こうふくみどりの こうふくみどりの
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大阪に四年半住んで良かったことは、田辺聖子さんと西加奈子さんの物語世界をより身近に感じられるようになったことだ。
「こうふくみどりの」の関西弁は大阪のミナミ側っぽい。賑やかで、言葉に感情がわかりやすく乗っかっている。野生的な感じもあって、きれいな言葉よりも「どうしたって生きてやるんじゃ!」という力強さを感じた。
 
主人公の緑の家には、女しかいない。おばあちゃんと、お母さんと、いとこの藍ちゃんと、藍ちゃんの子どもの桃ちゃんとメスの猫と犬。男たちは全員、訳あって居ない。14歳、思春期真っ盛りの緑は転校生のコジマケンにひそかに想いを寄せる。親友の明日香みたいに明るく素直に話しかけたいけれど、明日香ほど可愛くないから、黙って見ているしかできない。
 
緑がコジマケンを意識し始めたのは、コジマケンが緑の家の前で話しかけてきたからだ。
緑の家は独特な空間が出来上がっている。特におばあちゃんが精神的にも肉体的にも尋常でない力を持っているからか、街のみんなが吸い寄せられるように近所の誰かがかならず家にいて、おばあちゃんに話を聞いてもらっている。

おばあちゃんの匂い、お母さんがふかす煙草の匂い、藍ちゃんが作る絶品の料理の匂い、桃ちゃんが漏らしたおしっこの匂い、猫と犬の匂い…いろんな匂いにあふれた我が家を明日香は「アンモニアの匂いより、もっとキョウボウな匂いがする。」と言う。緑はうちの匂いを気にしていたけれど、コジマケンは「ええ匂い」だと言うから、我が家を誇らしく感じた。
 
 この物語は、緑の視点のほかに別の登場人物の視点が細切れに入る。一人称の語りで、初めは誰の視点か分からない。告白のような懺悔のような語りが細切れに繰り返される。細切れの語りはどれも好きになった男のことを語っている。それらは女しかいない緑の世界とだんだんつながってゆく…。

緑の恋は、思いもよらぬ方向からあっけなく破れる。そして同じ頃、緑の家族にさまざまな変化が起こる。
緑は初めての「しつれん」にむしゃくしゃしながら「好き」という気持ちの凶暴さに思い至るのだ。

「「でも、好きやねん。」
藍ちゃんが、絞り出すような声で、そう言うた。その言葉は、徹底的に、うちを、うちのめした。うちが言いたかった言葉、明日香に、コジマケンに言いたかった言葉を、藍ちゃんが、言うてしもた。太ってて、いつも甘い匂いさせてる、だらしない藍ちゃん。腹が立った。立ったけど、うちはいつも藍ちゃんのことを、綺麗やなぁって、思ってたんやった。藍ちゃんは、なんで綺麗なんやろうって、いつも、思ってたんやった。藍ちゃんの綺麗さは、うちが一番、分かってた。」(180頁)

生きるって、なんて凶暴なことなのだろう。この物語を読んでそう感じた。
生きることは、人間、犬、猫などの生き物同士が関わり合って、好き合って、いろんな匂いが混ざり合うことだ。
生き物と関わる以上、どうしたって匂いは避けられない。どんな匂いも受け入れないといけない。それってある意味すごく凶暴なことじゃないだろうか。

この物語は自分の「好き」を貫くためにあらゆる力を尽くす人たちが登場する。障害なく好き合えるのが一番だけれど、どうも上手くいかない人たちばかりだ。
上手くいかない時は、凶暴さをもって前に進むことも大事なのだ。凶暴なことが悪いことではないのだ。緑はいろんな匂いのする我が家から、そのことをちゃんと学んでいたのだった…。

いきなりだが、この物語では、アントニオ猪木が重要な存在として登場する。
凶暴さをもって前に進むことを体現するアントニオ猪木が、登場人物の関わり合いの重要なつなぎ役を果たす。
そしてアントニオ猪木の生き方は登場人物たちの理想として語られる。彼らはアントニオ猪木の姿から凶暴さをもって前に進むことの勇気をもらうのだ。

全体的に荒々しくて野生的であけっぴろげな物語なのだが、匂いが混ざり合うこと、好き合うことの凶暴さに触れることは「こうふく」なことなのだと思える物語だった。

次は「こうふく あかの」を読む。

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こうふく みどりの
葉。