今日で東京に引っ越して2年が経ちました。
 
「光陰矢のごとし」って、こういう時に使うんですよね。
時間ってまじで光の速さ!
 
これからも、おごらずサボらずコツコツと本を読み、文章を書き続けていきたいと思います。
 
……と言いつつ、年間読書目標150冊がだいぶ厳しい見込みです。汗

今日現在で86冊の本を読みました。
目標の150冊まで、あと64冊。
2018年が終わるまで、あと92日(今日を含む)です。
 
……だいぶやばい。
やばい。やばい。やば……滝汗
月20冊以上読まないと目標には及ばない事態になりました。
 
諦めたらいかん。
いかんのですが、だいぶ弱腰……。
改めて数字を書くことでだいぶ気持ちが引き締まったので、心機一転がんばりたいと思います。
 
個人的なことをつらつら書いてなんやねんってな話ですね。
気を取り直して今日の読書感想文は岸政彦さんの『断片的なものの社会学』です。
 
岸政彦さんは社会学者で、沖縄を中心にフィールドワークをされている方です。
本書は「紀伊國屋じんぶん大賞2016」受賞作で、また別作ですが『ビニール傘』(初の小説作品)では第156回芥川賞・三島賞の候補作にもなりました。
とにかくすごい方だという印象があり、代表作の本書を手に取りました。『ビニール傘』も今度読んでみたいと思います。
 
『断片的なものの社会学』は、タイトルに「社会学」とあるように、「学問」の色合いの濃い一冊でした。
電車でふと知らない人と目が合った、とか
エレベーターに乗り合わせた、とか
そういうありふれた偶然や日常生活の断片について、岸さんが気になったことを書きつづったものです。
 
岸さんははっきりと「これは無意味だ」と意味づけを否定します。
社会学的見地から「〇〇は△△だ」みたいなことをせず、「意味なんてないけどなんか“琴線に触れる”」というようなことについて記録しています。
 
本書をウンウン唸りながら読みました。
……だって、とらえどころがないのだもの。笑
雲みたいな感じで、絶対そこにあるものだということはわかるけれど、かといって日常生活でそこまで気にならない、スルーしてしまいがちなできごとについて語っているから、読んでいる側は「まぁ、そんなこともあるよなぁ……で??」とすぐに「この文章はどういう意味??」という意味づけを求めてしまいます。
 
でも、岸さんはそういう「意味づけ」を否定していて、あるものをあるがままでとらえることの厖大さ、測り知れなさに想いを馳せているのです。
 

今日みたいに天気の良いときについ空を見上げてきれいな雲にじーんとくる、みたいな感じでしょうか。よくわかりませんが。笑 

それでも岸さんの文章には「◯◯学」と名のつくものにありがちな難解な雰囲気や専門用語が多めの「敷居の高さ」みたいなものがなくて、とても読みやすく興味深く読み進めることができました。ひらがなが多いのも読みやすい理由かもしれません。
 
もし大学生だったら、社会学に興味を持ったかもしれません。
 
好きな箇所がいくつかあるので、それを引用して感想文を終わります。

 私たちは神ではない。私たちが手にしていると思っている正しさとは、あくまでも、自分の立場からみた正しさである。これが他者にも通用すると思うのは間違っている。私たちからみて詐欺としか思えないような似非医学にはまっているひとでも、それはそのひとにとって「ほんとうに」必要なことかもしれない。私たちの勝手な視点からみて、とてもひどい状況にあると思うようなひとでも、それはそのひとにとって、「ほんとうの」居場所であるのかもしれない。(207頁)
 
私たちの人生には、欠けているものがたくさんある。私たちは、たいした才能もなく、金持ちでもなく、完全な肉体でもない、このしょうもない自分というものと、死ぬまで付き合っていかなくてはならない。
私たちは、自分たちのこの境遇を、なにかの罰だと、誰かのせいだと、うっかり思ってしまうことがある。しかし言うまでもなく、自分がこの自分に生まれてしまったということは、何の罰でも、誰のせいでもない。それはただ無意味な偶然である。
(222頁)

あと、個人的に、岸さんがパートナーを呼ぶときの呼称「連れあい」がすごく良いなぁと思いました。 
わたしも「妻」や「嫁」(←絶対呼ばれたくない)よりも「連れあい」って呼ばれたい。なんか文学的だし。笑

それではまた更新します!