1月17日
阪神淡路大震災があった日。
20年の節目と言われています。
わたしは大阪生まれ、大阪育ちです。
あの日は二度と忘れないくらいの恐怖でした。
揺れ始める前に、
地面から天に向かって落雷があるかのように
バリバリバリバリ~という音と振動の直後に
縦揺れと横揺れの大きな地震がありました。
当時14階建ての団地の7階に住んでいましたが
崩れ落ちたり倒れたりするのではないかと
考えたほどです。
とっさに飛び起きてタンスが倒れてこないように
支えたことを覚えています。
地震の後、風呂場に行くと風呂の中の水は
揺れでほとんど溢れ出て溜まっていませんでしたし、
壁には亀裂が入っていました。
当時高校2年生で生徒会長をしていた私は、
翌日登校し、先生と協議をして募金活動を
はじめました。
電車の高架は部分的に決壊してしまい、
動いている区間まで乗車し、あとは徒歩で
ボランティアに行きました。
私が行った地区は神戸市東灘区といって
古い一戸建てやアパートが多い地域で、
鉄筋のマンションなどは少なかったのです。
震災があって1カ月が経過するかどうかの時期
だというのに家事で焼け焦げたにおいが残って
いました。
倒壊した家屋が多く、遠くまで見渡せるほどの
場所が多かったことも印象的です。
学校の校庭にテントが張られそこで暮らす皆さん
そこに食事の配給をするお手伝いに行きました。
1人1個と決まっていても何度も並ぶ人が居たり
「生きる」ということがどういうことなのか
というのを目の当たりにしました。
テントを回り「困っていることはないですか?」
と声かけをしたのを今でも覚えています。
家族が亡くなり、自分が生き残った方は
その喪失感と申し訳ないと責める気持ちが
あったと思います。
そして、4年前に起きた東日本大震災。
震災と津波。
また大きな爪痕とともに尊いいのちが失われました。
阪神大震災と同様に、
家族が亡くなり、自分が生き残った方は
その喪失感と申し訳ないと責める気持ちが
あったと聞いています。
被災地に天皇・皇后が福島県相馬市に
お見舞いに来られたときのお話。
被災者の方危機一髪で助かったことを話すと、
皇后は一言だけ、こう言われたといいます。
「生きていてくれてありがとう」
被災者の方は振り返ります。
「予想もしないお言葉だったので驚きました。
ただ生きているというだけで感謝していただいた
のです。実は当時は何もかも失ってしまったという
喪失感があったのですが、皇后さまのお言葉により、
“そうか、生きていること自体が大切なんだ”と思える
ようになったのです」
この会話は被災者の方に伝わり、
絶望から生きていること自体が希望なんだと
こころが一瞬で救われたということです。
いま、何事もなく安心で安全に暮らすことができている
ことが奇跡の連続であること。
「当たり前」のことだと思ってしまうこともあるかも
しれませんが、そのことに感謝をして生きていくことが
とてもとても大切なのではとも思います。
日本に住むみんなの気づきや意識で、
今後の天災が起きないようにすることは
出来ないかもしれませんが、最小限に抑えられれば
と心から感じます。
被災者の皆さんには哀悼の意を表すとともに
新たないのちをいただいて、さらに愛と調和であふれた
この日本や外国、地球に還ってきてくださるよう
切に願ってやみません。
合掌
『 ひかりの国のおはなし 』
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