こんにちは!!
読書納めは芥川賞候補作です。
デッドラインとは、本作では「締め切り」とか、越えては行けない「死線」という意味で使われています。
今日が読書の締め切りのわたしにとって、この言葉がいつも以上に重く響きます。笑
千葉雅也『デッドライン』は、大学院生の「僕」の切実な内省の物語だと読みました。
この物語では、フランス哲学を研究している「僕」、ハッテン場でイケメンを捕まえようとする「僕」、同級生や家族らと会話する「僕」など様々な場面が切り替わりながら「僕」の日常が描かれます。
「インテリっぽい言葉のカッコよさにー内容は二の次でー憧れて」(26頁)哲学の道に進んだ「僕」は、修士論文で思わぬ苦戦を強いられます。
これまで研究を深めてきたと思っていたものが、思うような形にならない。指導教官から思考のヒントを得ても、その思考は謎を呼び、袋小路に入ってしまった感覚ばかりがある…。
まるで「僕」の思考が答えを求めてさまようように、この物語では場面があちこち切り替わります。
「僕」は自分がゲイであることを周りにカムアウトしていて、人間関係にはそこまで苦労しない日々を送っていますが、ごくたまに自分のアイデンティティを揺るがすようなことを言われ、腹立たしい気持ちが湧きます。
そのたびに「僕」は自己を振り返り、自分のなかにある「普通の男性」への憧れや欲望に触れ、反転して自分の潜在的な「女性性」を自覚します。
けれどそれと同時に「普通の男性」にもなりたいという欲望があることにも気づき、「僕」は自分の「核」のようなものに触れられずに困惑してしまいます。
その困惑は修士論文にそのままあらわれ、「僕」は完全に行き詰まってしまいます。
思考を切り替えようとゼミの同期や中学の同級生に救いを求めても、自分の「核」には至らない。
不安と焦りばかりが募るなか、「デッドライン」は確実に迫ってきていて…。
抽象的な表現の意味づけをしようとあれこれ考えるのだけれど、思考が堂々めぐりしているようにしか思えず、ああでもないこうでもないとやっているうちに締め切りがきてしまう…
という状況が学生時代のわたしにもあり、心から共感しながら読みました。
結局その時は不完全燃焼のまま発表し、冷や汗とあぶら汗をかきながら質疑応答の時間(えらく長く感じました)を過ごしたのですが、その時の緊張で死にそうになる感覚は未だに忘れられません。
この物語では「デッドライン」を越えてしまうのですが(その時の感情を想像するだに死にそうになります…)、その先の「僕」の内省が描かれていたのが救いだと感じました。
「僕」は「デッドライン」を越えて、「すべてをやり直さなければならない」(158頁)と自覚します。
「僕」は「デッドライン」を越えてはいけない、と意識していたのですが、それは一方で自分のなかで「越えてはいけない一線」を作り上げていたということでもあったと気づきます。
自分で自分の可能性を「閉じていた」ことに気づいた「僕」は、すべてをやり直すことで自分の可能性を開こうとしたのではないか、と最終部を読んで思いました。
千葉雅也『デッドライン』は抽象的で哲学的な言説(インテリっぽい言い回しを使いたくなる!笑)が多い物語でしたが、それゆえに「僕」の真面目さと切実さが際立ち、すごく人間らしいなぁと感じた物語でした。
作中で修士論文のある一節に対して「僕なりに引き受ける」(134頁)と語る場面があります。
哲学的な問題を自分自身の問題として引き受ける、という文脈で使われているのですが、「僕」はその問題を引き受けきれずに「デッドライン」を越えてしまいます。
自分自身の問題と向き合うためには、自分のなかで一線を引くのではなく、まずそのままの自分を受け入れることが重要なのではないか。
「僕」は物語のなかでこのように結論付けたのだと感じました。
不勉強なためにどうしても月並みな考えに着地してしまうのですが…千葉雅也『デッドライン』は切実な自己内省の物語として興味深く読み終えました。
わたしは自己内省の物語がすごく好きです。
自分を生きることと真摯に向き合う様子が描かれているのを読むと、自分も頑張らないと、と思えるからです。
年の瀬に素晴らしい作品を読むことができました。
読書納め完了!!
