はしぐちのりこ(はしのん)です。

無事、四十九日の法要が終わりました。

前記事のコメント欄にも少し書かせていただきましたが、
お気持ちを向けてくださったみなさま、本当にありがとうございました。




四十九日かけて、もがいて、もがいて、

「見えなくても、そばにいるような感覚」にやっとなれたところなのに。


四十九日頃を境に、「仏に成る」ことで、さらに遠くに行ってしまう気がして、さみしくてさみしくてさみしくて、仕方がなかったんです。


すごい勝手だけど、

「私の息子」

だったのが

「みんなを見守る存在」

になっちゃう気がして、さみしいの。

だって、あちらはみんなでひとつ、なんでしょう?(笑)

いや、そんなに偉くはならない?(笑)


自分だけの息子でいてほしかった。
私と夫の息子だけでいてほしかった。
それくらい大好きだった。

私のエゴもすごいもんです(苦笑)



スケールは全然違うけど、
「私達のぢんさん」だったのが、テレビに出るようになって、
「全国のぢんさん」になった時みたいな感覚です。
あ、ちなみに息子のほうが寂しさは比にならないくらいでかいです。






今回の件で、悲しさ、寂しさ、辛さ、と同時に、
自分の欲深さも嫌になるほど感じています。

成仏なんてしなくてもいいから、
まだまだそばにいてほしい

なんて、完全なエゴ。

あの子は成仏したがってるかもしれないのにね(わからんけど)。



「私がいつまでも泣いていたら、あの子の足を引っ張ることになる」と知っても、

「そんなこと知るかっ!私は悲しいんだ!辛いんだ!」

って、自分ばかりみています。



自分の気持ちにフタをしないように、、と
それだけはできるだけ心がけているのですが、


いま、苦しいのは、

自分が悲しい・淋しいという、そのままの気持ちがひとつ。



もうひとつは、

「まだまだ自分の気持ちだけ見ていたい」という本心と、

「それはエゴであって、相手の気持ちを思って、前に進まなくてはいけない」という、常識(?)

との勢力争い。



心屋でさんざん学んでいるのに、

こういう窮地に陥ると、「自分の気持ちを優先する」ということに、

いとも簡単に自信がなくなってしまう。



そして、そんな自分を

情けないなー

と、また責める。

責めなくていいのに。




「本心 vs 常識論」


これって、何度でもやってくるからね。

私でもやってくるからね。

そこに違和感を感じながら、

自分の本心はなんだっけ?

私はどう感じてる?

何度も何度も寄り添って、

ああ、そうだよね、私はそう思っているんだよね、って見てあげる。

そして少しずつ前に進んでいく。

それのくりかえしでいいんだと思います。

・・・自分に言ってますな




私は、この50日程で、
  
「足の小指1本分だけ」

前に進んだ感覚です。

足の指をきゅっと曲げて、

その力で

1本分だけ、にじり進んだって感じ。

今はそれでいいんだと思ってます。


だから、今はあなたもそのままでいいからね。


はしのんでした。




* * *

部屋の片づけに関して、たくさんのメッセージやコメントをありがとうございます。

気持ちのままに任せたらいいですよ、とおっしゃってくださったみなさま、
本当にありがとう。そうしたいと思います。

少し片づけてみようかな、、と、手にとってみるんだけど、
やっぱりどーにも無理です(苦笑)


そしてね、

当たり前なのだけど、子どもを亡くしたという方は、私だけではなくて、世の中にはたくさん(といは言えないか?)いらっしゃって。

友人が、兄弟が、子どもを亡くした。
身近な方を亡くした、とか、
子どもの時に親がなくなった、とか。

大切な人を亡くすという経験は、
たくさんの方がされているんだ、、ということを知りました。

もちろん、ペットも同じね。
大事な大事な家族だもの。

そして、そこからみなさん、
生と死を考えたり、
いろんな気持ちを抱えて生きていらっしゃることも知りました。

教えてくださってありがとうございます。

今はまだ考えられませんが、
もう少し先で、何か、そんな方へのメッセージも
ブログ等でも書ければいいなと思っています。



では。