こんばんは!
東京、すこ~しずつ日常が戻ってきております。
自粛期間を経て、これまで以上に人混みと電車の混雑にストレスを感じるようになりました。
だからでしょうか?
早くおうちに帰りたい、という思いがいままで以上に強くなり
(早く帰るからといってこれといった用事はない)
何もしない時間をいままで以上に欲するようになり
ノイズキャンセリングイヤホンを頻繁にするようになり
おうちにアロマグッズが増えました。笑
そしておうちにいればいるほど
さらに欲が深くなりまして。
「静かで、自然の多い、もっと広いところに住みたい!!」
(※以前も住まいを変える話題をブログに書いたのですが、それはいったん白紙になりました~)
という思いがかなり強くなり、
住まい系サイトをあれこれチェックするようになりました。
「静けさ」
「癒し」
「精神的余裕・余白」
いまの自分が求めているものがわかりやすくあらわれていますね。笑
こんな感じで最近は自分のユートピア、約束の地(※FF7Rにもはまっています笑)を探しまくっているのですが笑、
こないだ、これもユートピアの条件かもしれない・・と思うような一冊を読み終えました。
松田青子さんの新刊、『持続可能な魂の利用』(中央公論新社)。
インパクトの強い装丁(とくに帯・・)。
「おじさん」に翻弄された経験のある社会人女性ならば、つい手に取ってしまう一冊なのではないでしょうか。
本書では「おじさん」を以下のように定義しています。
一つ、「おじさん」に見た目は関係ない。だが、見た目で判別がつくことは確かに多い。特に、目つき。特に、口元。座り方もだらしない。
一つ、「おじさん」は話しはじめたらすぐにわかる。
一つ、どれだけ本人が「おじさん」であることを隠そうとしても無駄な努力である。どこかで必ず化けの皮が剥がれる。けれど、「おじさん」であることを隠そうとする「おじさん」は実はそんなにいない。「おじさん」はなぜか自分に自信を持っている。
一つ、「おじさん」に年齢は関係ない。いくら若くたって、もう内側に「おじさん」を搭載している場合もある。上の世代の「おじさん」が順当に死に絶えれば、「おじさん」が絶滅するというわけにはいかない。絶望的な事実。
一つ、「おじさん」の中には、女性もいる。この社会は、女性にも「おじさん」になるよう推奨している。「おじさん」並の働きをする女性は、「おじさん」から褒め称えられ、評価される。
(101頁)
「おじさん」というのは文字通りの意味ではなく、
権力や根拠のない差別意識をもとに他人の心を簡単に踏みにじる人、力の強さを示して社会的弱者に対してマウントを取りたがる人、自分の間違いを死んでも認めない人(これはささかわ的おじさんの定義ですが笑)のことを指します。
本書はひとつのストーリーというよりは、断片的なストーリーがつながってできた「反抗の叫び」というようなものだと思いました。
主に叫んでいるのは「おじさん」たちの被害にあった女性たちです。
管理職の「おじさん」に執拗な嫌がらせを受け、退職に追い込まれた非正規雇用の敬子。
敬子の同僚で、ピンク色のスタンガンを護身用に持ち歩いている歩。
彼女たちは「おじさん」から受けた被害に苦しみ、「おじさん」に都合良くできている社会を心から憎みます。
敬子は退職したのちに妹の住むカナダへ短期留学し、「おじさん」に対して抗えない日本人女性の弱さに打ちのめされます。
日本に戻ってから敬子はとあるアイドルにハマるのですが、日本の理想のアイドル像のなかに「未熟さ」があることに気づき、さらに反抗の火を強く燃やすのです。
そして敬子はこう誓います。
「おじさんを倒す」と。
そしてこの物語では、敬子たちのストーリーとは直接交わらない別のストーリーも展開されます。
それは、近未来の日本?と想像される世界で、
その世界では「おじさん」にある変化がおとずれています。
「おじさん」の視界から「少女」が消えてしまうのです。
それは「少女」の存在が消えてしまったのではなく、「おじさん」の目に「少女」がうつらなくなってしまうという怪奇現象的なものです。
かたや「少女」の側は「おじさん」たちが見えるので、突進してくる「おじさん」たちを器用に避け、たまにイタズラを仕掛けたりします。
そんなファンタジーな世界が断片的に描かれるのです。
超現実な設定とはいえ、「おじさん」たちが動揺する姿に胸のすく思いがします・・。
この物語が断片的なストーリーをいくつも差し挟んでいるのは
「おじさんへの反抗」を「架空の人物のストーリー」という「小さなもの」におさめたくなかったからではないか、と感じました。
これはフィクションでしょ、とバッサリ切られないために。
「おじさん」に翻弄されたことのある人ならば、どこかで同じように感じたはずの「痛み」に共鳴するように。
そしてその「痛み」をやりすごそうとしている人たちに「あなたは怒っていい」というメッセージを強く伝えているように感じました。
争いごとが嫌いで声をあげるのをためらってしまう(そのくせおかしいことにはめちゃくちゃ敏感な)わたしには胸をつくものがありました・・。
この物語は、どこをとっても「他人事」と思えない、現実社会と切り離せない要素があり、読み進めるのが少ししんどい物語でもありました。
職場に「おじさん」はひとりもいない!とは言い切れませんし、通勤電車でやばいおじさんに遭遇することもたまにありますしね・・。
この物語を読んで思ったのは、「おじさん」を、「おじさん」になりそうな人をひとりでも減らすために、自分のできることを怠らないようにしよう、ということです。
ささいなものでも、おかしいことは見逃さず、そのままにせず、やり過ごさず。
この意識を忘れないでいようと思います。
いま、特段何かに困っていたり誰かを恨んでいたりしているわけではないのですが、「おじさん」体験に心当たりがないわけでもないので・・そこのところは改めて警戒しようと思いました。
令和の時代、「おじさん」を揶揄する作品が生まれただけでもかなりの進歩なのかもしれませんが、
「こんな時代があったのよね~」と早く言える日がくることを願ってやみません。
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