直木賞候補作を読み進めて4冊目にして気づいたことがある。
人の心をとらえて離さないものが、こんなにも物語を、人生を「深い」ものにするのかということだ。
「人の心をとらえて離さないもの」とは、人それぞれ、いろいろある。
幾多の苦難を乗り越えた先に見つけた恋心とか、シニアになっても枯れない承認欲求とか、タブローの美しさとか。
彼らはそれぞれの人生で「それら」の存在に思い至り、熱狂し、そしてひとつの物語をつくる。
読者であるわたしはその完成された物語を読んで、彼らの熱を味わい、そして憧れるのだ。
わたしにとっての「人の心をとらえて離さないもの」は、たぶんきっと「物語」なのだと思う。
それは本作の主人公・近松半二とおんなじだ。
大島真寿美『渦 妹背山女庭訓 魂結び』は、芝居に心を奪われた人形浄瑠璃作家・近松半二の生涯を描いた物語だ。
歴史上に名を残す浄瑠璃作家と言えば、近松門左衛門である。
受験なんてとうの昔すぎてほとんど忘れてしまったわたしですら、聞いたことのある名前。
本作は近松門左衛門亡き後、門左衛門のすずりを受け継いだ主人公が近松の名を頂戴し、作家として大成していく。
半二が芝居にのめり込むようになったのは父の影響だった。
無類の芝居好きだった父は、芝居小屋に半二を連れ歩くようになり、半二は芝居の「英才教育」を受けたような形でどんどんのめり込む。
当時の芝居は歌舞伎と人形浄瑠璃のふたつが中心だったが、人形浄瑠璃の劇場である竹本座と父が親しかったことから、半二は人形浄瑠璃作家の道を志すようになる。
いくら芝居の世界と近しいところに居たとは言え、すぐに一人前になれるものではない。
母親は行く末を案じ芝居小屋に近づかせまいとするのだが半二は言うことを聞かず、ついに勘当されてしまう。
その後、作家としてようやく名を出すようになるまでに数十年の月日がかかる。
相当の辛苦を味わいながら暮らしてきた半二だが、芝居が心の支えとなり、いつまでも頭の中は作品の構想を練るのに忙しいのだった。
この物語では、半二の生涯とともに、芝居にのめり込むあまりに「虚」の渦に呑み込まれてゆく人々の生き様が描かれる。
喜寿を超えて身体が動かなくなっても人形浄瑠璃はもっと良くなる、と叫び続ける老爺や、作品を生み出すプレッシャーで酒びたりになってしまった作家が半二のまわりには数多く居た。
「人の心をとらえて離さないもの」があるということは、必ずしも幸福を招くことではない。
そのもの自体にとらわれ過ぎて人生のバランスを崩してしまったり、自分自身との戦いという塗炭の苦しみを味わうことになったりする、おどろおどろしい面もあるのだ。
この物語では、「人の心をとらえて離さないもの」の魅力と、その反面と、それらを受け入れて生きようとする半二の「覚悟」が描かれている。
もう、どうしたってこれなしでは生きられないのだ。
そうであるならば、傑作を書くしかない。
半二はそう腹をくくり、ひとつの物語を生み出すのだった。
この物語を読み終わり、わたしは深くため息をついた。
半二の人生を味わって、お腹いっぱい。そんな気持ちだった。
たとえ結末がハッピーなものでなかったとしても、半二の人生は色鮮やかで味わい深いものだった。
そんな人生を送れたら、最期がどうであれ、きっと「生きたなぁ」としみじみ思えるのではないかと思う。
いや、最期があまりにも悲しかったらそんな余裕はないかもしれないけれど。
でも、やっぱり、「人の心をとらえて離さないもの」は、ないよりあった方が良い。
そんな風に、改めて強く思わされた作品だった。

