この物語を、どう捉えたら良いか困った。
この物語を読んでしまった以上、「関係ない」では済まされない。そんな無言の圧を感じるとともに、“フィクション”として捉えるにはとてもデリケートな主題に胸が苦しくなった。

この物語の主人公は、日本生まれの朝鮮籍を持つ少女・ジニ。ジニは小学校6年間を日本の学校で過ごし、中学校は朝鮮学校へ進学した。小学校では朝鮮籍であることで差別され、中学校では朝鮮語が話せないことで差別された。

気が強いジニは、謂れのない差別に毅然とした態度で向き合い、時には強く反抗した。口の悪いジニに周りは手を焼いていたが、ジニは自身の疑問に正直であろうとした。
しかし、北朝鮮によるミサイル発射のニュースが報じられ、緊張状態の東京でチマチョゴリを着たジニは大柄な男3人から暴力を受けてしまう…。

それからジニの「人生の歯車が狂い始めた」(50頁)。
ジニは誰にもこのことを打ち明けず、心を閉ざすようになる。
謂れのない差別、暴力をなぜ泣き寝入りしなければならない。何が間違っているのか…?ひとりで黙々と考え、沸々と湧き上がった熱情は、祖国に対する「納得のいかなさ」に向かっていった。

ジニは暴力を受けた後、朝鮮学校で「革命」を試みたが失敗した。ジニは多くの生徒たちを惑わせ、大人たちから異端者とみなされ、学校から追放された。

ジニは学校が隠し持つ欺瞞を、暴力、差別、祖国への納得のいかなさを飲み込めないまま、自身に問うこと、戦うことに疲れ果ててしまった。そして、そう思う自分が間違っているのだと諦めるようになっていた…。

まるで実話のような具体的で生々しいジニの独白に息を呑んだ。
この物語は高校生になったジニの回想として語られる。ジニはその後ハワイ、オレゴン州へと拠点を移したが、オレゴン州の学校でも居場所を無くしつつあった。
オレゴン州は雨が多く常に曇り空で、よどんだ空気がジニの心にはちょうど良かった。そんなオレゴンの空気と、ホームステイ先のステファニーの懐の深さに触れ、ジニは閉ざしていた“あの日の出来事”を回想するのだった。

祖国にも日本にも馴染めず、二つの国のはざまで傷つき煩悶し続ける日々を送ったジニを、祖国でも日本でもないアメリカの大地とステファニーの優しい心が包み込むのだった…。

「空が落ちてきたーージニは、どうする?」
「私なら、まずトンネルの中へ走ってしまうかもしれない」
「その後は?」
「……真っ暗闇だ」
「何か見える?」
「何も見えない」
「誰かいる?」
「誰もいない」
「ジニ、あなたは、どうする?」
ステファニーは核心に迫るように訊いた。私は、唾を飲み込んだ。体は緊張で固まっていた。言っても良いものか、私が言葉にしても良いのだろうか。ステファニーは、そんな私の心配をよそに、小さく頷き、微笑んだ。強張った体から、力が抜けた瞬間だった。
「ーー受け入れる、空を、受け入れる」
(184頁)

ジニは拒絶するにも立ち向かうにも大きすぎる“空”を「受け入れる」と宣言することができた。
“空”は自分自身のことだ。そして、悩み続けたジニをステファニーは優しく「受け入れる」のだ。
傷だらけの自分自身を受け入れた時、そして他者からそんな自分を受け入れてもらった時、ジニはようやく心から涙を流すことができたのだった…。

「パズル」という意味を調べると、ゲームのパズルという意味の他に英語で「難問」という意味がある。「ジニのパズル」というタイトルは後者の意味であろう。
この物語は二国をまたぐ「難問」にひとりで戦い、勇気をふるった一人の少女の物語だった。

いかなる暴力も謂れのない差別もあってはならない。
けれど、この物語を通して多様性を受け入れるということの困難と欺瞞を身に染みて感じた。
「受け入れる」ということは簡単に言えるものではない、と思った。
「難問」を生まれながらに抱える人とそうでない人がいる。その現実を無視せず、「難問」を共有することが「受け入れる」ことのはじめの一歩なのではないかと思った。

忘れられない物語を読んだ。

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