「人生よ、私を楽しませてくれてありがとう。」

ふたつの家族がひとつの家族となった。母方の連れ子が長男の澄生と長女の真澄、父方の連れ子が二男の創太。そして父と母のもとに生まれた二女、千絵の6人家族。

上の言葉は母方の曾祖母の最期の言葉。幸せな人生の完結を願い、今を生きることを目標に、代々受け継がれてきた。ひとつの家族、幸せな家族となるために、彼らはこの言葉を玄関の壁に掛けた。

そして、ひとつの「新品の家族」が完成した。


この物語は、新品の家族の、喪の記録である。

長男の澄生が雷に打たれて死ぬ。ひとりの人間の死が、新品の家族の調和を簡単に崩してしまう。

母はアルコール依存症になり、入退院を繰り返す。

長女の真澄は大切なものを失う怖さに怯え、人を愛することから逃げる。

二男の創太は、血のつながりの無い母に愛されたい一心で、報われない愛情を注ぎ続ける。

二女の千絵は、クラスメイトからの苛めをひた隠し、孤高の精神を保ち続ける。

母の病状が日に日に悪化していくなかで、新品の家族達は、死に選ばれてしまった澄生のことを思う。


「ファミリー・トラディッション。家族の伝統。新しく生まれた澄川家が、その一員を失うことによって作り出し、守り、受け継いで行くであろう伝統だ。もういない人について語り尽くすこと。参加する術もない当人のために、残された人々は代弁する。そうすることによって、死が新たな生を獲得するのだ。良くも悪くも、語り手の言葉という衣装をまとって。」(185頁)


「第三者が考える死は、所詮、架空の死。劇的な要素を含んでしまうこともある。澄生の死だってそうだ。けれど、当事者たちにとっては、ドラマのような楽しい興奮など、欠片もない現実。(中略)死は、いつまでも、自分たちを脅かす存在であり、決して慣れることは出来ない。それは、飼い慣らすには、あまりにも漠然として、大きい。生き物が息を引き取るという、ただひとつの事実に過ぎないというのに。」(209頁)


失った悲しみの大きさは、失ったものへの愛情の大きさでもある。

愛情のベクトルが噛み合わなくなってしまった新品の家族は、明日死ぬかもしれない母のために、家族の再生のために、澄生と向き合う日を作る。

そしてその日に彼らは、今あるかけがえのない大切なものに向き合うのである。


この物語には、かけがえのないものを失った人達の愛情の軌跡と、「人生よ、わたしを楽しませてくれてありがとう」という、呪いの言葉をかけられた家族が描かれている。楽しい家族であろう、幸せな家族であろうと、みんなが協力して演じていた。その呪いの言葉に深くかかわったのは、長男の澄生なのではないかと思う。

創太の決して報われない母への愛情や、千絵の誇り高き思いに胸を打たれたが、冒頭の呪いの言葉がいつまでも頭から離れない。

ただの愛情物語ではないところが、わたしが山田詠美に惹かれる理由のひとつだと思う。