「本当は、どうしたい?」
という問いに
上手く答えられなくなってきていると、
気が付いたのが、
2・3日前。
ただ、悲しい。
とか、
ただ、さみしい。
とか、
いま、ここに生まれている
自分の感情を、素直に溢れさせる前に、
自動的に
「どうしたいか。」よりも
「どうすべきか。」を選ぶ。
その繰り返しで、
いつの間にか擦り減っている。
どこかずっと曇天模様の心を抱えつつ
「何でもない。」と
自分に言い聞かせて
感情のフタを
再び開ける、その機会を見失った。
「だって、なんか、すごく嫌」
子供のように、ストレートで
どうにもならない感情が、
実は、腹の底にずっとずっとあって。
だけど、
そんなこと言っても、
どうにもならないし、
そんな言葉を相手にぶつけるのは酷だ。
とか、
そんな子供っぽいことをいう必要ない。
とか、
周りを困らせるなんて、良くない。
とか、ね。
その根底には、そもそも
「感情そのままの私」は、
ガッカリされる。
面倒だと思われる。
良く思われない。
誰かの、他者を基準にした
心配から逃れるように、
「だって、でも、やっぱり、すごく嫌」
は、極力抑えて
「そうだね、なるほど、仕方がない」
と、呑み込む。
気付けば
「あれ、本当は、どうしたい?」
に、うまく答えられくなってしまって
さぁ、大変。
こういう向き合いに、
ウダウダ悩んでも考えても仕方がないから
とにかく寝よう。とか
ずっとずっと見て見ぬふりして
抜け出せないままに
休みらしい休みがないまま
生活が繰り返されていて、
やっぱりちょっと変だな。
って、心が気付く前に
身体がサインを出しはじめていた。
そのサインすら、
たぶんきっと、
「そんな事言ったって、、、」
という、謎の思い込みや慣習が勝り
「どうにも出来ない、」
を「どうにもしない」理由にしていた。
今日この頃。
もう使われないだろう
大きな箱と綺麗に洗ったばかりの毛布をみて
なにか、
どうしようもなく
辛くなってしまったのは、
紛れもない
私の中にある、大切な感情で。
突然の上手くいかないことや
辛いこと、大変なことも
「上手く乗り越えることが、すごいこと。」
みたいな、呪いは
ちょっと、ここらで不要なものとして
手放しておかなければ、
なかなか苦しいぞ。
と、
悲しいときは、悲しい。
嫌なものは嫌だ。
地団駄を踏んで
涙に鼻水のおまけ付きで
声が枯れるまで泣きたいのなら、
思う存分、感情を爆発させたって、
それもいい。
いいじゃない。
なんて文章を、
きっと、今わたしは真顔で
淡々と打ち込んでいる。
ちょっと前にね、
ずっと一緒にいたペットが旅立ったり
当たり前が当たり前ではない
あんな事やこんな事が、
いろいろ教えてくれて、
ちょうど、見直しの時期。
そんな時期ーー
