海外3都市ツアーにいってきたわけなのだ。韓国のチュンチョン、モルドバ共和国のキシナウ、そしてフランスのパリ。このことについてはちゃんとちゃんと丁寧に描きたいけど、ちゃんと描こうとしすぎるといつまでも描けずに描かずじまいになるから、いったん、ちょちょちょいと、ひらりと描く。


みんなと海外行けてたのしいいいいぃぃぃぃぃ!と思わぬよう、思わぬよう、努めた日々だった。なんだか、才能はタダじゃないに違いないという妙な宗教観を幼い頃から持っていて、なにかを捧げないとうまくいかない気がして生きてきたのだ。だもんで、「これは仕事なのだ!」とがんばった。

なんだけど、どうしても、たのしい。


仲間といると「じんわり」した気持ちになってくる。はしゃぐというよりは「あぁぁ、これ、走馬灯で見るんだろうなあ」とか「出逢った頃はこんな仲になるなんておもわなかったよなあ」とか、感傷に浸りそうになる。いかんいかん、浸るな!目を覚ませ!と自分の心に往復ビンタ食らわしながら、仲間よりも現地の方々と話す!芝居、芝居!と心に決めて旅をした。幸いにして長年のストイック癖の成果なのか景色や食べ物にへの興味はあまり湧かない。でも、「仲間とどっかにいく」はなんだかんだ大好きなのかも知れないとちょっと思ったりもし、なんだかんだ行動もなるべく共にした。かつて地方公演のとき「独りだけ別の宿にして」などと言っていた自分からしたら大いなる変化だ。よいのかわるいのかはともかくとして。

 

にしても、うちの人たち、猛獣すぎ!統制取れない!動物園かよ!動物園だよ。


なんだか、人間を描きたいとここ数年思い続けている。というか、人生の出来事が作品の種になったりする。まあ、動物とか虫なんですけどね、キャラクターたちは。でも、描きたいのは、人間。日常生活に目を向けないことを貫こうとするのはもしかしてそろそろ自分の悪いところなのか?と思ったりもするようになったのでした。


 

シンプルに、作風が海外に向いているのだなと思った。これは収穫だ。べつに海の向こう側だからすごいというわけでは全然なくて、海外にも凡人はいるし、日本にも天才はいる。「どこの国の人」みたいな縛りはあんまりしたくないけど、ただまあ、求められてるのがエンタメかアートか、て違いはある。これでもロックギタリストの息子なので感性はポップだ。でもこれでもロックギタリストの息子なもんで、ちょっとギザギザはしてる。そのあたりの塩梅が、どうも、外国にはちょうどよさそう。

もちろん、みんなぜんぜん違う。見た目も違うし、まあもちろんノリも違うしなにより言葉が笑っちゃうくらい違う。英語がすこしはわかるから大体はなんとかなるだろうと思いきや、韓国語なんて聴いてももうなにも検討もつかないし、ルーマニア語もフランス語も、耳馴染みがない。それでも、なんかずっと喋っるうちになんとなく、何言ってるのかわかる。ぜんぜんちがうひとたちに会ったことで、「ああ、人間てしょせんはみんなおんなじなんだああ」と気付く。


自分探しの旅、なんて言葉あるけど、僕らは「おぼんろってなんだ?」てのを、本拠地から遠く離れて探し当てたような気もする。もちろん、海外公演中はとっても大変だし、2週間朝から晩まで一緒という毎日は初めてだ。もーーー、猛獣たち!!うすうす気付いていたけど集団行動が一切できない獣たち!そして、どうにかまとめあげねば!!と仕切ろうとするも、俺だって、俺だって、情けない・・・ぜんぜん上手にそんなことできるわけもないポンコツぶりなのでした。ノアよろしく、壊れに壊れた世界で方舟に乗って世界を旅するおぼんろでありたかったけれど、もう、沈没寸前、木の穴だらけなところを枝とかゴミを用いて船の修繕に修繕を繰り返し、どうにか帰国した感じ。で、「なんだったんだこの旅!?」なんて、羽田に戻ってきた時は混乱していたのだけれど、何日かしてみるとものすごく有意義な時間だったことがじわじわわかってくる。

 

自分たちがどうなりたいのか、どうはなりたくないのか、どうなれるのか。そんなことがちょっとずつはっきりくっきり頭の中で整理されていく。


とにかくお金がなかった!ヂャスヴュラで、そもそも「儲けなんていらねえぜ!投げ銭、さいこう!!!宵越の金なんか持ってたら恥だぜ!!!」みたいなことをやったわけだけど、ダメだな、旅立ちの朝を迎えるには、必要だ、宵越しのお金。


実はおぼんろは路上時代からずっと、「なぜかうまくいきつづけてきた」という奇跡の団体なのである。だけれど、今回は団体存続の危機だった。だけど話し合った結果、クラファンもしたくない、と僕らは思ってた。結果、たくさんの参加者から様々な形で助けてもらうことになってしまった。これに関しては、実はちょっとちゃんと悔しい。こっちが救いたいのに、救われるだなんて、嬉しく幸せな気持ちになりつつも、猛烈に、悔しいのだ。もっと強くなってやる、と心に誓う。でもそれはともかく、本当にありがとう。大丈夫。無事です。続けられる。これからも。


なんてったって、予算組みしてていやんなっちゃうけど最近じゃ1万円を超えるチケット代とか取らないと普通に赤字だ。金持ちになりたくなんかないけど赤字じゃ困る。誰が困るかって言うと、スタッフとか演者たちだ。タダ働きってのは、エグい。みんな心持ち的には「タダでもいいよ」と言ってくれるのだけれど、そんなこと長くは続けられない。作品のクオリティも下がる。そうすると、物語で世界を変えられない。

そんなこんなで、がんばってお金を稼ごうと心を入れ替えている末原拓馬なのですぜ。やっぱり、最終的にやりたいのは、弱い人達も救うことのできる場所だ。弱いってなんだ。そんなのいろいろだ。かつての自分が圧倒的にそうだったように、何も持たず、貧しく、心も落ち着かず、居場所もないような人間も、ふらっと等しくやってこれて、仲間になれる、そういう場所。「お金を稼ぐ」は本来であればその人間の数えきれないほどある個性、能力、魅力のうちのひとつの要素でしかない。お金のあるなしなんかがその人の価値を決めるということに対する拭えない違和感の正体はたぶんこれだ。物語に参加する権利をそこでわけるというのはやっぱりどうにも、僕らがやりたいことからするとチグハグな気がほんとうはしている。


だから、ほんとうはほんとうに、ほんとうは、無料で公演を打てるようになりたい。そういう意味で、いまやっぱり猛烈に路上公演こそ我が生きる道なんじゃないか?と思い始めたりしている。

HYのヒデくんのライブに行く。脚本演出した舞台で共演して以来、仲良しなのだ。たまに明け方に沖縄の海の動画がヒデくんの解説付きで送られてくる。嬉しいけれど、どうしたらいいのかわからない。どうしたらいいのかわからないけれど、うれしい。なんか、人と人のコミュニケーションてこういうことでいいんじゃないかと強く思う。オチと意味合いがつかないとだめだ、と思ってしまうクセをなくしたい。


ソロツアーだ。いいなあ、すごいなあ。Jポップなるものからはぜんぜん離れて生きてきた自分だけれど、これが、まあよかったのだ。明るく優しく素朴で、あたたかい。訪れる人達にとって、よろこびの場所になっている感じがとてもよくて、光に満ちていた。ちょっと、海外ツアーのあとで「いろいろなことを真剣に考えないといけないぞ」などと眉間にシワを寄せてやる!!!!という思いだった僕ぁ、なんだか毒気を抜かれて反省し、やっぱり、笑顔こそを武器に生きるべきだな、そう生きてきたじゃないか、などと思ったのでした。

 

・・・・・・・・・・・・


凱旋公演の稽古。うそみたいに幸せで大笑いし続けている。旅から生きて帰った仲間たちとの再会ってこんなに幸せなの?と。芝居に関する共通言語、共通の思い出、それらがあまりに宝物で、おおはしゃぎで稽古をしたのだった。


はしゃいでいたいよね、笑っていたい。人生、いつまで続くのかわからないのだ。いまってのは、未来のための材料じゃない、今のための今でいいのだ。そして、今のための今を笑って過ごすと、それは未来に思い出したときに宝物の記憶になっているのだ。たぶんきっと。

藤原紀香さんの舞台『罠』を見に行く。50年前?隨分と昔に海外で描かれた戯曲なのだけれど、これがまあ、よくできていた。噂には聞いていたし、出演者のみなさんとても誇らしげに話していて、「お手並み拝見」というような気持ちで馳せ参じたのだが、悔しいくらいに面白く。ええい、おれもがんばって執筆するぞという気持ちになった。財木琢磨も出ていた。たくまとたくまだ。「たくま!」と呼んでいるしあっちは「たくまさん!」と呼んでくるが、ちとややこしい。そこまで積極的に名前を呼べない事態が発生している。今後、もっと仲良くなってしまったらどうしたらいいのだろう。ちなみに、ばったり高橋大輔くんと村元哉中ちゃんに遭遇する。会う予定のないひとに図らずも遭遇するというのはなんか得した気分だ。

 



凱旋公演。倉庫を改造した劇場。はっきりいって、ものすごく懐かしい感じもするし、ワクワクとしながら創った。三カ国回って、それぞれまったく劇場のサイズも雰囲気も違って、その都度演出を考え直して創り変えてきた。物語の核の部分を、言葉さえ用いずに伝えるためにはどうするべきかを試行錯誤し続けてきたおかげで、物語の強度が驚くほど高まった。

 

パリの劇場が、とても狭い地下室だったのだ。照明もほとんど吊れないという。で、我々はむしろ、「いや、こういうところが俺等一番得意じゃね?」なんていいながら、かつて路上時代の野生みでもって『ラルスコット・ギグの動物園』を上演したのでした。客生の間を通り、暗がりから現れ暗がりに消える、という。そしてついに思った。

 

「そろそろ東京でも、こっちでやるか」

そんなこんなで、凱旋公演は、素舞台上等!のステゴロ感でお贈りした。とても満足している。旅の果てに、自分たちの昔を見つけるってのは、面白い。


SUGIZOさんのニコ生チャンネルに出演させていただいた。僕はニコ生にはあまり触れて生きてこなかった人間なので、「わあ、ほんとうに文字が流れてる!」と感動したのでした。それにしてもこの日は、ものもらいだった。めばちこ。目が、というか、まぶたが弱い。すぐ、何かしらのトラブルが巻き起こる。くやしい。


この日は衣装家永田光枝さんの命日だったもので、永田さんの服を着て出演した。永田さんデザインのものはたくさんもっているのだけれど、実際に永田さんが来ててお下がりでくれたやつを着ることにした。ちょっと短かったけど、エネルギーもらった感じで、よし。


ちなみにSUGIZOさんとはとても話が合う。世界への考え方、表現によってそこにどうアプローチしたいかの考え方、とてもとても尊敬していて、そして一緒にアルバムをつくれたことはたまらなく嬉しい。そして、我々は誕生日が同じだ。嬉しい。

 

氷艷の現場ってほんとうにあたかかくて、けっこう、他に類を見ないんじゃ?と思うくらいに、優しい。超一流が集まるとこうなるのかという感じだ。誰もに余裕と思いやりがあり、そして、明るい。これは、座長大ちゃんの人間性が原因である可能性も高い。自分に厳しくとも、他人のことに関しては寛容。笑ってる。とにかく、笑ってる。

 

配信が終わってから、堤監督と食事に行ったのだが、渋谷め!渋谷の分際で、22時を過ぎたくらいでほとんどの店が閉店なのである。情けない!!流浪の民となった我らは、なぜか深夜にすしざんまいに入ったのだった。「すしざんまい!」というのは堤さんと集合写真を取るとなぜかみんなあの、すしざんまいさんのポーズをさせられるのだ。手を広げたやつ。みんなで「すしざんまい!」と叫びながら写真を取ったことのなんと多いことか。監督は店内に入ると、貼ってある写真を見ながらひたすらポーズの研究をしていた。


18日
  髪が長すぎる。もう切らなきゃ!と言い始めてから何ヶ月が経っているのだろう。忙しいのと、何かの予約を取るのがものすごく苦手なのと、なんかもうここまで伸びちゃうといつ切っていいのかわかんないのである。ただ伸ばしきってるだけ、というとてつもないこだわりのなさゆえに伸びてるのに、なんだか「髪は僕の命さ」みたいな人間だと誤解されてる気がして、地味に恥ずかしい。


でも今日はママに編み込みにしてもらった。憧れていたのだ、幼い頃、ねねが学校行く前のやってもらってるのをみて。


三つ編みにしてもらって、るんるんと打ち合わせに繰り出す。


昔から意識の何%かは、ママの娘でありねねの妹であるつもりで生きてきた。我が親族ながら、綺麗なひとたちだ。ヒラヒラした服を衣装にしがちなのはそのせいなのかもだ。下にボリュームのある服を着がちなのは、おそらく母のロングスカート姿が好きだったからだ。

 

・・・・・

締切4本に追われてる。どれも、頭の中に答えはある。書き出すだけだ。なのに書き出せていない。忘れるのが怖い。書き出したい。掻き出したい。気持ち悪い。にゅ。


今月出演するラビトンという朗読劇の稽古にゆく。脚本演出の川本成くんは何を隠そう、父がかつてずーーとバンドをやってた『小堺クンのおすましでSHOW』の出演者で、まだ演劇も始めていない子供の頃に楽屋でぶらぶらしては遊んでもらっていたお兄さんなのだ。初めてお仕事いっしょにできるの、うれしい!!しかも成くんにギターを教えたのはパパということなのである。成くんにギターを教えてることをパパが嬉しそうに語っていた記憶もある。本編中、成くんはたくさんギターを弾く。なんか、じんわりとした幸せに包まれるのだ。とてもとてもあったかくて優しくて楽しい演目。紀伊國屋劇場だ。ぜひ遊びにどうぞ。


実は6月は予定していた演出現場が一件なくなった。なので関係はスケジュール余裕!と思ってたが、ちゃんと忙しい。演出する朗読劇の稽古や準備をしたり、

来月にやるWSプロジェクトの準備、執筆、打ち合わせをしたり、

昔ばなしの準備をしたり。


そしておぼんろの次のスケジュールについての会議も繰り返してる。いろいろ、いろいろだ。なんかそれぞれのプロジェクトに仲間がいて、とても楽しい。

なんか、長々と書いてしまった。


雨ばかりの毎日ですが、どうかお身体に気をつけてくださいね。夏が来ます。夏は暑いです。暑くなったら暑くなったできっと僕らちょっと文句言うのだし、寒くなっても、そう。


今は、雨の素敵さについてたくさんたくさん語りたい気持ちです。


あなたの今日がどうか素敵でありますように。