とうとうこの季節がきました!↓
日本文学振興会@shinko_kai
第160回芥川龍之介賞の候補作は、以下の6作です。上田岳弘「ニムロッド」(群像12月号)鴻池留衣「ジャップ・ン・ロール・ヒーロー」(新潮9月号)砂川文次「戦場のレビヤタン」(文學界12月号)(続く)#芥川賞
2018年12月17日 05:00
日本文学振興会@shinko_kai
(続き)高山羽根子「居た場所」(文藝冬季号)古市憲寿「平成くん、さようなら」(文學界9月号)町屋良平「1R1分34秒」(新潮11月号)#芥川賞
2018年12月17日 05:00
この一ヶ月間はたけしまの趣味である「芥川賞・直木賞予想」に全力を注いでいきたいと思います。
たまたま買っていた文芸誌に候補作があったので(ラッキー!)、さっそく芥川賞候補作の読書感想文を更新していきます。
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芥川賞候補作の砂川文次「戦場のレビヤタン」(文學界12月号)は日本人のKが紛争地域で傭兵として任務に就く日々が描かれた物語。
Kは日本で自衛隊幹部として北海道に駐在していたのだが、ある時中東の紛争地域の警備員として”転職”を果たす。
Kが紛争地域へ行こうと決意したのは、正義のためではなく、紛争地域に思い入れがあるというわけでもなく、日本という安全な環境で「ある程度予測できる未来」を感じながら生きていくのが苦痛になったからだった。
現場はいつどこで「死」がおとずれるかわからない。
異国の同僚に囲まれ、緊張感のある日々を送りながら任務を全うするKだったが、緊張状態のさなかでもKは日本にいたときに抱えていたある気持ちを思い出してしまい、Kはやるせない思いを抱くのだった……。
読み終わったあと、ものすごくむなしい気持ちになり、人生最大の「敵」について考えさせられた。
ある気持ちとは、
退屈、という気持ちだ。
人間は何のために生きているのだろう? という問いは壮大すぎてなかなか答えられないけれど、「戦場のレビヤタン」を読んで、人生最大の敵は「退屈」かもしれないと思った。
どうして学校でいじめが起きるのか? という問いに「だって暇だから」というものがある。もしかしたら戦争もそれに似ているかもしれない。
自分が心から打ちこめるものが平等に与えられていたら良いものの、世の中そんなわけがなく。
そして「暇だ、退屈だ」と感じる時間の中で、仕事が嫌だ、合わないと愚痴をこぼしてみたり、自分ではない誰かをうらやんだり嫉妬したりして「争い」の種をまき散らしているのではないか。
争うことにはっきりとした理由なんてなくて、ただその「退屈」の延長線上に伸ばしていったものが戦争なのではないだろうか。
Kは日本とは格段に緊張感の漂う現場にいながら、時折日本にいたときと同じような退屈さを感じてしまう。
そしてその間にいまの任務の緊張感、敵、日本のこと、同僚のことなどを思いめぐらせ、生きることのやるせなさに打ちのめされてしまうのだった。
「人を殺めたり、死をひた隠しにしたりする連中というのは、巨大資本でもマネーそのものでもない。そんなものは元から存在しないのだ。あるのは、ただそれらがあって欲しいと願う確固の思いだけであり、そしてそれこそが、その集合体こそがレビヤタンなのだ。恐ろしいことに、自らが生み出したと、願ったと思っていたものはそんな意志とは関係なく、自らとは遊離していき、水滴が集まり一塊になるがごとく、累積的に膨れ上がっていく。」(124頁)
実際の「敵」は人間じゃなくて、人間が作りだしたまぼろしのような思念の集合体。
それに向かって自分の生死をかけて戦うなんて。
これが「戦争のリアル」というやつなのだろうか。
だとすれば、Kのおかれた環境はなんて残酷でむなしいところなのだろう。
読み終わって、あまりのむなしさにしばらくうなだれてしまった。
結末では「レビヤタン」というまぼろし(わたし的には「夜のシシ神」のようなイメージ)が気まぐれにあらわれた地域で紛争が起きているように描かれ、それが無力感を際立たせていた。
人生最大の敵は、仕事でも、世の中の不平等でも、憎っくきあいつでもなく、「退屈」という感情だ。
そのことをこれから忘れないようにしたい。打ち込めるものがあることに感謝して生きていきたい。
わたしはKの心境に心から同情する。
もはや「習性」というものでしか動いていないKの生き様は、わたしに大きな教訓を与えたのだった。


