芥川賞候補作の乗代雄介「旅する練習」(群像12月号)を読みました。
「旅する練習」は、首都圏に緊急事態宣言が出される直前の2020年3月に小説家の「私」が姪の亜美(あび)とともに千葉県の手賀沼から茨城県の鹿島まで“練習の旅”に出る物語です。
“練習の旅”とは、サッカーに熱中する小学6年生の亜美が鹿島の合宿所から持ち出してしまった本を返しにいく旅路でサッカーの練習と「書く」練習をそれぞれする、というもの。
旅の方法は徒歩で、手賀沼から利根川沿いを進んで鹿島を目指す彼らは道の途中でしばしば立ち止まり、亜美はリフティングをし、「私」は利根川の風景や河川敷にたたずむ鳥の様子を描写し、それぞれ"練習"するのでした。
緊急事態宣言が出される前の、緊張感がありながらもまだ牧歌的な雰囲気のなかではじまった旅は、「私」と亜美に想像以上の感動と出会いをもたらします。
「私」は亜美のサッカーの練習に付き合うかたわら、亜美に野鳥や植物の話を聞かせたりその土地の神社へお詣りをしたりして、旅路に彩りを加え、成功を祈ります。
亜美はサッカー以外のことは興味のなさそうな表情を浮かべながらも「私」の話を聞き、リフティングの前に真言を唱えたり、飛び立つために羽を乾かすカワウを真似て毎日シューズを磨いたりして、自分なりに落とし込んで旅を進めるのでした。
そんな風にしてお互いの“練習”を積み重ねる彼らは、ある日ひとりの女性と出会います。
その女性は鹿島アントラーズのキーホルダーをつけていたことで亜美と意気投合し、旅の方法も目的地もほぼ同じことから3人で旅をすることになります。
女性はみどりという名の大学生で、無名の鹿島アントラーズをJリーグ入りさせたスーパースター・ジーコの人間性に惹かれて鹿島アントラーズのサポーターになったと明かします。
亜美はすっかりみどりに懐き、楽しげに3人で旅を続ける一方で、大学卒業を間際に控えたみどりは“練習の旅”を続けるふたりを羨ましく眺め、ひそかに劣等感を抱いてしまうのでした……。
この物語は“練習の旅”を描いているのに、どうして「旅する練習」というタイトルなんだろう?と疑問に思いながら読み進めました。
後半に差し掛かってもなかなかわかりませんでしたが、最後まで読んで、わたしはこのタイトルが“大きな伏線”だと感じました。
「私」は亜美とともに“練習”を積み重ねながら日々の人間の営みへと思いを馳せ、歴史が記された石碑やジーコが鹿島にもたらした功績が残る街並みとわずかに残された自然を見比べ、自然のなかに人間の営みが刻まれてきたことに言いようのない感動を覚えます。
この物語は、激動のコロナ禍を経験するわたしたちに、人間の日々の営みのかけがえなさを伝える物語なのか……とラスト数ページでわたしが思った瞬間、その感動は一転、"感傷"へと変わります。
その大きな落差が衝撃で、読み終わってしばらく呆然としてしまいました。
“練習”は人生の中でかなりの時間を割いておこなわれる行為だと思います。
その練習は人によってさまざまで、亜美や「私」のようにサッカー、書くこと、と決まっている人もいれば、明確に何か決まっているわけではないけれど目の前の課題や試練に向き合い、何かを積み重ねている人もいます。
わたしが書き続けているこのブログも“練習”にほかなりません。
文章力や読解力を鍛えるための練習という意味もあれば、作中で亜美が言うような「本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きる」ための練習でもあります。
わたしはこの物語を読んで、“練習”こそ人生の醍醐味なのではないかと思いました。
練習が必ず結果に結びつくとは限らないけれど、「なかったこと」にはならず、自分の中のどこかに確かに刻まれている。
作中で書かれているわけではありませんが、こうした積み重なり刻まれたものは自分の思っていたこととは違うかたちで芽吹くかもしれない、という希望を勝手に読み取り、“練習”という言葉の重みを強く感じたのです。
わたしたちは一生のうち、家や職場や学校など、どこかひとところにずっといるということはほとんどありません。
「旅する練習」は、ここではないどこかへ"旅"をするタイミングがきたとき(つまり、人生の転機がおとずれたとき)に、自分のなかできちんと呑み込めるようにするための“練習”の軌跡が描かれた物語だったのではないかと思いました。
亜美は小学校を卒業してサッカーの名門中学へ入学するという転機が、みどりは大学を卒業して就職するという転機が、「私」は大切なものを失うという転機がおとずれます。
書くことが“練習”になる「私」は、この物語を書くことで、自分のなかにその転機を落とし込んでいったのではないか、と思いました。
亜美の物語、みどりの物語、「私」の物語の三層が入り交じりながらも混乱することなくテンポよく読み進めることができ、ラストの“伏線”に大いに驚かされ、また、コロナ禍であっても日々積み重ねることのかけがえなさも描かれたこの作品は読みどころの非常に多い傑作だと感じました。
これで芥川賞候補作はすべて読み終えましたが……わたしの予想はだいたい固まりました。
引き続き直木賞候補作を読み進めていきます!
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