わたしは文学部出身だ。
この読書感想文ブログの原点は、授業で毎週出されたレポート課題である。
 
課題図書は事前に学生に伝えられ、太宰治「走れメロス」、夏目漱石「それから」などの文学作品を読み400字詰原稿用紙1枚にまとめなければいけない。
 
毎週文学作品を一冊読了する&レポートにまとめるという課題は遊びたい盛りの大学生には骨の折れる作業だったが、この授業のおかげで日本文学の魅力と深みを知り、文学への好奇心がぐんと高まった。
 
課題が早く終わった週は、書店で課題図書ではないが有名そうな日本文学作品を買い漁った。書棚は日本文学でずらりと並び、うんうん文学部っぽい・・!とひとり満足していた。
 
ここで「読みふけった」と書きたかったのだが、残念ながら買い漁っただけだ。
ゼミが始まると、研究や卒業論文のテーマにまつわる本しか読まなくなり、社会人になると文学とは程遠い世界に揉まれ、文学作品に触れる余裕が一切なくなった。
 
・・というわけで、わたしの家の書棚には、買ってから一度も開かれていない文学作品が山ほどある。
社会人になってから何度か引越しをしているが、未読の文学作品は断捨離できなかった。捨てるも何も、中身を知らないから判断のしようがない。
 
いまわたしは、断捨離やミニマムライフ(必要なものしか持たない暮らし)に憧れ、それを実践しようとしている。
断捨離を前提に読書を始めるのも変な話かもしれないが、どの作品がわたしにとって必要なのかを、しっかり読んでから判断しようと思い立った。
時間はかかるがすべての積ん読を読み終え本当に必要なものの仕分けをするとき、わたしの中の何かが確立されていると思う。
それを楽しみに、少しずつ積ん読に手をつけていきたい。
 
 
文学部でなくとも誰もが知っている一冊。
何度か読んだはずなのだが、内容がすっぽりと頭から抜け落ちている。
おそらく太宰が「人間失格」を発表したのちに愛人と入水自殺したという強烈なエピソードがあったためにわたしの中で「人間失格」の物語内容がかき消されてしまったのだ。
 
改めて読むと、「人間失格」はとても腹立たしい物語だった。
 
「人間失格」は、小説を書く「私」が葉蔵という男の手記を披露する話だ。
葉蔵は、手記の中ではじめに「恥の多い生涯を送って来ました」(9頁)と宣言した上で、自身の身の上を語る。
父親が政治家で裕福な家に生まれ育った葉蔵は、勉強はよくできたが、人との関わり方が良くわからず「道化」をすることで周りに本心を悟られないようにごまかしながら生きてきた。
どうやら自身の容姿は女性の母性本能をくすぐるらしく、親元を離れ東京で暮らしてからは多くの女性から好意を寄せられた。葉蔵は持ち前の「道化」で初めは気前よく接するが、だんだん女性関係がややこしくなり、面倒くさくなり、何度か逃げ出した。
葉蔵は画家を目指していたが、女性関係のいざこざや「道化」の勢いで参加してしまった左翼活動に追われるなどして画家としての活躍は果たさなかった。しかしこれまた女性関係から漫画を描くという機会を与えられ、漫画家として収入を得ることもあった。
葉蔵はその何人目かの女性と一緒に住みながら細々と漫画家として暮らしていく…ことはなく、次第に酒に溺れ、また別の女性のところへ逃げるように移っていく。こんな調子が続き、とうとう葉蔵の身体が悲鳴を上げ始める…。
 
身の上を話しながら葉蔵は自身の当時の自意識や感情を詳細に綴るが、社会人6年目になったわたしには「文学的な言い訳」を言うプライドの高さしか感じられなかった。
周囲に狂人と認定され精神病院に強制入院させられた場面を読み、これまでの身の上話はすべて「人間、失格。」(147頁)と書きたいがための「道化」のようにも見えてきた。
 
わたしは言いたい。「罪」のアント(対義語)は「罰」ではなく「誠実」ではないか。
葉蔵の手記の中で葉蔵に関わった女性達の扱いがことごとくひどい。ひとりは共に自殺し(葉蔵は助かってしまった)、ひとりは犯され、何人かは逃げられている。彼女達への同情ばかりがつのり、優柔不断な葉蔵に腹立たしい思いでいっぱいになった。よくよく読み返すと「誠実」「純粋」などの清廉な言葉がほとんど出てこない(「処女」は出てくるが)。なんということだ。
 
この物語の魅力は、逆説的に読む者の正論を目覚めさせてくれるところだ。
物語という虚構であるはずなのに、太宰治のその後の強烈なエピソードが「人間失格」の罪のイメージを上塗りしているという点でも、「人間失格」は反面教師的な罪深い物語だ。
 
文学部出身として、もう少し文学的な考察を加えたかったが、腹立たしさが勝ってしまった。
太宰治「人間失格」は、わたしの中で「必要悪」として位置付けたい。
 
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いつぞやの新潮文庫特装版…。