自分③
休職始めの頃はとにかく寝まくっていた。医師からそうするように指示があった為でもあるが、にしてもよく寝た。というより、身体が動かなかった。何をするのも億劫でたまらなかった。
また、休職当初、家族がうつへの理解が乏しく、身の置き所に苦しんだ。また、家事を色々頼まれたのだが、当然の如く苦痛だった。
だけど当時の自分は、稼いでない今は、それぐらいはやらねばと、辛い自分を更に「〜ねば」で縛っていた。


週一位のペースで医師の診察を受けていたのだが、毎回現状の状態を伝えたると、「じゃあお薬調整しますねー」ばかりで、正直自分の病状がどんな段階で、薬も効いているのか分からず、こちらの悩み等についてはドライに対応されるので、このままでは良くならないのではないかと、焦燥感に駆られた。だが、何の知識もない為、薬は飲み続け、惰性で通院を続けた。

やがて、自分責めが酷くなっていった。

「何も生み出していない自分は無価値だ」
「家族にとっては、生きてるだけで負担になる」
「生きてるだけで充分迷惑だ」 
何もせず存在している自分が嫌でたまらなかった。 

やがてその思いは、リスカ・首締め・薬と酒の多量摂取という具体的な自傷行為になっていった。
ここにも、
「自分は苦しまねばならない」
「罰を受けなければならない」
という、自分への縛りがあった。  

やがて、自傷行為や可罰的な考えは、
「もう生きていなくていいや」
という思いに変わっていった。
それは、自分の存在価値の問題と共に抱えていた経済的な問題(*)が、自分が死ぬ事によってその殆どがクリアになる=自殺がいい事のように思えるようになっていった為である。

(*経済的な問題=生活費・住宅ローンの事である。)


就業時の2/3ほどしか支給されない傷病手当金が(それでもありがたいのだが)生活費の主で、不足は貯蓄を切り崩すしかなかった。と言っても、それも3ヶ月ほどで底をつく事となる。
住宅ローンが重く重くのしかかっていた。

自宅を建てた当初、まさか自分が休職するなどという事は、想像だにしていなかった。それだけに家を維持する為、40歳にして、親に頭を下げるのが自分の中でとてつもなく情けなく、恥ずかしく、屈辱的ではあったが、背に腹は変えられず、生活費の支援を申し出た。

これに両親は、条件付きで当座の不足分を支援してくれた。
とてもありがたい事ではあったが、この「条件」が当時の自分には厄介だった。