海外文学を手に取りました。
ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』(新潮文庫)
意味深なタイトルの表題作ほか8編の短編小説集です。
この物語集をどのようにあらわすかすごく迷ったのですが、
「“語らない”ということの美しさ」が際立っている一冊だと感じました。
たとえばこのような一節。
「二人で泣いた。知ってしまったことに泣いた。」
(36頁「停電の夜に」)
この文章の背景にどんな感情が渦巻いていて、どんな「書かれなかった物語」が繰り広げられたのだろう?
ページをめくる手は止まり、ちょっと頭の中でイメージして、自分が勝手に想像した物語で感傷に浸り、しばらくしてふたたび物語世界に戻り…。
という感じで読み手に「書かれなかった物語」を想像させる名文が散りばめられているのです。
各編のあらすじを簡単に紹介します。
「停電の夜に」
停電の夜にひとつずつ交わす“打ち明け話”の物語。
結婚して3年、すれ違いが続いていた夫婦は、停電の夜だけはそれぞれの打ち明け話に耳を傾けるのだけれど…。
「ピルサダさんが食事に来たころ」
故郷のインドから遠く離れたアメリカで捧げられた小さな祈りの物語。
両親と同郷のピルサダさんが食事に来たころ、食卓は平和なのにテレビ越しにはパキスタン内乱で故郷が危ういというニュースが流れ続ける…。
「病気の通訳」
観光ドライバーをしているカパーシーは、患者の痛みを医者に伝える「病気の通訳」もしている。
とあるアメリカ人家族を乗せたとき、妻が「病気の通訳」業に興味を持ち、突然ひとつの秘密を打ち明け出す…。
「本物の門番」
階段掃除のブーリー・マーの見栄と悲劇の物語。
没落した今を嘆き、昔は豪華な暮らしをしていたとうそぶく姿にアパートの住人たちは同情の目を注ぎ、ブーリー・マーを階段下で寝泊まりさせ「本物の門番」として扱っていたのだが…。
「セクシー」
セクシーの意味は、妻子がいるにもかかわらず「知らない人を好きになること」…。
図らずも愛人の立場を選んでしまったミランダの孤独と苦悩の物語。
「セン夫人の家」
異文化を噛みしめるアメリカ人少女の物語。
預けられた先のインド人夫婦のセン夫人はインド流の内装、お菓子、料理にこだわりがあり、車の運転が苦手で、故郷への思いの強い人なのだけれど…。
「神の恵みの家」
ヒンドゥー教の夫婦が引っ越した先は、キリスト教の「痕跡」が色濃く残る家だった。
若い妻は「神の恵み」を喜ぶものの、夫は困惑と苦々しさを隠せずにいて…。
「ビビ・ハルダーの治療」
生まれて29年のほとんどを病床で過ごしたビビ。
周りから手の施しようがないと思われていたのだが、ある日医者から「結婚すれば治る」と言われ…。
「三度目で最後の大陸」
インドからイギリスへ、そしてアメリカへ出てきた「私」は、ある老婦人の家に下宿する。
妻がカルカッタからアメリカへ来るまでの一時的な下宿生活だったけれど、老婦人との暮らしは忘れられない思い出となっていて…。
物語の舞台はほとんどアメリカですが、インド文化、宗教、情勢などが細かく書かれていて、当たり前のことですが日本とは全く違う文化に触れて新鮮な気持ちになりました。
(そしてスパイスカレーが食べたくなりました。笑)
文化は違えども、心模様は万国共通。
「言外の苦しみ、悲しみ」が際立つ描写に痺れながら、書かれなかった物語を想像し、行ったことのないインドの街並みを想像しました。
物語だけでなくたくさんのイメージや感情で胸がいっぱいになり、読み終わるとなんだかものすごく分厚い小説を読み切ったときのような充実感がありました。
もうひとつ好きな一節を引用します。
「どれだけ普通に見えようと、私自身の想像を絶すると思うことがある。」(319頁 「三度目で最後の大陸」)
これも「書かれなかった物語」を想像させるのですが、
自分がこれまで歩んできた道のりはありふれたものかもしれないけれど、
よくよく振り返れば思った以上に濃密な道のりだったのだ
と解釈すると自分にも当てはまる気がして、思わぬギフトをもらったような、嬉しく前向きな気持ちになりました。
濃密で、複雑で、ちょっと甘くて
お腹にどしんとくる、スパイスカレーと同じくらい
大満足のインド系文学作品でした。
休日のリフレッシュが完了したところで
明日から仕事がんばります(遠い目)。
