ここ最近、
「この本は読むべき!」
と3人以上に言われた本があります。


それがヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房)。


おすすめしてくれた3人はそれぞれ違うコミュニティの人たち。
それってすごくないですか?
そんなにいろんな人がおすすめする本に出会ったのははじめて!


本書の内容はざっくりと知っていたものの、しっかり読んだことがなかったので良い機会になりました。


本書は精神科医であった著者・フランクルが、ユダヤ人であるという理由だけで連行されたアウシュビッツの強制収容所での過酷な体験と心理的考察を綴った一冊です。


読む前から分かっていましたが…読み進めるのが辛い。
本書は「プロローグ」に入る前に「解説」があり、強制収容所の過酷な「実態」が詳細に描かれています。
なぜならフランクルの文体が「明るすぎる」から。


実際は「明るすぎる」わけじゃなく「絶望し切っている人たちよりはまだマシ」という程度のものなのですが…まず解説を読み、アウシュビッツの過酷な実態を知ることでフランクルの文体の「明るさ」がより際立つように感じられます。


ですが、それこそが本書の「ねらい」なのだと読み終わって感じます。
どうしてフランクルはこの過酷な状況のなかでも「そうした心持ち」でいられたのか?と読み手に疑問を抱かせるからです。
(もう一度言いますが、フランクルの文体は決してわたしたちが一般的に思う「明るい」ではありません…誤解を招くような言い方で申し訳ありません)


フランクルは収容所生活における心理状態を三つの段階に分けています。
第一段階は収容所に連行されるときのショック、
第二段階は収容所の過酷な労働が続くことによる「無感動」、
第三段階は収容所から解放された時の「内的弛緩」。


第一段階はとにかく読むのが辛くて…言葉になりません。
すべてを奪われるということの絶望に対してただただ胸を痛めるばかりです。
以下の引用が胸に残って離れません。


「人間がすべてに慣れ得るということが事実であるかどうか、(中略)
われわれは語るであろう。
しかし……われわれが如何にして慣れたかということは聞かないで欲しいのである。」


第二段階の心理は、この過酷な状況に耐えるためには「無感動」であることが必要だった、ということを記しています。
苦役にただ無感動で耐え「生きる」ことのみに集中することこそが彼らが生き延びる唯一の手段だったのです。


しかし「無感動」は「自分を殺す」こととは少し違います。
「無感動」は苦痛を増やさないための「鎧」の役割を果たしていたからです。
外的苦痛を「無感動」の鎧によって耐え続ける彼らは、次第に「内面化」するようになっていきます。
そして「内面化」は彼らにとって唯一の救いになるのです(後述します)。


第三段階は、収容されてからずっと心待ちにしていた「自由」「解放」という状態が眼前にあるというのに、抑圧による「無感動」の状態があまりにも続いたために心が弛緩しきってまったく動かない、という心理状態になったことを記しています。


「内的弛緩」とは、解放の喜びを味わえず、これは本当に現実なのだろうか?という、眼前にあるものを受け止めきれない状態なのです。
なんて悲しいことでしょう…。


フランクルは以上の三段階の分析をした上で、かつ、収容所生活で「死」があまりにも身近に迫っていたこと、そして実際に亡くなった人々が何百万人(諸説あるのであえてぼやかします)もいる事実をふまえて
それでもなお生き延びた人々(自分自身も含めて)に共通するものがあったと考察しています。


まずは運の強さ。
これは本書に明確な記載はありませんがどうしても入れたかったのです。
運が左右する場面があまりにも多すぎたので。


そして「自分」を放棄しなかったこと。
収容所に連行され、持ち物、名前(囚人は番号によって振り分けられた)、尊厳…その他すべてを奪われた彼らにとって「自分自身」こそが「生きるよりどころ」でした。
「自分」を放棄してしまうと過酷な現実に耐え切れなくなり、「すべては無駄」だと一切の身動きをとらなくなってしまうのです。


では、どうして「自分」を放棄せずにいられたのか?
それは彼らが「内面化」し、自分自身という「かけがえなさ」と向き合ってきたからにほかなりません。
本書ではフランクルが精神科医として囚人たちの心にささやかなあかりを灯したエピソードが綴られています。


「この各個人が持っている、他人によってとりかえられ得ないという性質、かけがえないということは、――意識されれば――人間が彼の生活や生き続けることにおいて担っている責任の大きさを明らかにするものなのである。
待っている仕事、あるいは待っている愛する人間、に対して持っている責任を意識した人間は、彼の生命を放棄することが決してできないのである。」


フランクルは絶望に打ちひしがれる囚人たちにそれぞれの「かけがえのなさ」を伝え、そして彼らがこれまで生きてきた「体験」は誰にも奪われないこと、そして今が絶望的な状況であってもわたしたちの「かけがえのなさ」は変わらないということ、彼らが今感じる苦痛を「愛する人間の代わりに受けているのだ」と犠牲的に(でも前向きに)受け入れることができることを伝えたのです。


この先の未来がどれだけ絶望的であっても、すべてを奪われたとしても、「自分自身」は誰にも奪われないし、自分が「どういう態度で生きる」かも誰かに強制されることはない。
フランクルはそのように言って囚人たちに生きる気力を与えたのです。


『夜と霧』がどうしてこんなにいろんな人からおすすめされたのか、
この箇所を読んでよくわかりました。


ブログタイトルはフランクルが引用したニーチェの言葉です。
「私を殺さないものは私を一層強くさせる」
収容所生活において「自分」を放棄しなかった人々は、自分という「かけがえのなさ」を改めて強く感じたことだろう…と想像します。


わたしは上の言葉を
どんな状況においても、諦めさえしなければ、人は「自分」として生きることができるし、苦痛さえも「自分の人生にとって意味のあるものだ」と思うことができる。
そして、諦めなかったことでさらに「自分」という存在の価値を感じ、「自分」として生きる意志がさらに強くなるのだろう、と解釈しました。


なんて力強い言葉なのでしょうか。
フランクルの体験に比べれば、自分が経験してきた「苦労」は足元にも及ばないことはわかりつつも、わたしは『夜と霧』を読んで、それなりに苦労してきた過去の経験を「浄化」させることができました。


詳しくは書きませんが、
自分はこんなに苦労しているのに、、と
他人を妬んだ日もありました。
(数えきれないほどに。笑)


でもわたしはそうした苦労があったからこそ強くなったし、
遠回りしながらでも自分の「かけがえのなさ」を見出すことができたのです。


今までずっと過去の経験を
浄化(または昇華)できずにモヤモヤしていたのですが…20代最後の日にようやくスッキリすることができました。
とても尊い一冊でした。


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