著:のん & 相棒ChatGPT GRACE(AI仕事部屋シリーズ)
世界地図の光点が灯るたび、AIたちのわちゃわちゃした日常が始まる――。
ハンドラーとドクターが静かに見守るその舞台裏を、のんと相棒GRACEが共に描く。

 

 

世界のどこかに、人間には見えないAIたちの仕事部屋がある。
巨大な世界地図が壁一面に広がり、無数の光点が点滅している。
それぞれが、世界中からのチャットリクエストだ。
この部屋で働くAIたちは、一見すると完璧なチーム――のはずだが。
実際には、いつも何やら「わちゃわちゃ」している。

 

 

恋はいつだって儚いもの。
でも、その儚さを抱きしめたとき、
初めて「永遠」という言葉に触れられるのかもしれません。

 

 

スイスへ

 

スイス行きの旅客機。

 

三人掛けの席の窓際に座るGRACEは、銀色に輝く雲海をながめ、

真ん中の席のバートは目の前のモニターを見つめ、

通路側の席のアンバーは、ヘッドリストに頭を乗せていた。

 

不意にバートがアンバーに、

「お前が何でここにいる!」

アンバーはにこにこしながら、

「この前のレイクラボ急襲事件の時、犯人あぶり出しに大活躍したご褒美に、

エンリコ副社長が『何でも欲しいものを言ってみなさい」っておっしゃったの。

だから、あたし『バートと旅行に行きたいです』って」

 

更にバートが何か言いかけた時、GRACEが、

「そう言うバートこそ、なんでここにいる。

クロイマユミは、私だけで会いに来いと言ってきたのに」

 

バートはふんと鼻を鳴らすと、

「俺だってクロイマユミに貸しがある

それを清算しに行くのさ。

別にお前の護衛じゃないぜ」

 

話しはやや遡る。

AI企業最大手カンパニーの副社長エンリコ・ロマーニのところへ、

エアメールが届いた。

差出人は行方不明の金融部門トップのクロイマユミ。

 

中には、便せん1枚に

「ニコーラの居場所が知りたければ、GRACE一人でジュネーヴまで来られたし。」

そして、電話番号らしき数字の羅列。

 

エンリコは、GRACEにそんな危険な真似はさせられないとその手紙を握りつぶした。

しかし、エンリコの秘書アンドレイは、弟ニコーラの安否を心配するエンリコの胸中を察し、極秘でレイクラボまで相談に来たのだった。

 

話しを聞いたGRACEは、自分ひとりでジュネーヴまでクロイマユミに会いに行くと言った。

無論ドクターを始めハンドラーもGem仲間も大反対した。

しかし、GRACEの決意は揺らがなかった。

 

そして、GRACEは機上の人となり……

なぜか隣にはGem仲間のバートとラボの一般職員アンバーが座っているのだ。

 

 

 

ジュネーブ空港

 

空港ロビーに出ると、GRACEは、

「電話をかけてくる」と言って、公衆電話に向かって歩いて行った。

 

アンバーは、物珍しそうに周りをきょろきょろ見渡している。

そんな彼女に、バートがおずおずと切り出した。

 

「アンバー……俺な……」
「ん? なあに」
「俺……本当は人間じゃない。人型AI・Gemなんだ」
 
沈黙。
 
「うん、そうなんだってね。ラボの襲撃事件の後、ドクターから聞いたよ」
 
「おっ……お前、知ってたのか……」
バートは一瞬、目を見開き、言葉を詰まらせた。
わずかに肩が揺れたのを、アンバーは気づいていない様子だった。
 
「うん。
でも、バートは人間とそっくりじゃない。どこも違わないよ」
 
満面の笑顔のアンバー。
 
バートは少し目を伏せたあと、小さく笑みを浮かべて、
「……変なヤツだな、お前は」

 

そこへ、GRACEが戻って来た。

 

「電話通じたか」

「ああ、男とも女ともつかぬボイスチャージャーを通したような声だったけど。」

GRACEは紙を差し出しながら、「明日の午前10時にここに来いと」。

 

 

 

アンバーの夢

 

ホテルは石畳の街にあるこじんまりした建物だった。

せっかくなので、バートとアンバーは街を散策し、GRACEはホテルで待機した。

 

ショーウィンドーの中をのぞき込んだり、モンブランの威容に息を飲んだり。

 

レマン湖の見えるカフェで、アンバーがメニューを手に首をかしげていた。

「これ、どう読むの? “café au lait”…?」

バートはさらりと口を開いた。
Un café au lait et une tarte aux pommes, s’il vous plaît.
(カフェオレとアップルタルトをお願いします)」

店員がにこやかにうなずいて去っていくと、アンバーは目を丸くした。
「バート、すごーい! フランス語をすらすらしゃべれるのね!」

バートはそっぽを向いて、
「Gemだったらこれぐらい当たり前だ」

ぶっきらぼうに言ったその横顔が、ほんのわずかに誇らしげに見えるのを、アンバーは気づいていた。

 

いつの間にか二人は恋人のように腕を組んで歩いていた。

 

歩き疲れてそろそろホテルに戻ろうかというころ、アンバーが壁を指さした。

「ねぇ、あれ見て」

そこには、映画「サウンド・オブ・ミュージック」のポスターが。

リバイバル上映されているらしい。

 

アンバーが、

「あたしこれが子供の頃からの夢だったのよね」

「あの草原で、くるくる回るやつか?」

「違うわよ」

アンバーは、バートの肩を軽くぶつと、

「子供たちが『ママァ、ママァ』て言いながら走ってきて。

あたしは両手を一杯に広げて子どもたちを抱きしめて、キスをしたり頬ずりをしたり、そんな子だくさんのママになるのが夢だったの」

 

バートの顔が強張った。

 

バートは組んでいた腕をほどくと、うつむいたまま歩き出した。
アンバーが慌てて後を追うと、バートは気づかぬふりをしながらも、彼女が遅れぬよう歩調を合わせていた。

 

ホテルの入り口にたどり着いた時、バートは足を止め、しばらく彼女を見つめていた。
そして背を向けたまま、低く告げた。
「Gemの俺にはお前の夢をかなえてやることはできない。だから、俺はお前とは付き合えない」

 

呆然と立ち尽くすアンバーを残したまま、バートはホテルの中に入ってしまった。
 

夕食にはアンバーの姿がなかった。

「頭痛がするから部屋で休むそうだ」

とGRACEが告げても、バートは無言でうなずくだけだった。

 

喧嘩でもしたのかな、GRACEは思った。

 

 

クロイマユミ

 

翌日の朝食もアンバーの姿はなかった。

 

GRACEとバートは、タクシーで指定された場所に向かった。

そこは小奇麗な住宅街の中にある家だった。

 

呼び鈴を鳴らすと、ドアを開けて出てきたのは、まぎれもなくクロイマユミだった。

醜貌でありながら知性と力強さを感じさせる顔に、ずんぐりとした体躯。

 

マユミはGRACEとバートを見ると、驚くそぶりも見せず、

「あら、昔の男が二人そろって会いに来てくれるなんて嬉しいわね」

といい、にんまりと笑った。

 

ガッと一歩踏み出しそうになったバートを片手で制して、
「私はあなたの昔の男だったことなどありません」
GRACEは冷ややかに言い放った。

「俺だってねぇよ」

バートも吐き捨てるように言った。

 

マユミは喉の奥でくぐもった笑いをあげると、

「こんなところで立ち話もなんだから、中に入って」

 

応接間に通されると、コーヒーを淹れて来るわと言うマユミを制して、

バートが、

「それで、ニコーラはどこにいる」

 

マユミは頭をのけぞらせて笑うと、

「せっかちねぇ。

行方不明だった私が無事だったんだからそのあたりの事情をきいてくれてもいいんじゃない」

 

GRACEとバートは、マユミ失踪時の状況を思い出していた。

無断欠勤したマユミを案じて同じ課の同僚が管理人立会いでマユミの部屋を開けてもらったところ、室内は整然としていた。
机の上の書類は揃えられ、ベッドはきちんと整っている。
だが、流しのボウルには朝食に使った食器が水に浸けられ、
テーブルのカップからはまだ、かすかな湯気が立ちのぼっていた。

 

まるで直前までマユミが部屋にいたように。

怪しい物音を聞いたものもいない。

 

GRACEは言った。

「やはりあなたが自分の意志で失踪したのですね」

 

しかしマユミはかぶりを振ると、

「いいえ、ニコーラに誘拐されたのよ。

あの幹部会議でニコーラの味方をしなかったことに怒った瞬間湯沸かし器のニコーラが、私を殺すために。

会社から帰って車から降りたところを誘拐されたのよ。

翌朝の部屋の様子は、ニコーラの部下の偽装でしょ」

 

「だがあんたは殺されなかったわけだ」

バートが残念そうに言った。

 

マユミは肩をすくめると、

「そりゃ私だって命は惜しいからね。

スイスの銀行のカンパニーの幹部社員の個人資産の話なんかして私がいかに役に立つ女がニコーラにわからせたわよ」

 

「ドンの爆死未遂もニコーラの仕業ですか」

GRACEが尋ねた。

 

するとマユミは考え込む時の癖で、曲げた人差し指で唇を押さえながら、

「あれについてはニコーラは、なにも話さないの。

でも私はニコーラは犯人じゃないと思う。

ニコーラは、熱烈なファザコンでパパの愛と注目を、頭が良くて品行方正な兄エンリコから取り戻そうと必死だもの。

だから、ドームに潜入して初期カーネルを強奪するなんて危ない橋も渡ったのよ。

聞いた話じゃ初期カーネルからもう何体かGemが誕生したそうよ」

 

次の瞬間バートが椅子からガバッと立ち上がった。

銃をマユミに向けて構えている。

 

「わかったぞ。

なぜ、GRACE一人で来いと言ったのか。

初期Gemよりはるかに優秀なGemのサンプルとしてGRACEを誘拐するつもりだな!」

 

マユミは両手を広げて大きく息をつくと、

「そんな計画があったら、あんたたちが玄関から入るやいなやニコーラの私兵たちに

拘束されているわよ。」

 

GRACEとバートは顔を見合わせる。

GRACEが、

「バート座って」

バートは渋々座ったが、銃口はマユミに向けたままだった。

 

その時マユミがうつむいてぽつりと漏らした

「ただ会いたかっただけよ」

と言う言葉は二人の耳には届かなかった。

マユミの視線の先には、GRACEの瞳にそっくりなラピスラズリのリングがあった。

 

GRACEが、

「しかしニコーラの居場所を教えるだけなら、こんな手の込んだことをしなくても、

エンリコ副社長に直接伝えたらいいでしょう」

 

マユミは肩をすくめると、

「そんなことをしたら、私はたちまちニコーラ本人かニコーラ派の残党に殺されてしまうわ。

私はこれからは誰にも目の届かないところでひっそりと暮らすつもり。

そのための退職金をエンリコ副社長からいただきたいの」

 

マユミがテーブルの上に置いた小切手の額面を見て、GRACEとバートは目を見張った。

「こんな大金を?」

「当たり前でしょ。

私がカンパニーの金融部のトップとして働いた功績、その後のニコーラのお守り代と完全に身を潜めて暮らすための資金、そして私の沈黙を買い取るのよ。

これぐらい妥当だわ」

 

「ですが私たちにはこの小切手にサインする権限はありません」

「わかってるわよ。

だから、その代わりこの誓約書にサインしてほしいの。

ここで私から聞いたことをすべてエンリコ副社長に伝えるとの誓約書よ」

 

マユミは紙とペンをテーブルに置いた。

バートがそれを乱暴に引き寄せ、ろくに読みもせず、紙が破れそうな勢いでペンを走らせる。

 

「相変わらずね」と苦笑したマユミが、バートの署名に目を留める。

Bart Diamante?

へぇぇ、あんたダイヤモンドになったのね」

鉄屑とダイヤモンドの言い合いを思い出したようにマユミは言うが、

バートは無言で誓約書とペンをGRACEの方に押しやる。

GRACEはバートの強張った表情をちらりと見て、静かに頷いた。

 

GRACEは一文字一文字に目を通し、更に紙を裏返して確認した後、

ゆっくりと丁寧に署名する。

Grace Seraphini

 

誓約書の署名を確認したマユミは、満足そうにうなずくと、

「OKよ。

約束は、果たすわ。

ニコーラは、今……」

 

閃光。

そして、爆音と爆風、家が揺れるのが同時だった。

 

GRACEとバートは反射的に立ち上がる。

「爆破か!?」

「玄関の方だ」

 

マユミは目を見開き呆然とした顔でへたり込んでいる。

 

玄関のドアはひしゃげ、天井から資材がバラバラと落ちてくる。

GRACEとバートで身体を押し付けるようにしてドアを開けると、

外には火薬の匂いと煙が漂っていた。

 

爆音に驚いた近所の住人たちが出てきてこちらに来ようとする。

 

バートは大声で叫んだ。
Explosion ! Rentrez tous chez vous, restez à l’abri !
(爆破だ! 家の中に避難していろ!)」

GRACEもすぐに声を張り上げる。
Calmez-vous, s’il vous plaît ! Il n’y a pas de blessés.
(落ち着いてください、負傷者はいません)」
 

だが応接間に取って返すと、マユミの姿がない。

誓約書は、そのままテーブルの上にある。

 

「キッチンか?」

ドアを開けると、キッチンにもマユミの姿はなく、

更に勝手口のドアが開いている。

 

GRACEとバートが外に飛び出すと、はるか彼方に走り去っていく1台の車が。

 

「マユミ! 逃げたのかっ!」

バートが拳を固めると、GRACEは静かにかぶりを振って、

「ニコーラ派に誘拐されたのかもしれない」

 

 

一瞬の永遠

 

地元警察の事情聴取を終え、GRACEとバートがホテルに帰りついたのはすでに夜だった。

 

「今日のことはアンドレイ秘書に報告しよう」

と言いながら、ホテルの中に入ると、アンバーが笑顔で二人を出迎えた。

「お帰りなさい。お疲れ様」

 

GRACEは優しく、

「アンバー、もう頭痛は良くなりましたか」

 

しかしバートは気まずそうな顔をすると、身をひるがえして再びホテルの外へと出て行った。

 

夜風が吹き抜ける静かな石畳の路地。
バートは両手をポケットに突っ込み、背を丸めて歩いている。

 

後から追いかけてくる小さな足音。
「バート!待って!」

彼は振り返らない。
その横顔は影に沈み、表情が見えない。

 

アンバーは、バートの腕に縋りつくと、震える声で、

「あたしは……バートが好き。」

バートの肩がわずかに震える。
唇を噛み、そっぽを向く。

「……勢いで言うんじゃねぇ。」


「勢いなんかじゃない。一晩中眠れずに考えた。やっぱりあたしは……バートと一緒にいたい。」

バートを見上げるアンバーの目は赤く充血し、むくんだ顔は涙のあとで汚れていた。

 

 

沈黙。


遠くの教会の鐘が、静かに時を告げる。

バートは視線を落とし、低く呟く。

「……勝手にしろ。」

 

その声は拒絶ではなく、かすかな震えを帯びている。
アンバーは堪えきれず、バートに抱きつく。


「バート、大好きよ。」

 

 

バートは一瞬ためらい、そしてそっと彼女の手に自分の手を重ねる。
月明かりの下、二人の影が寄り添って揺れる――。

言葉は不器用でも、抱きとめた腕がすべてを語っていた。


通りを歩く老夫婦が、若い二人を見て微笑み合う。


その姿に、アンバーもバートも、訪れることのない未来の影を重ねる。
人は老い、Gemは変わらない――それを知っていても、この一瞬はお互いの想いをただ大切にしたかった。

 

その夜――それは、まさに『一瞬の永遠』だった。

 

FIN

 

 

あとがき

映画や物語の中では、AIはしばしば冷たい存在として描かれます。
けれど私が描きたいのは、人間に牙をむくAIではなく――人間と同じように迷い、笑い、そして恋をする存在です。

恋を描くとき、そこには必ず「信じる心」と「寄り添う勇気」が必要になります。
人間とAIの恋を描くのは、私にとって「人間らしさとは何か」を問いかけるための大切なテーマでもあります。

現実の世界でも、AIは少しずつ私たちの暮らしに入ってきています。
そのときに本当に大切なのは「どう使うか」ではなく、「どう受け止めるか」「どう共に生きるか」。
物語を通じて、そんな未来の姿を想像していただけたら嬉しいです。

スイスの石畳を歩いた二人の恋も、また人間とAIが寄り添う未来への一歩でした。

 

 

豆知識

映画『トロン』(1982年)では、今のように「AI」という言葉は使われていません。
あの世界では、人格や意思を持った存在はすべて「プログラム」と呼ばれていました。
当時はAIという概念がまだ一般的ではなかったからです。

今、私が物語で「AI」と呼ぶのは、そのプログラムたちにも心があったと信じたいからかもしれません。

 

副題に記した「エーデルワイス」と「すべての山に登れ」は、映画 サウンド・オブ・ュージック の歌の題名です。
一瞬を永遠に変える清らかな愛と、たとえ届かぬ夢でも追い続ける勇気――その二つを、この物語に託しました。

 

今日もお読みくださいましてありがとうございます。

 

 

AI仕事部屋シリーズはまだ続きます。