『何者』は就職氷河期と言われる現代の就活模様を描いた直木賞受賞作。
著者の朝井リョウが戦後最年少で直木賞を受賞したことが話題になったので、ご存知の方も多いと思います。
『何様』は
『何者』で登場した人物の周辺をなぞったアナザーストーリー集です。
『何者』では
好きな人と再会するために出版社への就職を目指す光太郎、
プライドが高く人間関係や就職活動で空回りしてしまう理香、
「就活は無意味」だと言いつつこっそり就職活動をする理香の彼氏の隆良、
家庭の事情により志望していた業界を変え安定した就職先を求める瑞月、
演劇の脚本を書くことに熱中し、大学を中退し自分で劇団を立ち上げた烏丸ギンジ、
そして彼らを覚めたような目で観察する拓人が語り手の視点として現代の就活にフォーカスした物語が展開されていたが、
『何様』では
光太郎が好きになった人との出会い(「水曜日の南階段はきれい」)、
理香と隆良が付き合った経緯(「それでは二人組を作ってください」)、
独立したギンジのその後(「きみだけの絶対」)、
拓人のバイト先の先輩・サワ先輩の社会人生活(「逆算」)、
瑞月の家庭の事情(「むしゃくしゃしてやったと言いたかった」)、
拓人が落ちた会社で面接官をする社会人一年生・克弘の葛藤(「何様」)が描かれている。
当然だが、『何者』を読んでから『何様』を読むと物語の深みが増す。
わたしは『何者』を読了していたけれども物語内容をすっかり忘れていたので『何様』→『何者』の順に読んだ。
就職活動という戦を通して自分は「何者」かになれるのだろうか。
『何様』は『何者』で出された問いの答え合わせのような物語だ。
しかし、表題作の「何様」だけは様相が異なり、読み手にさらなる"問い"を与える。
何者かになっただなんて、何様のつもりなんだろう
(『何様』帯)
「物事をとらえる観点が独創的、対応にも柔軟性がある。そんな言葉、今まで使ったことがあるのか、そんな言葉を使って人のことを判断したことがあるのか、本当にそんなことを見ぬけるほどの人間なのか。本当に、人間のことが、わかっているのか。」
(「何様」299頁)
「何者」かに「なる」という言葉はとても傲慢だ。
社会人になると、「何者」かになるまでの地道で過酷な道のりを知り、簡単に「何者」かに「なる」なんて言えたもんじゃない、と思う。
でも、人生に数回は「何者」かに「なる」と言い切らないといけない瞬間も必ずある。
『何様』にも『何者』にも、そのような"決意"の瞬間があらわれており、その場面にわたしは心を動かされた。
自発的な"決意"の反面、『何様』では社会生活において「環境が人を成長させる」ということも示唆的に語られている。
転勤、異動など自分の意思ではない環境の変化が起こった時に「なってしまった」と嘆くのではなく、「なるようになるさ」とやわらかく背中を押してくれている。
たぶん、登場人物より一世代上の先輩たちは「それが生きるってもんだ」とドラマでよくある台詞で片付けてしまうだろう。
社会生活におけるささいな心の迷いや葛藤は自立したての若者特有のものだ。
『何者』と『何様』は、両作が呼応しているかのように「生きる」ということについて若者たちに良質な"問い"を投げかけ続ける。
来月で社会人生活6年目を迎えるわたしも「ココロ、ウゴカス」場面に満ちた物語に共感し、恥ずかしくなり、怒り、悲しみ、励まされ、「それが生きるってもんや!」と痛感した「若者」の一員であることを強く感じた一冊だった。