社会人になって読む日本文学シリーズその3。
 
とても罪深い物語だった。
読み終わった後に砂がまとわりつくような苦い余韻が残った。
 
安部公房『砂の女』は、趣味の昆虫採集のため砂漠地帯の集落を訪れた男が、村人の謀略によって砂丘の底の一軒家に閉じ込められてしまう物語である。
 
一軒家にはひとりの未亡人が住んでおり、夜毎降ってくる砂を搔き出す作業に追われていた。
砂を搔き出さなければ一軒家は砂に埋まってしまうし、他の集落にも影響を及ぼすため、砂を搔き出し続けなければならない。
男はこの作業の人手不足解消のために謀略にかけられたのだった。
 
男は閉じ込められたことへの憤懣と砂を搔き出す作業の理不尽さを嘆くが、女は諦めきった様子を崩さない。
 
男はあらゆる方法で砂丘の底から逃げ出そうと試みるが、砂の壁は高くて厚い上に、砂丘の上から村人に見張られているのだった。
 
男は仕方無く女の作業を手伝いながら逃亡の機会をうかがうが、砂搔きの作業に追われる奴隷のような日々は、男の自意識を次第に変えていく…。
 
「納得がいかなかったんだ……まあいずれ、人生なんて、納得ずくで行くものじゃないだろうが……しかし、あの生活や、この生活があって、向うの方が、ちょっぴりましに見えたりする……このまま暮していって、それで何うなるんだと思うのが、一番たまらないんだな……どの生活だろうと、そんなこと、分りっこないに決まっているんだけどね……まあ、すこしでも、気をまぎらわせてくれるものの多い方が、なんとなく、いいような気がしてしまうんだ……」
(198頁)
 
男の諦念のこもった独白が苦々しく胸に刺さる。
 
男は仕事もあり妻もあったが仕事にやりがいを持てず、人生に満足していなかった。
新種の昆虫を発見すれば「日常の灰色」が変わるのではないか…と、自分の趣味に没頭するようになっていた。
自分の理想に没頭するあまり男は同僚にも妻にも行き先を告げずに旅に出てしまい、その行動が仇となってしまったのだが、男が理想を追う心情や自意識を否定しきれない。
 
現実を生きる社会人の誰しもが、輝かしい生活が送れたら…自分の秘めた力が発揮されてそれが認められたら…と妄想したことが一度はあるだろう。
 
社会人になってこの物語に改めて触れると、なかなかうまくいかない日々に対する「諦め」を示した寓話として読み込んでしまった。
 
砂丘から逃げることは自由を手に入れることであり、自分の人生を生きることでもある。
男は逃亡の機会を絶えずうかがうが、次第に砂丘の生活に浸かっていくのである…。
 
砂は自分の自由を奪われる世界であり、砂はきっと日常のそこかしこに潜んでいるだろう。
決して引きずられてはいけない。