“楽しむ”ってどうやるんだっけ?
勢いでバカ騒ぎするほど若くもなく、道を固めるにはまだ物足りない27歳のわたしは依然として迷い続けている。
 
この物語の主人公は17歳の男子高校生・矢崎剣介。1969年の全共闘が盛んな時代、ニーチェ、マルクス、ランボー、チェ・ゲバラ、毛沢東、ヒッピー、フォークソング、ゴダール、ビートルズ、レッド・ツェッペリン等々が多感な矢崎を刺激し反体制行動に駆り立てたが、内実は女学生にモテたいがために何か目立てるものはないか必死に探っていただけだった。
 
矢崎はでたらめだが機転が利く地頭の良い男で、演劇、映画、バンド等何でもありの「フェスティバル」を計画し仲間を集めながら、フェスティバル計画を好きな女生徒の気を引く口実にしていた。
 
しかし矢崎のでたらめな性格が災いして、フェスティバル計画がいつしか学校をバリケード封鎖する学生運動に変わっていった。
矢崎は若者の身体が学校という単一の価値観に縛られることに強く抵抗し「自由」であることを叫びたかったのだ。
という高尚な理由よりも異性に良く見られたい思いが少々勝りつつ、計画は実行されたのだった。
そして匿名でやったはずの犯行はすぐにバレ、矢崎は自宅謹慎をくらう…。
 
矢崎の高校生活はだいたいこんな感じで語られる。
 
そしてこの物語の地の文はだいたいふざけている。それはこの物語が著者の実体験に基づいて描かれているからだ(あとがき参照)。ふざけ調子で書きながら、俺もバカやってたなぁと照れているのだ。
 
ふざけながら、照れながら、楽しそうに青春時代が綴られている。
わたしも思い返せば高校時代はただただ楽しかったかも、と都合の悪い思い出を消しつつ思う。
 
楽しいって、後先考えないことなのかも、とふと思い至った。
ただ目の前にあるものに熱中して、振り返って照れる。それが「楽しい」ってことなのかもと思った。
そして「熱」もきっと重要な鍵だ。
 
わたしが迷うのは、現実を突きつけられ冷静さを求められるサバイバル時代に追い込まれて「熱」や「楽しい」をどこかに置いてきたからだろうか。
 
それは悲しい。
もう一度思い出したい。と強く思った。
 
この物語で「楽しい」のヒントを得たので、27歳なりの「楽しい」に置き換えたらどんなものか、お風呂でゆっくり考えようと思った。
 
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今日は偶然にも矢崎が「フェスティバル」を実行した日で、もしかして今日読むように本に導かれた!?と勝手に神秘的な思いを抱いた。