しんせかいしんせかい
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芥川賞・直木賞受賞作予想という趣味をはじめたこともあり、これまでの芥川賞・直木賞受賞作をこつこつ読み進めている。
今回は第156回芥川賞受賞作の山下澄人『しんせかい』。
 
読み進めると、どこか懐かしい感じがした。
『しんせかい』は19歳の青年「山下スミト」が家に間違って投函された新聞の募集広告を見て、俳優・脚本家の養成学校に通う物語。
山下は関西人だが、養成学校ははるか北の大地にある。
そこでは俳優・脚本家を志す同期生と2年間共同生活をしながら、自給自足の生活と俳優・脚本の勉強をする。
その養成学校は【谷】と呼ばれ、養成学校を運営する有名脚本家は【先生】と呼ばれた。
 
まだ雪の残る春に【谷】にやってきた山下は、同期生や先輩たちと協力しあって【谷】の環境を良くしたり、【先生】の授業を受けたりしているが、いまいち本気になれないでいる。
北の大地の気候や共同生活を新鮮に感じつつ、山下は他人事のような気持ちがいつまでも抜けないのだった……。
 
19歳の若さと生活の「物足りなさ」が絶妙に描かれた作品だった。
この「物足りなさ」をより醸し出しているのが【谷】での原始的な生活だ。
 
この養成学校では授業料や生活費がかからない代わりに、農家の手伝いをしたり、【谷】の増築・改修の作業をしたりして自給自足の生活をしなければいけない。
こうした原始的な生活が演技や脚本に活かされるだろうというねらいがあってのことなのだが、そもそも俳優の志の薄い山下にとっては「物珍しさ」や自給自足の生活の過酷さばかりに気を取られてしまうのだった。
 
わたしはこの【谷】と【先生】を知っている。
この地域に18年住んでいた。
 
著者の山下澄人は富良野塾の2期生で、『しんせかい』は著者の実体験がベースになって描かれている。
富良野というとやはりラベンダー畑が有名な観光地のイメージを持たれるけれど、『しんせかい』にはラベンダーのラの字も描かれない。
もちろん物語内で【谷】が富良野だと示されるところはないからわざわざラベンダーを描く必要もないのだが、出身者のわたしとしては富良野をラベンダー以外の観点から描いてくれたことがなぜだか嬉しく感じたのだった。
 
富良野は確かに観光地で、移住してくる人もけっこういるし、自然ばかりののどかなところではあるのだけれど。
それはほんの一部分にすぎなくて、生活者からするとただのさびしい田舎町でもあるのだ。
『しんせかい』には、冬のおとずれの前、雪虫が出てきてそろそろ雪が降るときのなんとも言えないさびしさが描かれている。
富良野のさびしさ、物足りなさが不満で上京したわたしにとっては、富良野を“正しく”描いてくれたように感じて好感を持った。
 
そしてこの物語が特徴的なのは、「過去の出来事を鮮明に思い出そうとした痕跡」を隠さずにあらわしているところだ。
以下の一文にそれがあらわれている。
 
「すべては作り話だ。遠くて薄いそのときのほんとうが、ぼくによって作り話に置きかえられた。置きかえてしまった。」(128頁)
 
著者からすると、『しんせかい』は30年以上前の記憶になる。
当時の記憶を再現しながらも、どうしてもそのときの「ほんとう」には近づけない歯がゆさを正直に書いてしまっている。
それから「覚えていない」とか「聞いていない」といった表現も多用されていて、物語内に「余白」、「間」みたいなものができている。
これらの「思考の痕跡」や「余白」も一緒に読み進めることで、実際に自分が「創作」している気分になった。
 
かといってこの物語が「創作」をめぐる実験的な小説かというとそうでもない。
「創作」をにおわせるのはこの一文しかないからだ。
この物語自体もどこまでもあいまいで、物足りなさをあらわしているように感じた。
 
『しんせかい』は、賛否両論あるがどうやらこの「物足りなさ」が評価されて芥川賞を受賞したらしい。
 
わたしもこの物語の物足りなさとさびしさが田舎の本質をとらえているように感じ、好感を持った一冊だった。