久しぶりに北海道に帰省。彼の実家におじゃまし、半日間だけ農業を手伝う。

ちょうど枝豆の収穫時期で、出荷のために状態の悪い枝豆を省く作業を手伝った。
ベルトコンベアに流れる枝豆をじっと眺めていたら、枝豆が動いているのか自分が動いているのか一瞬わからなくなって、頭がぼんやりしてきた。
これはダメだ、えっと、これはいいんだっけ、あ、考えてるうちにどんどん枝豆がくる……その時間がもんのすごい延々と続いた。ふだんの仕事でこんなに集中したことはなくて、ふだんの5倍くらいの集中力とエネルギーを使った。半日でバテた。

それでも1日目はまだ達成感と余裕があって、働いたあとのビールはうまい! とか思えたけれど2日目になるとダメだった。
2日目、朝9時からお昼までぶっ通しで作業。集中モードからいきなり我に返り、猛烈に悲しくなって涙が出てきた。

これは困った。なんで涙が出てくるのか自分でも説明がつかなかったから。
涙をこらえながら一生懸命理由を考えたけれど、どうにも他人にわかってもらえない気がする。いやー、わけわからんよなー、どうしよー、あー、なんで泣いてんだろ自分ーという気持ちでいっぱいになってさらに泣けてきた。

農業を手伝おうと思ったのは、彼のご両親と距離を縮めたかったからだった。強制されたわけじゃなくて自主的に申し出たこと。

農業の大変さはわかっているつもりだった。単純作業だからできるっしょ! と舐めてたわけでもない。でも、自分の想像していた以上にエネルギーを持っていかれて、全然頑張れなくて、泣いた。(なぜ!)
涙が出たときに、これまで張り詰めていたものがぷつんと切れて、自分の感情が決壊したみたいに溢れてきて、ドバドバ出てきて止まらなかった。

がんばってその時のことを分析するなら、慣れない環境で「彼の親との距離を縮める」という失敗できないミッションに緊張しつつ慣れない仕事をしたことで疲労がマックスになって、どんな単純作業も耐えられなくなっちゃったんだろうな……という感じ?

べつにご両親が厳しいとかそんなんじゃないし、むしろかなり気を遣ってくれた。
けどその瞬間は何も考えられなくて、とにかくひとりになりたい、自分で言い出したくせに頑張り切れない自分は仕事をやり遂げることも誰かと家庭を作ることも向いてない、ああぁもうダメだぁとネガティブな気持ちばかりに囚われて、ただ泣くしかできなかった。

こうして文章にすると、なんて頭のおかしい奴でしょう。笑
でもそんなときに、
そういうときもあるよ、人間だから。
と言ってくれているみたいに、鬱々としたわたしに寄り添って、慰めてくれたものがあった。

それは彼……じゃなくて実家にいる馬と、島本理生『夏の裁断』だった。

島本理生『夏の裁断』は、作家の仕事をしている主人公の千紘が複数人の異性に翻弄され、暴力的に感情を揺さぶられながらも乗り越えていく物語。

千紘は押しの強い男の人に弱く、いきなり距離を詰めてきたと思えば突き放す、千紘を弄んでいるとしか思えない編集者・柴田に執着してしまう。柴田は千紘の予想をはるかに上回る「暴力」を働き、千紘を追い詰める。
千紘はダメだとわかっていながら、柴田のふるまいに抗えない自分がいることを自覚し、どうにもできないのだった。

柴田との一件ののち、千紘は仕事をセーブしながら祖父の住んでいた鎌倉の家の蔵書の片付けのために「自炊」作業をする。紙の本をデータ化する作業で、装丁を裁断し、機械に通していく地道な作業を続けながら、千紘は自分の感情と向き合う。

その後も千紘は複数人の異性と知り合い、関係を持つ。遊びのような恋だったり、どっちつかずな関係だったり、向こうが自分に好意を寄せてくれているのがわかりながら自分の気持ちはそっちに向かないと気付いたり、千紘は恋愛を通して少しずつ自分の気持ちに正直になっていく。

千紘が最後にたどり着くのが「信じる」ということのかけがえなさで、信じることの大切さを噛みしめる結末に胸がじんわり温まった。

この物語は感情の発露をなるべく丁寧に緻密に描こうとしていて、わたしは読みながら「あの時は言葉にできなかったけれど、こういう風に考えていたのかもしれない」とうなずいた。

やわらかい文章で、壊れやすい飴細工に飾りをつけるように、繊細な心の動きが美しく描写されていた。千紘の立場から描かれているから、決して決めつけだったり強い言葉だったり暴力的な物言いが出てこないところも心地よく、悲しい気持ちのわたしにスッと入ってくる物語だった。

物語内容自体はすごく切なくもろい恋心が描かれているものだったけれど、千紘が少しずつ回復し、乗り越えていく様子が丁寧に描かれていて救われた気持ちになった。

島本理生作品は、一見たよりなく見えるがどんな違和感も見逃さない精緻な文章でつくられたものばかりで、それが弱っている人の心に染み渡る。

作中で「書いたものが、届いてほしい相手に届いてる実感がない」(41頁)と千紘が悩む場面があるのだが、これは著者の心の声でもあるのだろうか、とふと思った。
わたしは届いてほしい相手に入るのかわからないし、むしろ褒めたりけなしたりする一部の大人の側にいるかもしれないけれど、弱ったときの救いになった、ということだけは著者に伝えたくなった。


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台風、お気をつけください。