「これが僕の天職ですね」
こないだ会った生命保険のおにいさんはわたしに向かって淀みなくそう言った。

なんでこんな話になったのかはわからないけれど、とにかくおにいさんはこの仕事に誇りを持っているとはっきり言って、営業スマイルの端から嬉しさを滲ませていた(ように見えた)。

わたしはおにいさんの表情をじっとながめて、この人は心からそう思っているんだと確認して、感心した。

天職に巡り合えた人に出会うといつもハッとさせられる。
同時にわたしは何をやってるんだろうと自分を責める気持ちがあらわれる。

自分の本心がどうであれ、縁と成り行きと責任感だけで社会人はやっていけてしまう。
もちろん、人ぞれぞれ生き方があるのだからそれが悪い生き方ではないし、天職で壁にぶつかって苦しんだり挫折してしまう人もいるだろう。

でも天職の苦しみはわたしにとってどこかキラキラしているように見え、苦しんでいる姿をついうらやんでしまうのだ。

このじりじりした気持ちは自分がこれまで自分に向き合ってこなかったツケなのかもしれない。

医師という職業は「これぞ私の天職!」と思えないとどうにもしんどそうだと知念実希人『ひとつむぎの手』を読んで思った。

知念実希人『ひとつむぎの手』の舞台はとある大学病院の心臓外科。

心臓外科は外科の中でも深刻な病状の患者が多く、手術も高難易度の技術が必要な職場だ。

医師としての遣り甲斐はあるけれど呼び出しや泊まり込みが頻繁にあり、あまりの過酷な労働状況に人が定着せず他の科に比べて圧倒的な人手不足に悩まされていた。

主人公はその心臓外科に勤める医師・平良祐介。

平良は一流の心臓外科医になるべく激務に耐え続ける日々を送っていたが、キャリアが足踏みしている状態にやるせない気持ちを抱えていた。

ある日平良は心臓外科のトップ・赤石教授に呼び出され、とある指令を言い渡される。
研修医の3名の指導をすること。そしてそのうちの2名を心臓外科に入局させること。

この指令を果たせばキャリアの道が開かれるとほのめかされた平良は二つ返事で受け入れたが、この指令は困難を極めるもので平良は頭を抱える。

やってきた研修医は、体育会系の郷野、研究者気質な牧、小児心臓外科への熱い思いを抱く宇佐美の3名。タイプの違う彼らの扱いに悪戦苦闘するなか平良にさらなる指令が言い渡される……。

『ひとつむぎの手』は医療ミステリーとヒューマンドラマが絶妙に配合された徹夜本(一晩で読んでしまった)だった。

本書の魅力はとにもかくにも「読みやすさ」だ。

専門用語がたくさんあるのに恐ろしいくらいにつっかかりなく読める。
医療シーンできちんと説明すべきところと専門用語で突っ切ってしまうところの判断が巧みで、ど文系の門外漢でもつるりと読めてしまうところはむしろ少しあっけない感じがした。

しかし「音を語る」ことと同じく専門的な場面を活字のみで語ることの難しさを想像せずにはいられない。わかりやすい文章の裏にある読者を置いてきぼりにしない著者の配慮を強く感じさせられた。

冠動脈バイパス手術がどれほど繊細で高難易度の手術なのかや手術シーンの緊張感は手に取るようにわかったし、一分一秒を争う医療現場の過酷さを目の当たりにし、医療関係者の責任の重さに改めて敬服した。

そしてなぜ平良が激務の心臓外科で働きつづけるのか、医師という仕事に対する信念や登場人物それぞれの想いに触れる場面もあり、彼らが葛藤する様子に胸を打たれた。クライマックスではつい涙してしまった。

医療ミステリーらしく自分の利益しか考えない人物も登場するが、『ひとつむぎの手』では登場人物全員が自分の役割や使命を忠実に果たし、ひとりでも多くの人の命を救おうと力を尽くす。

「ひとつむぎの手」を持つ彼らの仕事(読者をつないだ著者自身も)ぶりに敬服するばかりなのだが、全力を尽くした故の清々しい疲労感とその裏に見え隠れする誇りに惹きつけられ、そして強く憧れてしまうのだった。

職人技(医師の技も小説の技も)に感嘆しっぱなしの一冊だった。