元の何十倍も大きな都市に移り住めたことに、それは大きな喜びを感じてました
(街中を走る新幹線でさえテンションが上がる上がる~
)
(街中を走る新幹線でさえテンションが上がる上がる~
)友達と吉○家やマッ○、ガ○トなどでご飯を食べ(どれも僕の地元にはありません
)、帰りに下宿近くのツ○ヤでレンタルビデオを借りて帰る(もちろん、地元にはツタヤもない←
あっ、全部言っちゃった・笑)
こんな何気ない事でも、夜10時には街の電気が一斉に消えてしまうようなド田舎から出てきた僕にとっては、なんだかとても都会的で快適な暮らしに感じました。
2回生からは適度に中だるみもしつつ(笑)、いよいよ3回生からは、周りも就職を意識してくる時期。
自分が通っていた法学部では、成績優秀者は弁護士や検察官になるため、大学に在籍しながら、司法試験の受験対策専門の予備校に通う「ダブルスクール」というのが主流でした。(当時はロースクールの構想が出てきた頃で、僕の一つ後輩の世代から岡大にもロースクールが出来た)
他にも国家公務員や銀行員、大手有名企業など、同期が続々と進路を決めていく中、僕はなかなか進路を決めきれず、悩んでいました。
法学を学んではいたものの、司法試験を目指すほどの情熱や学力がない事には気づいていたのですが、このまま何も資格を持たずに社会に出るのが正直、怖い(←この頃もまだ自分に自信がなかった
)
なので、2~3年生の時に大学生協のアルバイトで、新入生のアパート斡旋の手伝いをした経験から、3年の時に宅建の資格を取り、とりあえず不動産関係の就職を模索。
あと、元々独立志向が強かったので、司法書士という、不動産などの登記業務を専門に行う法律資格の勉強を独学で始めました。
就活は何社か不動産関係の面接も受けましたが、本当は心からやりたい訳でもなく、二次試験ぐらいから先には進めず

この業界に行きたい❗️という軸も強くは決めていなかったので、最終的にはなぜかパチンコ会社(ダイ○ム)の説明会とかに行く始末でした(←ギャンブル全然やらないくせに・笑)
そんな事なら、司法書士一本に絞ってやろう‼️努力すれば、大学受験の時みたいにまた何とかなるさっ

自分なりに決心し、公務員試験を勧めてきた両親を説得。
学費を自分で払う約束で、大学3年の後半から司法書士試験の専門予備校に通う事にしました。(一応、ダブルスクールってやつ)
当時は合格率一桁台前半(確か2~3%ぐらいだったと記憶)の超難関試験だったので、1年目は全く歯が立たずに不合格。
大学4年で挑戦した2回目の試験も、難関の択一試験に合格する事は出来ませんでした

4年で大学を卒業→そのまま就職という流れだろうと思っていた母親からは「今まで通りの金額で仕送りは難しい」と言われ。
当然ながら、在学中しかもらえない奨学金も卒業と同時にストップ
oh my got

oh my gotここまで来たら、是が非でも合格するまでは実家に帰るまいと決心。毎月の固定費を減らすため、住んでいた家賃4万円台のアパートを引き払い、2万9000円という、恐らく市内で最安クラスの物件に引越しました(←大家さんは自分で喫茶店も経営してて、すごく親切でいい人だった
)
)そして廃棄の弁当が貰えるコンビニと、賄い付きの居酒屋の2つのバイトを掛け持ちし、学費と最低限の生活費を稼ぎながら、3度目の受験にチャレンジする事にしました。
しかし、連日のバイト→予備校→バイトの過労が祟り、肝心の受験勉強に全く集中出来ず

焦りとプレッシャーからか、軽い鬱のような症状になり、生まれて初めて心療内科という所にも通いました
自分自身をコントロール出来なくなっていたため、当時、付き合っていた彼女とも別れ
全てが上手くいかないまま、3度目の試験を迎えました。
過去にE判定を覆した実績を持つ自分でしたが、大学受験と難関の国家試験のレベルはどうやら比べるまでもなく。
焦りと寝不足で頭が回転しないまま、屈辱にも半分以上白紙の答案を出しました。3年間も必死で勉強したのに・・・。
高校までは田舎でもそれなりに勉強が出来る部類にいた僕は、この時、初めて本気で取り組んだものに弾き返されるという、人生の挫折を味わいました。
この先どうするかも決められないまま、気を紛らすつもりで久しぶりに帰省。すでに公務員や会社勤めをしていた同級生たちと、久しぶりに地元でボウリングをしていた時のことです。
自分の投球順を待っている時に、突然、ポケットの中の携帯が鳴りました。液晶には「おかん」の文字。
電話に出ると母親がいつもと様子の違う、焦った声でこう言いました。
「じいちゃんが、田んぼの水見に行く途中に車に轢かれて今病院。とにかくあんたもすぐに戻っておいで!」
人生の目標も彼女も失い、気晴らしに帰省したタイミングで今度は祖父が交通事故。
バイキングのコトゥーゲ風に言うと、まさに
「なんて日だっ!!」


って、本気で叫びたかった
幸い、じいちゃんは足を骨折しただけで一命は取り留めたけど、入院中の処置のまずさで脳梗塞を併発。
一時はICUにまで入る緊迫した状況が続きました。
その後、何とか退院する事はできたけど、骨折により足は不自由になり、脳梗塞の影響で言葉や記憶に軽い障害が残りました。
よせばいいものを、不安定な自転車で田んぼの水を見に行った結果、じいちゃんは半ば強制的に農業を引退しました。
ちょうど実りの時期を迎えていた直前のことです。
これまで田んぼの事はほぼ、じいちゃんとばぁちゃんがやっていた我が家は、突然の出来事に軽いパニック状態。
この秋の稲刈りをどうするかという事になり、母親が僕に一言。
「あんた、そんな状況なら、とりあえずもう実家に帰ってきぃさん。じいちゃんもあんな調子だし、とにかく今年は稲刈り手伝って❗️」
あれだけ嫌だった農業。
そして田舎暮らし。
自分なりに努力して極力遠ざけてきたつもりなのに・・・。
短い人生経験だけれど、自分なりのドン底を経験してる真っ只中に、またしても自分の大大大っ嫌いな農業と、図らずもまたこうして向き合うハメになったのです。(つづく)

