「魅せる文章と自分に酔った文章の違いは?」
全体的にこう問われたような一冊だった。
はじめは気持ちよく読んでいたのだけれど、途中から背筋が伸び、後半は身悶えした。
 
本書は4章構成のエッセイ・選評・書評集。「Ⅰ」は旅エッセイ、「Ⅱ」と「Ⅳ」は書評・解説、「Ⅲ」は文学賞の選評である。
 
「Ⅰ」旅エッセイはとにかくゆるい。インド、バリ、フィジーなどの南国が多く、暑さに頭がぼんやりして動作ものんびり、だいたいお酒片手に酔っ払い(ときに二日酔い)ながら、肝心なことは同行の編集者に任せて気ままな旅の様子を綴っている。
カメラなんてちゃちな道具を持たず、彼女は全身で異国を味わう。彼女は日本にはない街並み、現地の人の動作や土着したファッションに旅情をくすぐられるのだ。
 
「熱い風の中で、サリーの色がとても華やかで美しい。街の色がくすんでいるために、原色の布地や耳飾りがよくはえる。同じ水で筆を洗いながら、時間をかけて描き上げた街並みに、新しい絵の具を落として行った感じ。デリーの街は、人々の動きが筆洗を取り替えていく一枚の絵のようである。」(14頁 砂漠の熱き日々--インド)
 
読んでいると旅に出たくなる。名所めぐりだけでなく、異国の刺激を全身で味わう体験がしたくなった。
 
「Ⅱ」は彼女が敬愛する作家・森瑤子さんとのエピソードに胸を打たれ、「Ⅲ」は辛口の選評に自分を顧みてあまりの恥ずかしさに身の縮む思いがした。
 
熱は要るが、勢いで書いてはいけない。作家ほど冷静にならなければならない。そう意識して作家活動を続ける彼女から「ねえ、あなた、自分に酔ってるでしょ」と見抜かれた時の恐ろしさったらない。及第点を付けたのはほんの二、三作。小説家志望でなくとも、文章を書くことを仕事にしたいと思っている者にはものすごく響く。下記の引用は肝に銘じた。
 
「偉そうなことを述べてしまいましたが、私は、八十枚の小説にストーリーテラーの素質は、あまり必要ないと思います。着眼点、文章力、そして、アフォリズムの三つが大切だと思います。どんなおもしろいストーリーがあっても、この三つが駄目では仕様がないと思います。広く描写するより、深く掘り下げる。それが大事だと思います。」(156頁)
 
「Ⅳ」の解説集は何度も読み返した。わたしもこういう文章を書きたい。
作家とのエピソードを持たない、いち読者のわたしが作品の魅力を伝えるためには、もっと多くの言葉を知らないといけない。分析屋を超えるためには、物語の中にある煌めきを見出す力をつけなくてはいけない。自分の未熟さを突きつけられた。
同時に、圧倒的な「自意識過剰」は稀有な才能なのだと知った。自分に酔うことを嫌う彼女は、その酔い方が中途半端なものだから寒気を覚えるのだ。
 
山田詠美は素直で、きれいなものを見逃さず、ださいものがとにかく嫌い。
だから中途半端な文章、自意識を許さない。そんな彼女だから惹きつけられる読者がたくさんいる。
 
最近、自分の自意識過剰さに落ち込んでいた。歯並びが猛烈に気になりだし、体重の増減に一喜一憂し、メイクのりが悪くて機嫌が悪くなる。早起きできずにイライラし、時間を無駄にしたと嘆き、ブログのアクセス数に一喜一憂する。
こんな時によくかけられる励ましの言葉が「大丈夫!みんなそんな気にしてないから!」なのだが、わたしはその言葉がとても悔しい。出過ぎた杭(というと政治家みたい)になりたくてあがいているのに誰にも気にしてもらえないことが猛烈に悔しかった。
 
この気持ちをずっと忘れずに、本を読んで文章を書き続けようと強く思った。
自意識過剰を振り切って、自分の揺るぎないプライドになるまで、恥をかき続けよう。
熱い思いが実る日はいつになるか分からないけれど、逃げないで生きよう。
それがわたしが心から納得して生きていけるやり方なんだと改めて感じた一冊だった。
 
自分に迷いが出てきたら山田詠美を読む。その判断は間違っていなかった。
 
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ハワイビールが似合いそうと思って撮ったけれど、いまは飲んでる場合じゃない。