もっとねばったら
頑固モノ娘ちゃんだって
撮れるのかもしれない。
根気よく
娘ちゃんのご機嫌を取り
あの手この手で
アートの上に寝転がしたら
いいのかもしれない。
だけれども
私はねばれない。
ねばりたくない。
それにはワケがある。
先日の福岡大撮影会の様子が
SNSでたくさんアップ
されていたけれど
赤ちゃんにレンズを向ける
ママさんたちは
皆とびきりの笑顔。
ママの気持ちは
赤ちゃんに伝わる。
ママが緊張していたら
赤ちゃんも硬直するし
ママが笑っていたら
赤ちゃんだって嬉しい。
そう、
おひるねアートで
大事なのは
ママと赤ちゃんの
コミュニケーションである。
いっぱいスキンシップを取って
赤ちゃんと一緒に楽しみながら
撮影しましょうと
それを伝えていくのが
講師の役目である。
でも
だから逆に…
おひるねアートを頑なに拒む
娘ちゃんを目にすると
日頃、
私が娘ちゃんと向き合えていない
という現れなんじゃないかと
つい考えてしまう。
その事実を
直視したくないというか
露呈してしまうのが
怖くて
だから、ねばれないのだ。
逃げるようにして
アートから離れる。
前に
私の母親としての気持ちは
罪悪感でできている
という話をした。
「私はちゃんとママやれているんだろうか」
「こんな自分が
おひるねアート講師になっていいんだろうか」
そんな不安を
いつも
心の片隅に抱いている。
でも最近は
自己弁護なるのかも
しれないけれど
それでもいいのかなと
思ったりもしてる。
例えば
「私の辞書に『悩み』という文字はない」
なんていう
ナポレオンママがいたとして
じゃあ
その人に
心許せるだろうか。
スゴイなあって尊敬するし
憧れもするのかもしれないけれど
自分の悩みを相談したり
そもそも
一緒にいたいと思うだろうか。
講師育成でも
話があったように
大事なのは「共感」なんだろうと思う。
特に産後や
ちっちゃい赤ちゃんを
子育て中のママさんは
大変さをわかってほしい
頑張っている自分を認めてほしい
っていう気持ちも
強いわけで
そんなママさんに寄り添えるのは
同じように悩んだり
同じような痛みを経験した人だと
思うからだ。
私はいつだって自信がない。
でもだからこそ
大丈夫ですよって
言ってあげられるのかもしれない。
「大丈夫。あなたはちゃんとママやれていますよ」
私は誰かに
そう言ってほしいのだ、きっと。
ところで…
娘ちゃんは
そのちっちゃい手で
ママの人差し指を
ギュッと掴み
ぐいぐい引っ張って
自分のポジションまで連れて行き
そして
隣に座らせると
黙々と遊び始める。
「ママ見てて」
というよりは
「面白いもの見せてやるよ」
っていう
ちょっと上から目線を感じる。
子分1号とでも
思っているのかもしれないな


