第二次世界大戦後の食糧難の時代、移民政策でブラジルに移住した日本人のことだ。
彼らは閉塞感漂う日本を抜け出し、すでに開墾されているというアマゾンの土地で農作物を作り、豊かな暮らしをするはずだった。
しかし着いた所は未開のジャングルで、政府の話は大嘘だった。
逃げ出すにも日本への帰国の道は無く、彼らは日本政府から棄てられたも同然だった。
「アマゾン牢人」となった彼らはいちから家と畑をつくり奮闘するが、熱帯雨林の気候や病に翻弄され、泥臭い地獄の日々を送った…。
垣根涼介『ワイルド・ソウル』は、「アマゾン牢人」の生き残りが40年以上の時を経て日本政府へ復讐する物語だ。
驚愕したのは「アマゾン牢人」を生み出した移民政策が事実だということ。戦後の食糧難の口減らしと外務省の面子のためだけの愚策だ。
この物語では地獄を味わった日系一世・衛藤の絶望と日本を知らずに育った日系二世・ケイの日本への憎悪が複雑に混じり合い、大きな怨嗟となって日本政府にぶつけられる。
ブラジルには縁もゆかりもないはずなのに、第一章から鳥肌が止まなかった。
衛藤とケイがどれだけの絶望と苦しみを味わったのか、どうして日本政府はこの愚策に充分な対応をしなかったのか、この愚策を誰にも止めることはできなかったのか、上巻のほとんどの頁を割いて事細かく語られた彼らの物語と感情の変遷は、読んでいるわたしを現地に引き込ませ、無知を恥じる思いでいっぱいにさせた。
そして衛藤とケイは「アマゾン牢人」の生き残りを呼び寄せ、日本政府と外務省を大混乱させる、大掛かりな復讐を企てる…。
また、この物語では復讐劇のほかにもう一つの物語が展開される。
在京テレビ局で働く貴子は、29歳で女子アナウンサーから報道局へ異動した。
アナウンサーのままで居続けることに思うことがあり自ら記者を希望したが、下積み経験が無いことから思うような結果が出せず、足踏み状態の日々を送っていた。
そんな日々を送る貴子の前に、ある日陽気なブラジル人があらわれる。
貴子は男の情熱的な視線に惹かれ、日々の悔しさ、淋しさを埋めるように男にのめり込む。
陽気なブラジル人とはケイのことだ。
二つの物語は混じり合い、貴子は戦後の南米移民の取材に没頭し、やがて彼らの復讐劇に巻き込まれる…。
恋心と怨嗟と悲しみと虚無感。登場人物のいろんな感情がぶつかり合うかのように、物語はダイナミックに展開する。
上下巻合わせて1000頁を超える大作だが、長さを感じさせず、リズミカルに読み通すことができた。
わたしはこの物語を読んで、「愛」を忘れてはいけないと思った。
「(本当にこの国のモラルは、どこにいってしまったんでしょう?)
しかし貴子は時おり感じていた。それは本当に今始まったことなのだろうか、と。
むしろ、昔からそうだったのではないか。
十数年前のバブル期まで、戦後日本は順調に右肩上がりの経済発展を遂げてきた。その繁栄の陰に隠れて、単に見えなかっただけなのではないか。
(中略)
貧乏臭い――。
そう、あの男は言った。おそらくはそうだ。
あったのは、周りの目を気にする小心さだけだ。」
(470頁 第四章 悪党)
ケイは日本を「貧乏臭い」国だと一蹴する。よく言えば真面目で勤勉な性格とされる日本人だが、自分の人生に必死なあまりに視野が狭くなり、周りに関わろうとせず「自分さえ良ければ良い」とする人も少なくない。
この一人一人の小さな事なかれ主義が「アマゾン牢人」の悲劇と怨嗟を生む原因ではないか。そしてその事なかれ思考には「愛」が無い。
人の行動をかきたてるものの根幹は「愛」だ。悲劇ののちに家族という愛を喪ってしまった衛藤とケイは「臓腑が引きちぎられるほどの悲しみ」を味わい、愛を喪った反動で復讐を誓う。
けれど、悲しみと怨嗟だけで人は生きていけない。彼らは目的を果たしたのち、それぞれの宿命にけじめをつける。日本を憎むと同時に、自分の中にある日本人の気質を感じ、その大いなる矛盾に葛藤する衛藤の姿に胸が痛んだ。
「愛」を忘れてはいけない。
彼らのその後が描かれる最終部を読みながら、さらに強く思った。
悲劇を帳消しにすることはできないが、最終部で垣間見えた「愛」の萌芽に悲劇を克服する力を感じ、心から安堵した。
わたしの中でたくさんの感情が渦巻いた、忘れられない物語だった。
