1枚の写真からの自分史2作目です。
就職して教員として働き始めた頃のことを思い出してみました。
正食千葉教室おちこちの 向後 安希子です。
自宅でマクロビオティックの料理教室をしています。
自然に添う暮らしをつなぎながら、日々の小さな気づきを綴っています。
1枚の写真からの自分史②
「7人の子どもたちと過ごした教員生活の原点」
昭和54年春、大学を卒業し、就職先は千葉県の養護学校でした。
現在は特別支援学校といいますが、
当時は養護学校という名称で、障害のある子どもたちの学校です。
その年は養護学校が義務教育化された初年度でした。
千葉県内でも一気に学校数が増えて、
専門的なことを学んでいない新卒教員が多く採用されました。
私もその一人で、お話をいただいた時、養護学校という名前すらも知らなかったです。
それでもそのご縁の中でやってみようという気持ちになり、
当初希望していた中学校国語科ではなく養護学校の教員として千葉県に赴任しました。
1枚の自分史のために選んだ写真は、
この職場で7人の子どもたちと一緒に撮った写真でした。
7人は担任として出会った小学部2・3年生の子どもたちです。
今まで家庭で過ごしていた子も含め、
本当にそれぞれにとって初めての出会いであり初めての場でした。
そして、その日その日の活動を考えながら、何ができるか試行錯誤の日々の連続でした。
教室の黒板の前の写真で、壁には紙工作の大きなひまわりが写っています、
そう、ひまわり学級というクラスでした。
子どもたち7人のうち4人はあっちこっちを向きながらも椅子に座っています。
3人は私が肩を抱え込むようにして立ち、何とか全員が1枚の写真に納まった瞬間でした。
一人一人の名前も、様子もしぐさも、ありありと思い出されます。
この写真を見ながら1枚の自分史を書き始めましたが、
40年以上が経過しているとは言え子どもたちの写真借用ははばかられ、
写真を差し替えることにしました。
すると書く意欲がダウンしてしまい、
あの子たちの存在が、当時はもちろんのこと、今もエネルギーの源なのだと思いました。
差し替えた写真は、子どもたちに向けている眼差しを同僚の先輩が撮ってくれたものです。
あちこちへと飛び回る子どもたちの後を追いながら子どもたちと過ごす時間は、
今思えば私自身も瑞々しい活力にあふれていたと思います。
活動するための備品や教材も不十分でしたから、
紙芝居やペープサートなど手作り教材を下宿先に持ち帰ってよく作りました。
そもそも4月当初はまだ校舎が完成しておらず、
市内の高等学校の2教室を間借りしてのスタートでした。
連休明けに完成し引っ越しをしましたが、中庭はでこぼこで石だらけ。
見かねた保護者さんたちが、平らにならす工事も待たずに芝生を張ってくれました。
この学校の中庭の芝生がずっと長いことでこぼこだったのは、そんなわけでした。
試行錯誤しながらも、みんなで力を合わせて、
子どもたちの生活を創っていこうという機運が満ちていました。
学校は市街地から外れた栗林の中にあり、よく散歩に出かけました。
季節ごとの自然の移ろいを肌で感じる野外活動は、
子どもたちにとっても自分にとっても心地よいものでした。
季節にちなんだ活動や、畑の栽培や調理活動など生活につながるような活動も多く取り入れました。
一方で、これでよいのだろうかと自問もします。
3年を経るころ新卒教員には異動の話が出てきました。
中学校教員を志していたことへの想いも蘇ります。
そんなとき、研究会の講師として指導に来てくださっていた
千葉大学付属養護学校の校長先生からお声がけがあり、異動が決まりました。
附属養護学校では実践に没頭し、
生活中心教育の理念を学び、
附属養護学校での12年間を含め、
その後の36年間を知的障害教育の現場で過ごすことになります。
附属養護学校での教育実践の中で、
「子ども主体の学校生活づくり」、
そのための「できる状況づくり」を徹底して学びました。
学校生活づくりは教育課程編成そのものでした。
自分の教員生活の軸となった生活中心教育の原点が
7人の子どもたちとの生活の中にあったことを思い返す1枚の写真です。
今日もお読みいただきありがとうございました。
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