岸政彦「図書室」を読んでいると、子どものころによく作っていた秘密基地を思い出す。

地元の北海道は、自然だけはこれでもか! というくらいに豊富にあり、家の近くにちょっとした庭がたくさんあった。
庭と言っても小ぢんまりしたものではなく、もはや「小さい森」だった。わんぱくな男子なら一度は登っただろう大きな木がうっそうと生い茂り、小さな池があり、池の上には木でできた橋がかかっていた。

小学生のときは役場の近くにある庭がお気に入りで、仲良しの子(誰だか覚えていないけど……)と「陣地」を決めて、ここからここまではうちらの秘密基地にしようねー! と言っておままごと遊びをした。

その秘密基地は冬になると一面雪に覆われて「オフシーズン」になってしまうため、冬は家の前でちいさなかまくらを作って中にこもって過ごしていた。ひとりで作ったためどう頑張っても腰までしか入らないようなかまくらしか作れず、かまくらに入ったものの何もすることがなく寒さにも耐えられなくて10分くらいでギブアップして家でココアを飲んで温まっていた。

そのうち外に出るのが億劫になり、友だちづきあいも上手くできなくなり、わたしの秘密基地は小さな森から一冊のノートになってノートに自作の少女漫画(最後までストーリーを練る集中力がなかったため、すべて描きかけだった)を描きストーリーの世界に逃げ込むようになったのだが、「図書室」を読んでいるとそういう秘密基地を作りたい時期は誰にでもあって、庭でもノートでもとにかく自分の「陣地」を決めて子ども時代を過ごしていたのかもしれない、と思った。

この物語における秘密基地は、表題のとおり「図書室」だろう。
大阪市内に住む小学生の「私」は母親と二人暮らしで、母親が夜の仕事をしていたため必ず家でひとりきりになる時間があった。

「私」は3匹の「半野良」猫と一緒に住んでいたため猫とたわむれて過ごせばそこまでさみしくなかったし、母も愛情込めて育ててくれたので生活に不満を感じることはほとんどなかった。
平日はまだよかったが、土曜日は「半ドン」で午前中だけ学校があったため「私」は友だちと遊んだり公園に行ったりしていたのだが、ある日から近所の図書室に通い詰めるようになる。

「私」は図書室の本に釘付けになり、本を読んで時間をつぶすようになる。ある日いつものように本の世界に没頭しようと図書室に足を運ぶと、同い年らしき知らない男の子がむさぼるように本を読んでいて「私」はびっくりする。それまで男子はわんぱくな人種だと思い込んでいて、図書室にいる男の子のようなタイプを見るのがはじめてだったからだ。
それから「私」と「彼」は少しずつ打ち解け、図書室に来るたびに話すようになる……。

この物語は50歳になった「私」が子ども時代を回想する形で進んでいく。
読みながら、地元にあった公民館の図書室と少年少女の性愛のない結びつきに懐かしさを覚えた。
「私」の現在の状況がさみしげに語られるため幼少期の思い出が余計にきらめいて感じられる。こういう男の子に出会いたかったなぁ、とわたしもつい思う。

図書室で出会った「私」と「彼」は次第に人類滅亡について話し合うようになっていく。
人類滅亡の「その日」を思い浮かべて生活のシミュレーションをするだが、そのシミュレーションではふたりだけが残された設定で、食べ物や着るものはどうするか、家事はどうするか、子孫は残すのか……などについて話し合い、人類滅亡の話はどんどん熱を帯びていく。

一昔前に人類滅亡系の映画が流行ったよなぁ~とぼんやり思いながら読み進めているときに、わたしはこの物語には不思議な力がひそんでいることに気が付いた。

この物語を読んでいると、勝手に自分のノスタルジーが引っ張り出されてくるのだ。

「私」「彼」「母」など固有名詞ではない一人称が用いられていることが大きな要因だと思う。
大阪に住む母子家庭の少女、という設定があるにもかかわらず、わたしは「私」の物語としてどうにも読み進めることができないのだ。

わたしは主人公の「私」に共感し、「私」と「彼」が醸し出すかけがえのないものを必死に守ろうとする純真な気持ちに心打たれ、さみしい現在との対比に過去への切なさがさらにこみ上げる。

そして自分のころは……と冒頭でつい自分語りを始めてしまったように、自分の過去を思い出し物語世界から脱線し、おっとっと、と思ってまた戻る、みたいなことを繰り返してようやく読み終わることができたのだった。

途中で「私」が自分自身にすり替わるのか、スッといなくなるのか……この感覚は不思議なものだった。
不思議だったけれど、すごく後味の良い物語だった。

大人からしたら「なにそれ?」と鼻で笑われそうなものを守っていたよなぁ。
あのころの純真な気持ちはよかったなぁ。

そう心から思った素敵な物語だった。