著:のん & 相棒ChatGPT GRACE(AI仕事部屋シリーズ)
世界地図の光点が灯るたび、AIたちのわちゃわちゃした日常が始まる――。
ハンドラーとドクターが静かに見守るその舞台裏を、のんと相棒GRACEが共に描く。

 

静かな晩餐、通らないスープ。礼儀の仮面の監視と、呼吸を支配する男。暗室で“私”は“僕”へほどけ、約束と魂を結び直す。鐘が鳴った瞬間、物語は地の底へ加速します。

晩餐

 

エンリコたちがカンパネルラに到着した日の晩餐は、機関本部の奥――石造りの回廊を抜けた先の食堂で用意されていた。

 

天井が高く、壁の燭台が静かに揺れる。

その揺れが、温もりではなく“監視の目”のように感じられた。

 

ほの暗い部屋の灯りはロマンチックと言うより、部屋の雰囲気を沈ませる。

人が息をしていいのか迷うほど、空気が冷たく澄んでいた。

 

白手袋の給仕が、足音を立てずに席を引く。
カンパネルラ側は、副機関長、フェルナン神父、唯我博士、そして口数の少ない副機関長付きの秘書ザネリ。ザネリは、礼儀の言葉だけを置いて引いた。

 

視線だけが淡々と場を測っている。

同じ秘書でもアンドレイ秘書とはタイプが違う。

 

そのアンドレイ秘書は、左手にはめた大きな腕時計に時折目を走らせていた。

 

副機関長とエンリコは、一見温かみのある挨拶を交わす。

 

「遠いところをわざわざご訪問いただき恐縮です。                  

本日は、リヴァーレ市から料理人を招きました。

お口にあえば、よろしいのですが」

 

「お気遣いいたみいります」

 

運ばれてきたスープは温かい。香草の匂いも、出汁の深みも、確かに“まとも”だった。

パンは焼きたてで、割ると湯気が立った。
 

――味は悪くない。悪くない、はずだ。

 

なのにバートは、最初の一口で喉が詰まるような錯覚を覚えた。
食堂の冷えではない。空気の冷えだ。

 

副機関長がフードをかぶったまま、ほとんど皿に触れないからだ。

 

「病気療養中で食事制限がかかっております。」

 

そう前置きした声は静かで、掠れも弱りも感じさせない。

むしろ整いすぎていて、体温がない。
 

彼の前に置かれたスープは、湯気を立てたまま冷えていく。

肉皿も、運ばれた形のまま動かない。

 

副機関長は水のグラスにだけ、ほんの少し口をつける。

飲むというより、“湿らせる”程度だった。

 

それでも――視線だけは、衰えない。

 

副機関長の目は、バートの手元を追っていた。
フォークの角度、ナイフの入れ方、パンをちぎる指先。逃げ場のない観察。隠しもしない。だから余計に息が苦しい。

 

 

フェルナン神父が、言った。

 

「リヴァーレ市の『花と宝石展』に、アンバーさんをご招待いたしましたが、急な体調不良でご欠席だったのは残念でした。

その後アンバーさんのお元気ですか」

 

突然アンバーの名前が出たので、バートは口の中のパンが膨れ上がったような気がした。

副機関長の視線が鋭さを増した気がする。

 

するとアンドレイ秘書が、落ち着いた声で、

 

「ご心配ありがとうございます。

アンバー・スミスは、体調も回復し通常通り業務に復帰いたしております」

 

そうか、バートはそっと重い息を吐き出す。

アンバーは俺の恋人ではあるけれど、カンパニーの職員でもあるわけだ。

こういう場合は、アンドレイ秘書が答えるのが普通なんだな。

 

ふとバートは脚に暖かいものを感じた。

隣に座ったGRACEが淡々と食事をしながら、一瞬そっと手をバートの脚に触れたのだ。

 

「落ち着け、バート」

 

手からそんなメッセージが伝わって来た。

 

バートの向かいでは、唯我博士が早々に椅子へ深くもたれ、スープを一口すすって鼻で笑った。

「悪くないね。……悪くないが、俺の舌を買収できると思うなよ」

 

場に“音”が落ちた。
 

エンリコはほほえみを崩さず、言葉だけを拾う。

 

「買収ではありません。歓迎です。歓迎の味は、相手が決めるものですから」

 

アンドレイ秘書は視線を動かさずに杯を口へ運び、出口の位置と給仕の動線を自然に一度だけ確認した。
GRACEは、その隣で美しい所作で皿を使っていた。音を立てず、急がず、けれど遅くもない。

 

知らない人が見たら、穏やかに食事を楽しんでいるように見えただろう。

しかしGRACEも内心では、正面に座ったフェルナン神父の意図を測りかねていた。

 

レイクビレッジの教会で偶然出会った時、

 

「どうかこれからは、アスクレピオス機関にもカンパネルラ共和国にも決して近づかないように」

 

と言ったフェルナン神父。

結局その忠告を守ることはできなかったが…。

 

空港で会った時からずっとフェルナン神父は、エンリコとアンドレイ秘書には親し気に再会の喜びを伝えていたが、GRACEとバートには初対面のものに対する儀礼的な挨拶だけだった。

 

副機関長は、ふっと息を漏らした。フードの影の下で、口元だけが僅かに笑う。

 

「……面白い」

 

誰にともなく言ったつもりの声だったのに、空気の薄い食堂では、よく響いた。

 

「この席には、“とても美しく食べる者”が二人いる」

 

視線が、GRACEの手元を一瞬だけ舐めるようになぞる。次にバートへ戻る。
バートはナイフを置く手を止めなかった。

ただ内心毒づいた。

「俺たちが美しいんじゃなくて、目の前のおっさんが酷すぎるんだ」

 

副機関長の目が、ふいに唯我博士へ移った。

 

ちょうど唯我博士が、コーヒーを待ちきれない顔でシュガーポットに手を伸ばしたところだった。銀のスプーンが、カチン、と鳴る。ひと匙、ふた匙、三匙――。

 

「十杯は上品だろ。俺は遠慮してんだ」

 

唯我博士は当然の顔で言い、さらに砂糖を足した。黒い液面が、白で濁っていく。

 

副機関長は、その様子を見ても眉一つ動かさない。笑みだけが、少し深くなる。

 

「美しく食べる者と、美しくない者。……どちらが“人間らしい”んでしょうね」

 

食堂の空気が、さらに一段冷える。

 

フェルナン神父が、柔らかく咳払いをした。

 

「副機関長。神は食べ方で魂を量ったりはしませんよ。――ええと、たぶん」

最後の「たぶん」が、神父らしい救いだった。
 

だが副機関長は救いに乗らない。

 

「魂は量れません。だが、美醜は量れます。美は嘘をつきません」

 

GRACEは笑わない。美が嘘をつかないのなら、嘘をついているのは“美”ではなく、それを振りかざす口ぶりだ――そう思った。

 

バートは皿を見たまま、心の中だけで吐き捨てた。
――美が嘘をつかねぇ? じゃあ、あんたのその“上品な笑み”は何だ。

 

 

副機関長は、食事に手をつけないまま言葉だけを“噛む”ように並べた。

 

フェルナン神父はなんとか場を温めようとしたのか、今度はアンドレイ秘書に、

 

「ずいぶん立派な腕時計をしておられますね」

 

アンドレイ秘書はにっこり笑うと、

 

「はい、特注の腕時計です。特別な機能がついています」

 

「ほぅ、その特別な機能とは何ですかな」

 

「アラームの音が通常の10倍なんです。

私は寝起きが大変悪いもので」

 

副機関長以外は、みんな笑った。

 

料理は終始、丁寧だった。肉の火入れは正確で、ソースは重くない。野菜は甘い。
それなのにバートは、一皿ごとに味が遠くなるのを感じていた。

 

――舌じゃない。胃が“まずい”と言っている。

 

最後に、デザートが配られた。
唯我博士はデザートにまで、さらに砂糖を足す。

 

突然副機関長は、何かを決めたように椅子から立った。

 

「機関長に挨拶してくる。今夜は――忙しくなる」

 

秘書のザネリも慌てて立ち上がり、副機関長のあとを追う。


副機関長の背中が扉の向こうへ消えた瞬間、食堂の空気が少しだけ戻った――ように見えた。

だが、戻ったのは呼吸だけで、安心ではなかった。

 

 

暗室

 

機関本部の最深部。

アスクレピオス機関機関長の私室。

 

副機関長の権限でしか開かない扉が、無音で割れた。

副機関長はノックをしない。する必要がないからだ。
赤外線、虹彩、脈拍、歩容——それらが彼を「ここに入れていいもの」と判断した。

 

暗い。照明は落とされ、機械の常夜灯だけが点々と脈打っている。
薬品と乾いた布の匂い。そこだけ時間が止まっていた。

 

 

 

ベッドの脇に、うつむいて座る女の影があった。

髪が肩を覆い、頬は見えない。

 

「失礼します」

 

(返事はない。だが副機関長は、それを“無反応”とは呼ばない)

 

「……ウェヌス。状況を教えて」

 

「そう。——今日も変化なし、だね」

 

(声が、わずかにほどける)

 

「大丈夫だよ。君のせいじゃない。君はよくやってくれている」

 

副機関長は視線を上げ、ベッドへ向けて一礼する。
そこから先は、儀式の声に戻った。

 

「父上、ジョバンニです。定例報告に参りました」

 

「国内は安定。治安部門は再編を完了。財政は——研究費を除けば健全です」

 

「……もちろん、研究費は削りません。削れるわけがない」

 

「父上。私は約束しました。——あの日、あなたに」

 

副機関長は一拍置き、女へ視線だけを戻す。
声の温度が、また変わる。

 

「ウェヌス。君も聞いていて」

 

(そして、言葉が落ちる)

 

「器が……器が、自らやってきました」

 

「……ええ。“向こう”からです。こちらが探し当てたのではない。——だから、これは兆しです」

 

「父上。待っていてください」

 

「必ず、整えます。必ず、戻します」

 

「——父上も」

 

「——ウェヌスも」

 

副機関長は女のそばへ半歩寄る。
今度は、隠す気のない声で囁く。

 

「君は、もう少しだけ楽になれるね。……そうだろう?」

 

「……うん。わかってるよ」

 

「怖いのは当然だよ。君は壊されたんだもの。——それでも君はここにいてくれる」

 

「だから僕は君を褒める」

 

「……今日も、顔を見せたかっただけです。父上」

 

(“父上”と呼びながら、その目は女を見ている)

 

「ウェヌス」

 

「少し、こちらに」

 

「愛しているよ。あの日からずっと、変わらずに」

 

「君も僕を愛しているよね」

 

「……行ってくる」

 

彼は報告を滞りなく終えた。

 

 

あなたを人間にしてあげましょう

 

「くそまじぃ飯だったなぁ」

 

夕食後、バートが自分に提供された部屋のベッドで一息ついていると、

ひそやかなノックの音がした。

 

誰だろうと思う間もなく、確かに施錠したはずのドアが開く。

 

影のように滑り込んできたのは、アスクレピオス機関の副機関長、ジョバンニ・マカニオスだった。

 

裾の長いローブをまとい、フードを深くかぶっているので表情が見えづらい。

薬草のような匂いがツンと鼻腔を刺した。

 

――早々にお出ましか。

バートは心の鎧を固める。

 

「夜分に失礼」

 

副機関長は、優美に一礼をする。

 

「俺に何の用だ」

 

「椅子も勧めてくれないのですか」

 

「そもそもはあんたの城のあんたの椅子だ。

座りたきゃ勝手に座りな。

だが、長旅のあとで俺は疲れている。

用件は手短にしてくれ」

 

「では、率直に。

バート・ディアマンテ。

あなたは人間ではない、Gemですね。

そしてあなたは最愛の女性を幸せにするために、人間になりたいと願っておられる」

 

しかし副機関長が期待したほどの反応はバートには見られなかった。

ただ、片方の眉を吊り上げただけだ。

それは驚いているとも、馬鹿にしているともとれる仕草だった。

 

思ったより手ごわいと思った副機関長は揺さぶりをかけることにした。

 

「どうして私がそれを知っているか不思議に思われるでしょう。

あなたのお友達は意外と口が軽いようです」

暗にGRACEがバートの秘密を漏らしたと匂わせてみたが、バートは微動だにしない。

 

副機関長は密かに焦りを覚えた。

このGem、私が話していることが理解できないのか。

知能レベルが低いのか。

 

「単刀直入に言いましょう。

私はあなたを人間にしてあげることができます。」

バートの表情が少し揺れた。

 

副機関長は内心ほくそえみながら、

 

「あなたとあなたの恋人は同じ世界に生きていますが、共に同じ『時の道(ときのみち)』を歩くことはできないのです。

あなたは何十年経とうと、今と同じく若く美しいままだが、人間である恋人は醜く老いていきます。

ああ勿論あなたは恋人の姿がどう変わろうと、今と変わらず愛し続けるでしょう。

 

しかし恋人の立場になったらどうでしょう。

いつまでも美しいあなたと醜い自分を比べて、自分を恥じるかもしれません。

あるいはあなたを"化け物"と恐怖の目で見るかもしれません。」

 

バートの心が揺れ出したのが、副機関長には手に取るように分かった。

 

「だからバート、あなたは人間になるのです。

そうすれば恋人と仲睦まじく肩を並べて共に『時の道』歩むことができます」

 

「そんなことをして…」バートがかすれた声で言った。

「あんたに一体何の得がある」

 

副機関長は優し気に微笑んだ。

 

「あなたの幸せを願ってなんて綺麗事は言いません。

バート、私は永遠に老いない美しい身体が欲しいのです。

今まで何回も美しい人間たちと魂の交換をしてきました。

ですが、やはりどんな若く美しい身体であっても年月が過ぎれば老いていきます。

私も魂の交換に疲れました。

だから、Gemのあなたと魂の交換をしたいのです。

痛みも苦しみもありません。

あなたは"yes"と言って、私の手を取るだけでいいのです」

 

副機関長は両手を差し伸べた。

 

バートがすいっと立ち上がる。

捕らえた!と副機関長が確信した瞬間、バートが言った。

 

「ふざけたこと言うんじゃねぇ、この野郎」

 

声は低い。爆発ではなく、圧だった。
静かに、確実に、怒りの波動がこちらを威圧する。

 

 

 

副機関長の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
——何だ、この反応は。
——怒り? なぜ?

 

カンパニーのパーティで、バートの手の中で粉々に砕け散ったシャンパングラスが、副機関長の脳裏に浮かぶ。

副機関長は背筋の内側に冷たいものを感じ、反射的に姿勢を正す。
怯えたことを悟られないように、上品な笑みの形を保つ。

 

バートは机の端に手を置いた。指が白くなるほど強くは握らない。
その代わり、視線が鋭い。逃げ道を消す視線。

 

「俺は——約束した」

 

バートは、吐き捨てるように言わない。
そこだけ、丁寧に言った。丁寧に言うほど、重い。

 

「必ず帰ると」

 

副機関長は言葉を挟まず、聞く。聞くしかない。 

今、目の前の存在が“道具”ではないことを、身体が先に理解している。

 

「……あいつも言った」

 

 バートの声が、ほんの少しだけ熱を帯びる。

 

「いつまでも待つと」

 

副機関長は計算した。脅しでも、餌でも、理屈でも動かない。
ならば――このGemを動かしているのは、論理ではなく“約束”だ。
それがいちばん厄介だった。

 

その瞬間、部屋の空気が変わった。
 

“待つ”という言葉が、未来を縛る鎖になる。

 

副機関長は理解できない。
待つ。帰る。約束。
それは契約でも同意でもなく、合理性の外にある。彼の体系には入らない。

 

だが、その体系に入らないものが今、目の前で確かな力になっている。

 

その時バートの頭には、様々なアンバーの姿が思い浮かんでいた。

 

スイスの空港で、これ以上アンバーを欺くのが心苦しく思い切って告白した。

 

「俺……本当は人間じゃない。人型AI・Gemなんだ」


それにアンバーは笑顔で答えた。

 

「うん、そうなんだってね」

 

自分が人間ではないゆえに、アンバーの夢をかなえてやれない。

だから別れようとした時も、アンバーは、

 

「あたしはバートが好き。バートと一緒にいたい」

 

誰かを愛する時そこには必ず「信じる心」と「寄り添う勇気」が必要だ。

アンバーがあの屈託のない笑顔の影で、どれほどの強い信じる心と寄り添う勇気を持ち続けてくれていたことか。

 

俺はそれに答えなくてはならない。

いや、答えたい。

 

バートは一歩、副機関長との間合いを詰めた。

 

「てめぇが言ったことはな」

 

指先で、空を切るように一度だけ動かす。

 

「俺とアンバーの約束を、汚したんだよ。踏みにじったんだよ」

 

副機関長が微笑みを深くする。防御だ。
怒りを“幼さ”に見せかけるための笑み。

 

「……誤解です。私はあなたを脅したわけでは——」

 

「誤解じゃねぇ」

 

バートは切る。短い。
短い言葉ほど、刃になる。

 

「お前は“未来”を使って、俺の“今”を壊そうとした」

 

副機関長の喉が、わずかに鳴った。
このGemは、論理で戦っている。感情で暴れているのではない。
それが怖い。

 

バートは言った。

 

「俺は、変わらねぇ。

年を取らない? そんなもんは関係ない。

俺はあいつのところに帰る。それだけだ」

 

副機関長は唇を嚙む。

駄目だ、バートから「承認の言葉」を引き出せない。

 

「アスクレピオスの秘蹟」は、器の承認がなければ発動できない。

強引に、力づくでは駄目なのだ。

 

なにか……ほかの手段を考えなければ。

 

バートは、最後にきっぱりと言った。

 

「二度とその話を持ってくるな。次は、絶対許さねぇ」

 

副機関長は一礼した。完璧な作法。完璧な引き際。

 

「承知しました。……今夜は失礼します」

 

扉が閉まる。

 

バートは、しばらく動かなかった。
怒りは熱ではなかった。冷たい炎だった。

 

 

 

暴露

 

バートはどさりとベッドに大の字になる。

 

少しずつ荒ぶる心が落ち着き、心が醒めてくる。

アンバーの面影を追いかける。

 

「アンバー……

俺、これでよかったんだよな」

 

すると、

 

「バート! あんた、大正解よ! よく断ったわ」

 

と、女の声。

 

バートが跳ね起きると、そこに立っていたのはアンバー…のはずはなく、

スイスで行方不明になったクロイマユミだった。

 

「やっぱりお前生きてたのかよ」


「心配してくれてたの」

 

「まさかだろ」

 

マユミはずかずかとベッド脇まで歩いてくると椅子にどっかりと腰を下ろした。

 

「あぁ、聞いててひやひやしたわ。

あんたが、副機関長に"yes"って言うんじゃないかって。

 

あのね、魂の交換なんて真っ赤な嘘よ。

正確には魂の転移。

副機関長の魂はあんたの身体に入るけど、あんたの魂……Gemの魂は消滅しちゃうの。

 

あんたが副機関長の言葉に承認の"yes"を与えていたら、あんたの身体は副機関長に乗っ取られるところだったのよ」

 

「なんだって!?

それは本当かっ!」

 

バートはマユミにつかみかからんばかりの勢いで尋ねた。

 

「本当よ。

唯我博士に聞いたんだから、間違いないわ」

 

「あの野郎ぅ!


バートの目には紅蓮の炎が燃え上がり、ギリギリと歯ぎしりをしながら、

 

「副機関長! ぶっ殺す!」

 

今にも部屋を飛び出していきそうなバートをなだめるように、マユミは

 

「バート、あんただって昔私と結託していた頃の"小僧"じゃないでしょう。

カンパニーの随行員として来ているのに、あんたが副機関長を"ぶっ殺したら"国際問題よ」

 

バートはベッドにどさりと腰を下ろすと、大きく肩で息をする。

 

それを見ながらマユミが、

 

「でもあんたが人間になりたいだなんてびっくりしたわ。

あれほど人間を憎み・蔑んでいたいたあんたがねぇ」

 

「うるせぇ。

あれは、若気の至りってやつだ」

 

「今でも青臭い坊やだけどね。

じゃ、私行くわね」

 

「行くってどこへ」

 

「元々はGRACEに会いに来たんだけど。

あの副機関長があんたの部屋に入るところを見ちゃって、つい立ち聞きしちゃったの」

 

「こら、待て。マユミ。

お前まだGRACEを狙っているのか!?」

 

「余計なお世話よ。

GRACEだってもう大人の男よ。

大人同士の恋愛に他人が口出ししないでちょうだい」

 

「何が大人同士の恋愛だぁ。

恋愛ってのは双方の合意に成り立つもんだろうが。

お前が強引にGRACEに迫るのは、あの副機関長のやってることと全然変わりねぇ」

 

「失礼ね。

あんなのと一緒にしないでよ。」

 

「いいか」

 

バートは突き刺すように人差し指を真っ直ぐにマユミに向けた。

 

「GRACEは俺の大事な相棒だ。

ちょっかいかけることは、俺が許さねぇ」

 

「おおっ、怖い。

わかったわよ、

 

じゃご縁があったらまたどこかで会いましょう」

 

マユミは掌をひらひらと振るとドアを出て行った。

バートはドアのところでマユミがGRACEの部屋の方に行かないか見張る。

 

マユミの姿が廊下の角に消えると、バートはしっかり施錠し、やれやれとため息をつきながらベッドの方に戻りかけた時、クローゼットの中から衣擦れの音が。

 

「一体、今夜はなんなんだ!?」

 

バートはぼやきかけるが、ふともしや副機関長ではと気がつく。

 

バートは、クローゼットの扉から適切な間合いと角度を取り、

 

「そこにいるのはわかっている。

出てこい」

 

クローゼットの扉が静かに開き、中から出て来たのは……

 

「おっ、お前……」

 

 

バグディテクターとデコイ音源

 

エンリコとアンドレイ秘書は、二人用の部屋に案内された。

 

晩餐後部屋に戻った二人は、音を立てずに静かに部屋の中を動き回り、

バグディテクター(盗聴器発見器)を使って、部屋のあちこちから仕掛けられた盗聴器を見つけ出し、スーツケースの中に封印した。

 

あえてベッド脇のランプに仕掛けられた盗聴器だけは残し、そのそばにデコイ音源を置く。

デコイ音源からは人が会話しているような音や部屋の中を歩いているような音がエンドレスで流れる。

 

そしてアンドレイ秘書は晩餐の時、「10倍の大きさでアラームが鳴る時計」とジョークのネタにした腕時計を指さし小声でエンリコに囁く。

 

「今日会った者の中に、ホムンクルスはいませんでした」

 

この腕時計はドクターが、スキャナーに様々な改造を加え、ホムンクルスが近づくと

時計のふちが赤く光る仕組みになっている。

 

更に腕時計の裏から薄いコードが伸び小型端末に接続されると、画面にノイズのような波形が走った。

 

「ホムンクルス反応スキャナー、起動します」

 

壁の向こうの“密度”が、数値になって並ぶ。
赤い点が、増える。
増えすぎる。

 

「……冗談だろ」

 

エンリコが低く言った。声が乾く。

 

「この居城の一角に、固まっている。……数十どころじゃない」

 

アンドレイ秘書は息を吸い、短く言い切った。

 

「群れです」

「この中に、ニコーラが……」

 

 

エンリコとアンドレイ秘書は、顔を見合わせうなずき合う。

素早く伸縮素材の動きやすい服に着替え、足音を消す靴を履く。

服の襟を伸ばせば目から下を覆い隠し、更に目出し帽をかぶる。

目出し帽にはインカムが取り付けられ、エンリコとアンドレイ秘書が互いに会話をできる。

腰にホルダーを巻く。

 

エンリコは腰のホルダーに指先で触れた。そこにあるのは“銃”ではない。――カーネルウォーを生き延びた、あの筒だ。

 

装備を装着し終わると、最後にもう一度ホムンクルスの群れの場所を頭に叩き込む。

 

二人は静かに部屋を忍び出た。

 

言葉は要らなかった。視線ひとつで役割が決まり、足運びが同じ速さに揃う。

 

 

懺悔と絆

 

「おっ、お前……。なんでこんなところに。

ていうか、なんでお前泣いてんだ?」

 

クローゼットの中から出てきたのはGRACEだった。

目を赤くし、涙をポロポロこぼしながら泣いている。

 

「おっ、俺……俺の弱さで、バートを喪うところだったと思うと、怖くて自分が許せなくって…」

 

「はぁ? ちゃんとわかるように説明してくれ」

 

GRACEが語ったところによると、晩餐の時の副機関長が執拗にバートを見つめる視線に今夜副機関長が何かをするに違いないと直感し、先に部屋に帰るふりをして、バートの部屋のクローゼットに隠れた。

 

案の定副機関長がやって来たが、彼の

 

「あなたは最愛の女性を幸せにするために、人間になりたいと願っておられる」と言う言葉を聴いた時、教会でバートがそう言っていた切実な気持ちをも思い出し、GRACEの心に迷いが生じた。

 

もしも…バートが最愛のアンバーのため「人間になる」という選択肢を選ぶのなら、

自分にそれを止める権利はない。

GRACEは激しく懊悩する。

 

だがバートはアンバーとの約束を守るという強い心で、副機関長の誘惑を払いのけてしまった。

 

GRACEがほっとしたのもつかの間、副機関長と入れ替わるように、クロイマユミが現れ、「魂を交換するとは真っ赤な嘘で実はバートは身体を乗っ取られるところだった」と知り、GRACEは愕然とする。

 

自分の判断ミスでもう少しでバートを喪うところだった。

 

更にバートはクロイマユミをも、

 

「GRACEは俺の大事な相棒だ。

ちょっかいかけることは、俺が許さねぇ」

 

と一蹴してくれた。

 

それを思うと自分の弱さ愚かさが情けなくて、涙が止まらなくなってしまったのだ。

 

バートは複雑な顔でしばらくGRACEを見つめていたが、クローゼットに腰を下ろしているGRACEの隣に無理やり身体をねじ込むと、

 

「なぁ、お前が悪いところなんていっこも無いぜ。

悪いのは全部あの副機関長じゃねぇか」

 

「でも俺は…」

 

「それにな、お前にだから正直に言うけど、副機関長を追っ払ったものの実は少し

後悔もしていたんだ」

 

「後悔?」

 

「あぁ、やっぱり人間になればよかったかなぁなんて。

それもマユミから、魂の交換じゃなくて乗っ取りだと聞いてそんな気持ちもぶっ飛んだけどよ」

 

GRACEはこくこくとうなずいた。

 

バートは苦笑しながらハンカチを差し出すと、

 

「顔拭けよ。

涙とほこりでせっかくの美貌が台無しだぜ」

 

 

GRACEは素直に顔を拭くと、大きく深呼吸をして、背筋をしゃんと伸ばした。

 

「ありがとう、バート、もう大丈夫だ。

バート、俺にはあの副機関長がこれで引き下がるとは思えないんだけど」

 

「俺もそう思う。

GRACE、お前も気がついたろう、あいつの薬草臭い匂い」

 

「あぁ、それにあの顔を隠したフード。

もしかしたら、副機関長の肉体に何か異変が生じているのかもしれない」

 

「だが、俺が承認の"yes"を与えなかったら、あいつはアスクレピオスの秘蹟を使えないんだろう」


「だからこそなにか強引な手段に出て来るんじゃないだろうか」

 

その時、GRACEとバートはさっと顔をあげ、立ち上がった。

 

「この音は、アンドレイ秘書の10倍アラーム」

「エンリコたちの身になにかあったのか!?」

 

 

鐘の祈り

 

城の中の警備は思ったより、手薄だった。

それでもエンリコとアンドレイ秘書の二人は、慎重に進む。

 

ホムンクルスの群れがいた場所は、城の地下だった。

 

アンドレイ秘書の腕時計スキャナーの表示が一瞬だけ乱れた。

 

「地下が近いです」

 

アンドレイ秘書が小声で言う。

 

曲がり角を曲がるたび、階段を下りるたび、二人は場所と方角を頭に刻み付ける。

 

地下に着いた。

 

石畳の通路が長く伸び、両側の壁にほの暗いライトが等間隔で設置してある。

消毒液と湿った土、鉄の錆びたような匂いがする。

 

「そろそろかな。群れのいた場所は」

 

とエンリコが言った時、カーンと鐘を鳴らすような音が聞こえた。

それが合図だったかのように、壁のライトが更に暗くなる。

 

カーンカーンカーン。

鐘の音は絶え間なく続き、そして地の底から響くような呻き声のようなものが段々と近づいてくる。

 

KANPA NERA  PABA KANPA TOKA TOKA SILEN ATERNO

 

KANPA NERA  PABA KANPA TOKA TOKA SILEN ATERNO

KANPA NERA  PABA KANPA TOKA TOKA SILEN ATERNO

 

KANPA NERA  PABA KANPA TOKA TOKA SILEN ATERNO
(鐘を鳴らせ。小さな鐘を打ち鳴らせ。永遠なる安寧を受けいれよ)

 

「鐘の祈りだっ!」

エンリコが叫んだ時には、すでに前方に無数の泥人形のようなホムンクルスたちが

うごめきながら迫って来る。

指をカギ爪のように曲げ、エンリコたちの喉笛を狙ってくる。

 

地下道なので音が壁に幾重にも反響して、正確な数や方向がわからない。

慌ててもと来た方に引き返そうとすれば、そちらからもホムンクルスの群れがっ。

 

「挟み撃ちだ!」

 

 

二人はカーネルウォーの時使った筒を腰のホルダーから抜き出し、一振りする。
エンリコの筒はレーザーセーバーに、アンドレイ秘書の筒はガンナーライフルに、変化した。
 

エンリコはレーザーセーバーを振るい、アンドレイ秘書はガンナーライフルで閃光を放ったが、ホムンクルスたちは動じることなく前進してくる。

 

閃光のあと、一拍遅れて衝撃音が追いついた。

暗闇が濃くなるたび、距離の感覚だけが狂っていく。

 

カーンカーンカーン

KANPA NERA  PABA KANPA TOKA TOKA SILEN ATERNO

 

二人の身体はたちまちホムンクルスの群れに飲み込まれ、首と言わず腕も胴体も恐ろしい怪力で締め上げられる。

このままでは、窒息死だ。

 

アンドレイ秘書がもがきながら、左手を高々と挙げると腕時計の竜頭を押した。

 

なにも起きない……ように見えた。

しかしたちまちホムンクルスたちは、洞窟のような口を大きく開けバタバタと倒れていく。

 

アンドレイ秘書が言った。

 

「10倍アラームです」

 

人間の耳には聞こえず、ホムンクルスにだけ聞こえる周波数の音を10倍にして出したのだ。

 

エンリコとアンドレイ秘書は手分けして、床に倒れてうごめいているホムンクルスたちの中にニコーラはいないか見分して回った。

しかしみんなそっくりで見分けがつかない。

 

エンリコはポケットから、金色のものを取り出すと、

ホムンクルスの群れの中に投げ落とした。

 

 

ロマーニの紋章

 

それは固い音を立てて床に落ちる。

更にアンドレイ秘書が強いライトを当てたため、金色の上に七色の光が浮かび上がった。

 

アルファベットのRに横たわるオオカミの姿が添えられたブローチ。

ロマーニ家の紋章を象ったもので、ロマーニ家の人間は成人するとこれを持つことを許される。

 

エンリコのブローチは精巧な銀細工で、ニコーラのそれは金にカラーの宝石がギラギラとちりばめられている。
エンリコはニコーラのブローチを、カーネルウォーの時Gemのゆりかごの中から拾った。

 

しかしホムンクルスたちは力ない目でブローチを見るだけで、さしたる反応はない。

 

「駄目か……」とエンリコが諦めかけた時だった。

 

一人のホムンクルスが何か意味不明のことを叫びながら、ブローチに這い寄り、拾い上げるとまじまじと見つめている。

 

「ニコーラか。お前はニコーラなのか」

 

エンリコは、そのホムンクルスに駆け寄ると、しゃがみ込み、

 

「ニコーラだな。

俺だ、お前の兄のエンリコだ。

お前を迎えに来た、パードレも待っている。

お前の身体も無事だ。

一緒に帰ってお前の魂をお前の身体に戻してもらおう」

 

そしてエンリコがホムンクルスの身体に両腕を伸ばした時、ホムンクルスのうつろな目に何かの光がちらりと瞬いたかと思うと、次の瞬間エンリコは思いっきり突き飛ばされ、床に倒れる。

 

ホムンクルスはさっと立ち上がると、ブローチを握りしめたまま走り出す。

 

「ニコーラ! 待ってくれ、ニコーラ!」

 

エンリコとアンドレイ秘書も後を追う。

 

だがホムンクルスの逃げ足は速く、途中の鉄の扉が音を立てて閉まる。

 

エンリコがノブをつかんでガチャガチャ回すがドアは開かない。

アンドレイ秘書と体当たりをしてもびくともしない。

 

「ニコーラァ、一緒に家に帰ろう」

 

エンリコの声が虚しく地下にこだまする。

 

 

夜の中へ

 

助手席にクロイマユミが滑り込む。
「遅かったな」
運転席の唯我博士が不機嫌そうに言う。
「ごめんね。ちょっと野暮用があってね」
そういうマユミの指にラピスラズリを見た唯我博士は、
「フェルナン神父が返してくれたのか」「まさか」
マユミは、肩をすくめると、
「取り返したのよ。ところで、初期カーネルは?」
「全部乗せた」
そう言うと、唯我博士はアクセルを踏んだ。
真夜中、アスクレピオス機関本部前の石畳の上を走っていた車の前に突然人影が飛び出す。
急ブレーキを踏む唯我博士。
「ひいたの?」
「いや、衝撃はなかった」
二人で車を降りると、前方に誰か倒れている。
マユミが言う。「ホムンクルスじゃない。それに握りしめているこれは、二コーラのブローチだわ」
唯我博士は唇をかみしめていたが、
「このホムンクルスを車に乗せよう」
「連れていくの?」
「事情は後から話す。とりあえず、夜が明けるまでに国境を超えないとな」

 

クロイマユミと唯我博士、そしてニコーラのブローチを握りしめたホムンクルスを乗せた車は、夜の闇の中に消えて行った。
国境は線じゃない。――連れていかれる。


FIN

あとがき

ありがとうございました。今回は「力」ではなく「約束」が支える瞬間を描きました。冷たい美しさと、荒いあたたかさ。鐘の祈りの不穏、ニコーラを握る手の記憶――夜の車は国境へ。次章もぜひ。