| 女ぎらい ニッポンのミソジニー [ 上野千鶴子(社会学) ] 1,620円 楽天 |
職場の飲み会で、あまりのしんどさに泣きながら帰ったことがある。
社会人2年目~5年目くらいまで「営業職の女」だったときがあり、そのときの部署の上司と久しぶりに飲んだときだった。
メンバーは50代男3人と20代女(わたし)ひとり。全員の共通点は取引先エリアが同じだったこと(同じ“シマ”というやつ)。
そのときはわたしはすでに「事務職の女」に異動していて、「あの頃はあんなことがありましたね~」的なゆるい感じで会話に入っていた。
話しながら過去のことをどんどん思い出し、笑える過去もあれば笑えない過去もあることを思い出した。
そこからどんどんしんどくなって、上司たちに会話を合わせるのが無性にしんどくなって、帰り道にひとり泣いてしまったのだった。
そのときはなんで泣いてしまったのかよくわからなかった。
嫌なことを思い出したくないという防御本能なのか? などいろいろ考えたが原因がはっきりしなかった。
それからずっともやもやしていて気持ち悪かったのだが、日常に戻ればもやもやも忘れ、いつの間にか自分の中でなかったことになっていた。
けれど、なかったことになっていただけで、自分の中で消化されたわけじゃなかった。
こないだも前述と似たような飲み会があり(メンバーは別の人だったが)、過去の話をしなかったのでわりと楽しかったのだが、やはり最後の方で気持ち悪いもやもやが残った。
なんだろうこれは。
2回も似たようなもやもやが残ったことで、もうすこし真剣に考えようと思った。
どういうときにもやもやしたか。
なんで「気持ち悪い」感じや「しんどい」感じ、嫌悪感・拒否感が芽生えたのか。
最近職場から2~3駅分歩いて帰るのがくせで、てくてく歩きながら考えた。
考えて、ひとつ辿り着いたのが「社会に合わせられる女性」を「試される」瞬間があったからかなぁ、ということだった。
それはセクハラパワハラ的な強要ではなくて、無言の圧力、「試されている」感じだった。
立場もあるし、上司の会話に合わせて相づち打っておかなきゃ。
話を聞きつつ、お酒がなくなりつつあったら「次何飲まれますか~?」ってメニュー差し出さなきゃ。
つまんないとか、しんどいとか思われないようにふるまわなきゃ。
女性らしい「気配り」を見せなきゃ!
これはわたしが思う「社会に合わせられる理想の女性像」で、飲み会の場ではそれを必死にやろうと思っていた。
のだが、それをやろうとして、途中からしんどくなってしまった。
誤解をおそれず、何か言われる覚悟をして言うならば
「なんでこんなことしなきゃなんないの?」と、途中から思えてきてしまったのだった。
一度そんな風にポッと火がつくとその思いはなかなか消えず、
とは言え社会人なのでいきなり帰るわけにもいかず、終わった後にひとり泣いていたのだった。
その涙は、そういう風に思ってしまって「理想の女性」になれなかった自分のくやしさなのだと思った。
「女性差別」「ミソジニ―(女性蔑視)」について、これまで明確に意識したことはなかった。
それは昔に比べればすごく恵まれたことで、多くのフェミニストたちが望んできたことなのだと思う。
けれど、わたしの場合はミソジニーがなくなりつつあることを言っているのではなくて、母子家庭だったり、田舎出身だったりしたためにたまたまそういう場面に出くわさなかっただけだった。
それをこないだの飲み会で強く感じたのだった。
わたしはここでフェミニズムをきちんと学ぶ必要がある、と思った。
というか、学生のときにフェミニズムをもっと学んでおくべきだった、と反省した。
著者のプロフィールについては言うまでもないだろう。
本書は日本にはびこるミソジニーの歴史をひもとき、秋葉原無差別殺人事件、東電OL事件、春画、皇室、婚活などさまざまな事件や仕組みにはびこるミソジニ―を解剖した一冊だ。
本書を読みながら、なんでもっと早くから読んでおかなかったんだろう……とふたたび反省した。
わたしが飲み会の場で抱えたしんどさも、自分のミソジニー(自己嫌悪)の一種だと思ったからだ。
「女」は「男」と対等でいられず、常に「男」の尺度で「女」の価値が決まり、その価値観が日本中を覆い、現代まではびこっている。
その歴史がよくわかり、自分の抱えたものはあきらかにミソジニーだとよくわかった。
もう、わたしは「社会に合わせられる女性」になりたくないんだと思った。
わたしが思う「社会に合わせられる女性」とは、「男社会に順応できる女性」だったからだ。
こないだ後輩(女性ふたり)と飲んだときに、ミソジニーの話題になったことがあった。
わたしは「女の子要員」的な立場に疲れたという話をしたら後輩A子は「男なんてそんなもんだと諦めている」と言い、割り切ってあしらうのが一番だと言った。
それもひとつの手段だと思った。いちいちミソジニ―に怒っていたってキリがないし、コスパが悪い。自分が損するだけだ。
「何を今さらそんな風に過剰反応してるの?」
きっとこの記事を読んでる女性の方にもこう思う方がたくさんいるだろう。
たぶん、割り切るとかスルーするとか、やろうと思えばできると思う。
でもたぶんわたしはまだその段階じゃない。
まずははっきり自分の位置をあきらかにして、それからどうするか考えたい。
決して模範的ではなかったけれど、わたしもそれなりに順応しようとしたと思う。
営業職の女としての、4年半だけだけど。
本書を読んで、改めて今後そういう環境には身を置きたくない、と再確認することができ、わたしはわたしのやり方で前に進んでいくしかないと思った。
本書のこの箇所が心強かった。
人は「女になる」ときに、「女」というカテゴリーが背負った歴史的なミソジニ―のすべてをいったんは引き受ける。そのカテゴリーが与える指定席に安住すれば、「女」が誕生する。だが、フェミニストはその「指定席」に違和感を感じる者、ミソジニ―への「適応」をしなかった者たちのことだ。だから、ミソジニ―から出発しなかったフェミニストはいない。フェミニストであるとは、このミソジニ―との葛藤を意味する。(中略)
ときたま「わたしは女だってことにこだわったことなんて一度もないわ」とうそぶく女がいるが、「わたしはミソジニ―との対決を避けてきた」と翻訳するのが適切だろう。
「女」という強制されたカテゴリーを、選択に変える――そのなかに、「解放」の鍵はあるだろう。
引用の通り、現代社会はミソジニ―からの「解放」には至っていない。
本書は2013年刊行のものだけれど、「一昔前のことだな~」とは読めず、それはすごく残念だった。
きっとわたしはこれから本書を何度も読み返すことになるだろう。
わたしは「女」ではなく、「妻」でもなく、「母」でもなく、「わたし」の人生を歩みたい。
結婚しないとか子どもを産まないとかそういうことではなく、わたしが、わたしの価値で、わたしの人生を選択していきたい。
そう再確認することができた一冊だった。
いつか本書を読み直して「こんな時代もあったよなぁ!」と懐かしめるようになりますように。
最近文庫が出たみたいです、興味を持たれた方は文庫がおすすめ!
たけしま まりは'18@mrn123mrn
4年半くらい「社会はそういうもんなんだ」って我慢して消耗してた過去があるからこそ今はあらゆる「そういうもん」に対して「本当にそうか?」って強く思いたいんだと思う。まだ過去のつらかった時期を消化できないでいるなぁ😑
2018年11月12日 04:14
たけしま まりは'18@mrn123mrn
今はありがたいことに苦しい環境から抜け出すことができたから、「わたし」の人生を生き直し(?)ているのかも。いい歳だからとかあんまり気にしなくなってきている。わたしのタイミングで、わたしのスピードで生きていきたい。あえて気にするとしたら基礎代謝量💪
2018年11月12日 06:54

