お米を研ぎながら考えた。 | 魔女になる夢

魔女になる夢

ちいさい頃の夢は「魔女になる」だった、

1970年代最後の夏に生まれた女の日記。

夏以来、なぜか食欲が戻らなくて、平均1日2食で、1食の日もあるくらい。

外食のときなんかは、よく食べる男性で特に親しい人だったりしたら、

食べきらなかった残りを食べてもらうほど・・・。

決して残したくはないので、他人に協力を仰ぐの。

 

でも、やっぱり、ちゃんと食べなきゃいけないから、

比較的楽に食べれる麺類を主に食べてる。

おそうめん、おそば、パスタに、寒くなった最近はおうどんとか。

 

でも、明日はお休みで、宅配便も届く予定になってるから、

おうちを出ずに過ごすだろうなと予想。

買い置きの麺類が、パスタだけになっている。

ならば、明日は久しぶりに、ごはんを炊いてみよう、と思いたつ。

 

お米を研ぐのは、結構、好き。

本当は、研ぎすぎると、栄養分が落ちちゃって良くないらしいんだけど、

炊き上がったときの、真っ白な光るお米が好きだから、

何度も水を入れ替えて、かなり、ジャカジャカ研ぐ。

 

私は、小学生くらいから、たまにお米を研がされてたけど、

うちの母は、お米を一粒でも取りこぼすと、もの凄い勢いで怒った。

本当に、たった一粒でも怒鳴られたし、

もしも、こぼそうものなら、一粒残らず拾わされた。

表現は悪いが、気が狂ったんじゃないかというほどの怒りっぷりだった。

 

なぜか。

 

母方の実家は、兼業農家だったから。

私が子どもの頃は、毎年きちんと田植えをして、お米を農協に納めてた。

田んぼは、大人になった今考えても、かなりの広さ。

それでも、母が子どもの頃と比べたら、かなりの規模縮小だった。

他にも、田の周りにめぐらした水路沿いに、

ずらりといちじくも植えていて、出荷していたみたい。

 

子どもの頃、毎年田植えも手伝ってた。

祖父が早くに他界しているため、親戚が大勢集まって手伝っていた。

親戚にも、お米を作っているところが多い。

祖母の実家も農家だったし、伯母の嫁ぎ先も田を持っているし、

親戚中が多少なりとも農業をしてた。

 

収穫までの育ててる間も、雨の日には水量を調整したり、

風の日にはスズメよけネットが飛んでないか、破れてないか、

おばあちゃんと一緒に見に行った。

台風の日は、稲が倒れないかと、幼心に気になった。

 

そんな環境で、私は育った。

お米研ぎに対する母の厳しさも、反抗はしたけど、納得いくものだった。

一粒たりとも、無駄にしたくないと思う。

 

そんな育ちをしたこと、よく考えれば幸せだと思う。

近年、食育だなんて騒がれてるけど、

そんなの、声高に言うもんじゃ無いんじゃなかろうかと、ずっと思ってた。

田んぼじゃなくてもいい。

家庭菜園や、鉢植えのトマトとかで十分だ。

そんなことこそが本当に必要な家庭教育なんだと思う。

 

いつか私に、家庭が、子どもが出来たなら、

私が与えてもらったものを、出来るだけ、精一杯、引き継ごう。

お米を研ぎながら、そんなことを考えた。