今回は、Y.Nさんからいただいたセッション後の感想を
ご紹介させていただきます。
ヒロ様
お世話になっています。
本当ならもう数日待って書こうかなとも思っていましたが、
ふとお送りしたくなりましたので、記載します。
今日は、風呂に入っていた際、思考がぐるぐると巡り、
恐怖やおそれも湧いてきて苦しかったこともあり、
「からっぽになりたい」とふと思いました。
そうやってやってみますと、実に「からっぽ」が
簡単だということがわかりました。
あぁ、これがからっぽかあ。ぽわーっとしていました。
(こんなことは今までできませんでした)
そうしますと、イメージの中の自分が
ふわりと浮かんでくるような感じがしました。
そうしてすーっと浮いていくと、地面が見え、
そこにはいくつもの部屋のようなものが見えました。
(見たわけではなくイメージです)
その部屋は4面のそれぞれがドアで繋がっていて、
開けてもまたすぐ次の扉、扉と、まるで宮沢賢治の”
注文のおおい店”のようなつくりになっており、
今まで自分はこれをどんどん開け続けていたのだなあと感じました。
地上に立っていたときはこの扉の向こうが気になってしかたなく、
どうしても開けたくなり、開けるとまた扉があり。。
でも扉しか見えませんので、やはり開けたくなり、、
それを上から見ると、あ、あ、向こうはああなっていたのか、
あっちには怖いものが待ち構えているな、怪物がいて痛みを与える部屋、、
こっちにはなんにもないな。というような、
まるで巨大迷路を上から見ているような気分になりました。
それもイメージであり、結局一部の部屋しか感じられませんでしたが、
進めば生まれる迷宮のようになっており、
進む限りはなんらかのドラマが起きるしくみになっていました。
ぼーっとしているとまたふいに思考となり、
地上にもどってしまうこともありましたが、
「からっぽ」でいると、思考がとても見えやすいので、
気づくのが早いように感じます。
いまはからっぽでいることがここちよい気分ですが、
ふと「なにかをしなければ」「夢をつかむには行動を」
という罪悪感がよぎります。
それでもからっぽでいたいので、今は何もしたくない気分です。
この空っぽ感はなんなのでしょう。
ノーマインド?でもマインドもあるのです。
そういうイメージを「見た」ということは、これはマインドですか?
今の私は、何層ものベールによって構成された
カーテンの重なりのような状態で、
この「からっぽ」状態をベースにして、
上に何枚もの思考が乗っているような感じがしています。
地面が「からっぽ」の自分、その上に今私が文章を書いている思考、
次になにかを感じているという感覚、そして触覚・痛覚といった体感、
その上に複数の想念、想念、想念、、、、、というように。
今までの私は、ほんのすこしでも「からっぽ」を思考が覆えば
「これは思考」と決めてしまい、
カーテンがいかに薄いかということを感じませんでした。
おそらく「からっぽ」のときは極力このカーテンの枚数が
少なくなっているのではないでしょうか?
これがすべてなくなり、ゼロになれば、空なのかな?
思考というものを固形のようにイメージしていたセッション前では
感じなかった感覚です。
わずかな思考も検知し、断罪していたことを思い出します。
今でもすぐそれにシフトもできます。
でも、「からっぽ」になると、やはり、
それは2次元めいたカーテン状のものに姿を変え、薄くなり、
透明になっていくようにも感じます。
前回のように書いてしまって安心して忘れてしまうのもやなのですが、
やはり書くことで後半部のカーテンの記載も思いつきましたし、
意味があったと思っています。
他は忘れてもいいので、からっぽのこの感じは忘れてしまいたくないですね。
とりおき。以上です。意味不明なことを書き綴りいつも恐縮しています。
また、丁寧な対応に感謝しています。
次回もどうかよろしくお願いします。
Y.N
Y.Nさん、ご感想ありがとうございました。
意味不明ではありませんよ。
空っぽの感覚、とても貴重な体験ですね。
簡単に空っぽになれたとのことで素晴らしいです。
ご自身に起こったことをアウトプットすることによって、
その体験から得られた感覚や気づきが整理され、
それが意味する理解の幅も広がっていくことと思います。
また、体験を振り返って思い出すことをきっかけにしながら、
その意識の状態にシフトしていくこともあります。
> この空っぽ感はなんなのでしょう。
> ノーマインド?でもマインドもあるのです。
> そういうイメージを「見た」ということは、これはマインドですか?
その空っぽ感は、気づいている意識の
本質的な側面を捉えられている状態だと思います。
イメージはマインドの中で作り出すものですから
マインドということになりますが、
マインド自体は、その空っぽから起こってきます。
また、マインドを眺めるように客観的に見ていると、
全ては空っぽからやってきていることが分かると思います。
ちなみに空っぽとは、何もないところのことですので、
それを、無や空と言わせていただくことがあります。
> おそらく「からっぽ」のときは極力このカーテンの枚数が
> 少なくなっているのではないでしょうか?
そうとも言えますね。
空っぽ度合いが高まれば高まるほど、
カーテンの枚数は少なくなっていきますし、
カーテンの枚数が少なくなればなるほど、
空っぽ度合いは高まっていきます。
(※思考や想念などのマインドと、
体感や感覚をカーテンに例えています。)
透明になっていくように感じられたのも、
だんだんとマインドが落ち着いていき、
空っぽの意識になっていく感覚だと思われます。
> これがすべてなくなり、ゼロになれば、空なのかな?
そうですね。
ゼロと空は同じ意味です。
空(無、ゼロ)の意識しかない状態となり、全ては、
そこから顕現されているという気づきにも至れます。
> 「からっぽ」でいると、思考がとても見えやすいので、
> 気づくのが早いように感じます。
それはとても重要なポイントです。
思考そのものに同化している時は気づきにくいのですが、
思考を客観的に見ている意識そのものは空っぽであり、
その意識から思考を見るとパターンに気づきやすいですね。
それが本当の自分(真我)の本性でもありますから、
空っぽの感覚を忘れないようにしてくださいね。
そこが、私は今存在しているという感覚の根源になります。
どうもありがとうございました。
ヒロ