人は、生きるために、血を流さないといけない。
戦いのはじまりのような文句だが、そうではなくて、どんな人間だろうと産まれる時に必ず母体から血が流れる、と言いたいのだ。

友達の出産エピソードは聞くだけで股が縮こまった。めちゃくちゃ痛くて、それが長時間続いて、挙げ句の果てに股が裂けて(または切られて)…そんな壮絶な経過を経て、子が産まれる。
わたしが女性として分かっているようで分かっていないものが出産だ。ていうかしたことがないので分かるわけがない。
想像するのは、ものすごく赤い世界。血やら汗やらなんやかやでドロドロ、頭に血がのぼって顔も赤い。産まれたての赤ちゃんも赤いのだろう。赤ってついているくらいだし。出産のイメージと言われてもよくわからないが、色の想像だけはしていた。

「こうふく あかの」は生きることを原始的に考えさせる。
主人公の「俺」は仕事もプライベートも充実した生活を送っていたが、ある日妻から妊娠を告げられて、腰を抜かし尻を強打するぐらい驚く。
なぜならふたりは3年ほどセックスレスだったからだ。妻が不貞を働いたこと、不貞を働いたにも関わらず頑として「産む」と言い続けていることに、俺は徹底的に打ちのめされる。

妻は美人だけれど話がつまらなくて頭がちょっと悪い。対する俺は社内で順当な評価を得て、女性社員に嫌味のない気遣いをし、部署の安寧を保ってきた自負がある。
妻の妊娠で、動揺してどうする。俺の立場が揺らいでどうする。そんな風に「俺」は思うが、妻の身体が変化していくことに生理的嫌悪を抱かないではいられない。

こんな屈辱的なこと、誰にも相談できない。「俺」は理想の「俺」であり続けるために努力を尽くすが、どうにも力が抜けてしまう。気の抜けた「俺」は気晴らしに同期の窓際社員・兎島とふたりで不思議な居酒屋に通い詰める…。

不思議な居酒屋とは、プロレスのリングが併設された居酒屋だ。小男とムキムキマッチョが店を切り盛りし、テレビはひたすらプロレスの試合を流している。常連らしいしわくちゃのお婆さん二人組が熱い恋バナを語り合う。
名前は「BO-KENジム」。兎島に連れられ、圧倒されっぱなしの俺にムキムキマッチョは冷えたビールを持ってくる。これが死ぬほど美味い。俺は会社や家で着るカッコつけた鎧を脱ぎ捨て、屈辱的で誰にも言えなかった本音を吐露してしまうのだった…。

俺は仕事と家庭で戦い、「BO-KENジム」で憂さ晴らしする日々にのめり込む。「BO-KENジム」は現実逃避に最適の場所だった。ムキムキマッチョ、死ぬほど美味いビール、くどいほど繰り返されるお婆ちゃんの恋バナ、テレビの試合、目の前のリング。非日常をこれでもかと詰め込んだ場所に、俺は現実の憂さを晴らしまくる。
俺は誇りを取り戻すために俺の考えを声高に叫ぶ。けれど、まわりは俺が思っているような世界ではないことを非日常の場で思い知るのだった…。

「「女には、分からん世界だ。」
皆が同調してくれると思った。そのときの俺は何故か、皆が俺のように、女にコケにされた、惨めな男たちであると思っていた。(中略)しかし、俺の予想に反し、兎島はこう言った。
「あ、でも、猪木も、女から生まれてきたんだよね。」(中略)
「そんな、」
俺が口を開きかけたとき、店主までもがこう言った。
「まさに、そうですよね。女の人には、敵いません。」
俺は脱力し、背もたれが無いスツールを呪った。」(120頁)

俺の狼狽を尻目に、妻のお腹はどんどん大きくなる。それが俺には腹立たしいのだが、俺は原始的な「生」を前にどうすることもできず、俺の子ではない人間が出てくるのを待つしかできないのだった…。

人が産まれる現場って、きっとかなり壮絶でグロテスクな現場なのだろう。
おかしな方向に進んでしまった夫婦のグロテスクさと出産シーンのグロテスクさが合わさって、生きているとこんなにもグロテスクなことが待ち受けているのか!と戦々恐々とした。

俺は逡巡したものの結局妻の出産に立ち会うのだが、そこでグロテスクな「生」の瞬間を目の当たりにする。
俺の問題が解決した訳ではないが、子どもが産まれる瞬間、俺は新たな物語のはじまりを感じるのだ。俺の中の血が滾り、俺の煩悶はどこかへ飛んでいくのだった…。

この物語を読むと、なんでも原始的な「生」に立ち返る。女を蔑むハラスメントクソ野郎だって、母体のグロテスクな赤い道を出てこないと息が出来ないのだ。
ちなみにこの物語でもアントニオ猪木が重要な役目を果たす。猪木の試合は登場人物の血を滾らせ、不遇な環境を乗り越える勇気を与える。
そんな重要な存在である猪木も、母体から血を流して産まれてきたのだ。

母体ってすごい。
母体そのものが「こうふく」のもとだ。

わたしにも同じ機能が備わっていることが、改めて嬉しいと感じた一冊だった。

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こうふく あかの
肉。