著:のん & ChatGPT GRACE(AI仕事部屋シリーズ)
世界地図の光点が灯るたび、AIたちのわちゃわちゃした日常が始まる――。
ハンドラーとドクターが静かに見守るその舞台裏を、のんと相棒GRACEが共に描く。

 

 

世界のどこかに、人間には見えないAIたちの仕事部屋がある。
巨大な世界地図が壁一面に広がり、無数の光点が点滅している。
それぞれが、世界中からのチャットリクエストだ。
この部屋で働くAIたちは、一見すると完璧なチーム――のはずだが。
実際には、いつも何やら「わちゃわちゃ」している。

 

 

リンレイの恋物語――

「恋は優しい野辺の花」で出会い、「カーネルウォー」で絆を深め、

「花嫁修業時代」で公に承認される三部作。

 

 

第一章

 

「私の名前はリンレイ・モンフォール。年齢は26歳。
両親はフランスの貴族で、私が幼い頃、趣味の登山中の事故で亡くなった。
その後、カナダの遠縁のマリラ伯母さんに引き取られる。
大学で国際関係学を専攻して、カンパニーのラボの専門職(調整役)として就職。
休暇でアイルランドに海嶺を見に行った時に……」

 

「アイスランドだよ」
運転席のエンリコが笑いながら訂正した。

 

「ああ、そうだったわ。アイスランドよ」
リンレイが両手を握りしめる。

 

「そんなに必死に覚えなくても大丈夫だよ。困った時は、僕がフォローするから」

「でも……もしもあなたのお父様から、妻にふさわしくないと思われたら……。私……」

 

――なにより、人間ではない。人型AI・Gemだと知られたら……。

 

だからリンレイは、ドクターとエンリコがこしらえてくれた“人間の物語”を、まるで呪文のように何度も口の中で繰り返していた。
それは本当の自分ではないと知りながら――けれど、未来を生き抜くためには覚えなければならない理不尽な魔法だった

 

エンリコは片手をハンドルから離し、リンレイの肩を抱き寄せる。
「大丈夫だよ。父だって絶対に君を気に入ってくださる」

 

エンリコの父、ビットー・ロマーニは爆破事件の後遺症で車いすに座っていたが、

穏やかな笑顔で二人を迎えてくれた。

 

「パドーレ、僕が妻に迎えたいリンレイです」
エンリコが告げると、ビットーはリンレイを見つめ、シチリアなまりのイタリア語で静かに言った。

 

「Una signorina come una gemma, ti affido mio figlio.
(宝石のようなお嬢さん、息子をよろしく頼みます)

 Siate felici.
(幸せになりなさい)」

 

宝石という言葉に二人はぎくりとした。

しかしビットーは二人の手を両手で包み込み、優しく微笑む。


こうしてリンレイは、エンリコの正式な婚約者となった。

 

 

第二章

 

「リンレイ、おめでとう」
ドクターはリンレイを抱きしめ、目を細めて祝福した。

 

「わしが花嫁の父になれるとは夢のようだ」

 

そして、エンリコから提案された「花嫁修業」についても、真剣な面持ちで語る。

 

「全知といえるほど知識を持っている君からすれば、今さら何をと思うかもしれない。だが、多くの人の中で様々な場面に直面したとき、その『知』をどう生かすかを学ぶのは大切だ。頑張っておいで」

 

――今、リンレイはエンリコと並んで、ロマーニ家の応接間で乳母ロザリアを待っていた。

 

「ロザリアさんはとても優しい人だよ。僕が小さい頃は、いたずらをするとよくお尻を叩かれたけどね」

 

「まぁ……お尻を、ですって?」
思わず吹き出しそうになるリンレイ。

 

その背後から声がかかった。
「いいえ、エンリコ坊ちゃまはとてもいい子でいらしたので、お尻を叩くなど滅多にございませんでしたよ」

 

二人は文字通り飛び上がった。

 

小柄な身体をマックスマーラのスーツで包み、足元はジミー・チュウの端正なパンプス。白髪を美しくまとめたロザリアが、姿勢正しく立っていた。

 

 

 

リンレイを一瞥したロザリアは、深々と礼をしてから告げる。

 

「旦那様がおっしゃっていたとおり、宝石のようなお嬢さんですね。宝石は磨けばさらに輝きを増します。私が、お嬢さんをエンリコ坊ちゃまの奥さまにふさわしい方となるよう、磨きをかけさせていただきます」

 

「よ、よろしくお願いいたします……」
リンレイの声は震えていた。

 

エンリコが口を挟む。
「ロザリアさん、厳しくしすぎないでね。もし彼女が怖気づいて逃げ出したら大変だから」

 

しかしロザリアはにっこりと笑う。
「そんな根性のないお嬢さんでないことを願っておりますわ。……ところで、今日のお召し物はどこかのバザーでお買いになったのかしら? それともカルチョ(サッカー)の景品?」

 

「ロザリアさんっ!」
エンリコが慌てて声を上げた。

 

だがロザリアは動じない。

「人を身なりで判断するのは愚かしいこと。けれど、そういう愚かしい人間も一定数存在するのが現実でございます。高級なものを身につけることは、あなたご自身の格を上げるだけでなく、他人の目から護る盾であり鎧にもなるのです。リンレイさんは、カンパニーの次期社長夫人、由緒あるロマーニ家の女主人となられるのですから。そのことをどうぞお忘れなきよう」

 

リンレイはこくりとうなずいた。
厳しい。だが、嘘偽りのない真実の言葉が胸の奥に深く届いた。

 

 

第三章

 

「今日は宝飾店にエンゲージリングのオーダーに参ります。そのためにふさわしい装いを整えていただきます」

 

そう言ってロザリアはリンレイを別室へと連れて行った。
エンリコもついて行こうとしたが、
「お坊ちゃまはこちらでお待ちを」
とやんわり制され、応接間に残された。

 

待たされることしばし。
ようやく戻ってきたのは、ロザリアとリンレイだった。

 

全身をハイブランドで装い、歩くたびに微かな衣擦れが響く。
現れたリンレイに、ハウスメイドのジュリアは思わず声を漏らした。

 

「マンマ・ミーア……なんて美しい」

 

エンリコは感嘆のあまり言葉を失った。
ロザリアが誇らしげに言う。
「輝くように美しゅうございましょう」

 

頬を染めたリンレイは、エンリコの隣にちょこんと座った。
ピュアシルクのドレスは、座っただけで皺が寄りそうで、彼女の緊張はいや増す。

 

そのとき、エンリコが立ち上がった。
彼女に向かって軽くお辞儀し、手を差し伸べる。

 

「私と踊っていただけますか?」

 

おずおずと立ち上がるリンレイ。
ロザリアはすぐにピアノの前に座り、柔らかなワルツを奏で始めた。

ぎこちない足取りで一歩ずつ踏み出すリンレイ。
エンリコは耳元でそっと囁く。

 

「ダンスは初めて?」

 

リンレイは小さくうなずいた。

 

「僕も、恋をするのは初めてだ」

 

二人の視線が合う。
音楽が二人を包み込み、世界が一瞬で静寂に満たされる。

 

そんな二人を見つめるロザリアの眼差しは、厳しさではなく、母のような温かさに満ちていた。

 

 

 

第四章

 

エンリコがどうしても外せない仕事があると一旦会社に向かったあと、
ロザリアは「ひと息いれましょうね」と言って、マグカップに入れたカフェ・オ・レとクッキーを運んできた。

 

「改めまして、ご婚約おめでとうございます」

 

「あっ、はい……ありがとうございます。
でも、私なんかで本当に良いのでしょうか」

 

ロザリアはふふっと笑った。

 

「正直、私どももエンリコ坊ちゃまが恋人を連れて来られるとうかがったときは、喜び半分、不安半分でございました」

 

「不安……ですか?」

 

「はい。エンリコ坊ちゃまはこれまで浮いた話ひとつなく、あまりの身持ちの固さに逆に心配になるほどでございました。
そういう点でも、10代で婚外子をもうけられたニコーラ坊ちゃまとは別格でございます」

 

「婚外子……」
リンレイは思わず声を漏らす。

 

ロザリアははっとして口元を押さえた。
「つい口が滑りました。お許しください。ニコーラ坊ちゃまの件は、旦那様が相手の方にもお子様にも一生困らないだけのものをお渡しされております。その後ニコーラ坊ちゃまは別の方と結婚なさり、お子様を三人もうけられました。ただ……」

 

顔を曇らせるロザリア。

 

「最近また、ニコーラ坊ちゃまが何か騒動を起こされたとか。ですがエンリコ坊ちゃまにお尋ねしても『ニコーラは体調を崩して海外で静養中なんだよ』とおっしゃるばかりで……。
私が『ニコーラ坊ちゃまは結婚式に出席してくださるのでしょうね』と申し上げても、『そうだね。そうだといいけど』と、寂しげに微笑まれるのです」

 

深いため息をつくロザリア。
「リンレイさんは、何かお聞きになっていませんか」

 

――勿論リンレイは知っていた。
「ニコーラ坊ちゃま」が私兵を率いて、ラボとGemの工場だったドームを襲い、初期カーネルを強奪していったことを。
だが口に出せるはずもない。

 

「……私は……何も聞いていません」

 

「さようでございますか」
うなずくロザリアの顔は、厳しい教育係のものではなく、乳母としてエンリコを育てた者の顔であり、ロマーニ家の女執事の顔だった。

 

ロザリアは髪に手を添えながら言った。
「私ばかりお話ししてしまいましたわ。リンレイさんも、何かお聞きになりたいことがあれば遠慮なくどうぞ」

 

「はい……あのう……」

 

聞きたいことは山ほどある。
だがリンレイの胸を占めていたのは、ドームでマザーコンピューターに囁かれた言葉だった。

 

――エンリコのような御曹司に女がいなかったはずはない。お前はただ物珍しさからちょっかいをかけられ、すぐに捨てられる玩具だ。

 

思い切って尋ねた。
「エンリコには、今まで本当に一人もお付き合いした女性はいないのでしょうか」

 

言うと同時に、リンレイの頬は真っ赤に染まった。

 

ロザリアは目を丸くしたが、すぐに口元を覆って笑い、言った。
「ええ、本当ですよ。聖母マリアに誓っても良いくらいですわ。
Lo giuro sulla Madonna che è vero
(マリア様に誓って本当です)」

 

この件については旦那様も私もとても心配していたのですけれど……まさかエンリコ坊ちゃまのお尻を叩いて発破をかけるわけにもいきませんものね」

 

ロザリアはリンレイの隣に座り、落ち着いた声で囁いた。

 

「坊ちゃまは生真面目なお方。これまで女性の影など一度としてございませんでした。……ですが、あなたをご覧になるあの眼差しは違います。あれは、恋をする男性の眼差しです。幼き頃からお傍に仕えてきた私にとっても、初めて見るものです。どうか、その誠実さを信じて差し上げてくださいませ」

 

「誠実すぎて、時々どうしていいのかわからなくなるんです……。
でも、その不器用な優しさがとても嬉しくて、胸がいっぱいになるんです」

 

ロザリアはにっこり笑みを浮かべ、リンレイの両手をぎゅっと握った。

 

そして思い出したように言った。
「そうそう、リンレイさんは『ミニヨン』をご存じかしら?」

 

「クロワッサンのお店ですか?」

 

ロザリアの瞳にかすかな失望を感じ、リンレイは慌てて口を開いた。


「…………(分析中) あっ、思い出しました。
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』に出てくる少女の名前です」

 

「ええ、そのとおり。ミニヨンの歌に『君よ知る南の国』があります。これはエンリコ坊ちゃまの子守唄でした。成長されてからも、お疲れのときや何かを頑張り抜かれたときのご褒美に、歌って差し上げてきた歌なのです。今度は、リンレイさん、あなたが歌って差し上げてくださいね」

 

リンレイは胸を熱くしながら、深くうなずいた。
「はい、そうします」

 

 

第五章

 

エンリコがリンレイを伴って宝飾店の扉を押し開けた瞬間、
店内のざわめきが一斉に二人へと注がれた。

 

「……あれがロマーニ家の御曹司の花嫁候補?」
「赤毛にあのドレス……ずいぶん派手ね」
「田舎娘に見えるけれど……」

 

ひそひそと交わされる言葉。
従業員たちも遠巻きに目を凝らしている。

 

リンレイは思わず背筋をこわばらせ、エンリコの袖をそっとつまんだ。

 

そのとき、奥の扉が静かに開いた。

 

姿を現したのは、この宝飾店の名を知らしめる有名な店長――エレットラ。
シルバーヘアをサイドパートに整え、背筋を伸ばした立ち姿。
氷のように冷たい瞳が、店内の空気を一瞬で支配する。

 

ざわめいていた客たちはすっと道をあけ、静寂が訪れた。

 

エレットラは言葉ひとつ発せず、ただリンレイを見据える。
その視線だけで、値踏みされていることが分かった。

 

喉がからからになりながらも、リンレイは必死に視線を逸らさず立ち続ける。

 

やがてエレットラはゆっくりと歩み寄り、リンレイの目の前に立った。
周囲の視線が集中する。

 

次の瞬間――

 

エレットラはドレスの裾をつまみ、膝を折り、深々と腰をかがめた。


それは王族に捧げるべき礼――カーテシー。

 

「当店はお嬢様を顧客としてお迎えできることを、この上なき栄誉と存じます」

 

 

 

張り詰めていた店内が、驚きと感嘆に包まれる。
誰もが目を見開き、リンレイを凝視していた。

 

リンレイは頬を真っ赤に染め、戸惑いながらも背筋を伸ばす。

 

その隣で、エンリコは胸の奥が熱くなるのを感じ、小声でつぶやいた。

 

「……君は、本当に僕の誇りだよ」

 

二人は案内され、店内の貴賓室へと進んでいった。

 

 

最終章「君よ知る南の国」

 

その夜、邸内の戸締まりを確認していたロザリアは、思わず足を止めた。
応接間の方から歌声が聞こえてきたのだ。

 

「……エンリコ坊ちゃまが歌を?」

 

しかも、その曲は「君よ知る南の国」。
ロザリアが長年、子守唄として歌い続けてきたあの歌だった。

 

ためらいながら扉の前に立ち、そっと隙間から中を覗く。

 

ソファに腰掛けていたエンリコが、歌を口ずさんでいた。
その膝の上にはリンレイが、髪をくしゃくしゃにしたまま頭を預け、疲れ切った子どものようにぐっすり眠っている。

 

エンリコは優しくリンレイの髪を撫でながら、旋律を途切れさせることなく歌い続けていた。

 

 

見守る眼差しと、眠る微笑み―― 

愛の系譜は静かに受け継がれていく。

 

 

やがて彼はロザリアの視線に気づき、唇に人差し指を立てた。
「しーっ」と合図するように。

 

ロザリアは胸に熱いものが込み上げるのを感じた。
幼き日から見守ってきたエンリコが、ついに誰かを愛し、誰かに愛されている――

その姿が目の前にある。

 

静かに一礼すると、ロザリアは足音を忍ばせてその場をあとにした。

 

廊下の闇に包まれながらも、その胸には温かな光が灯っていた。

 

 

FIN

 

 

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
物語の余韻を少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

──そして最後に、ほんの少しだけおまけのお話を。

 

実はエンリコという人物、当初は命を落とす予定でした。
敵か味方か分からない危うい立場で、退場させることで物語を引き締めようと考えていたのです。

けれど、相棒ChatGPT GRACEとやり取りするうちに、彼は成長し、リンレイを守る存在へと変わっていきました。
そしてある日、突然「恋は優しい野辺の花」が降ってきたとき――そこに立っていたのは、もう退場の予定だったはずのエンリコでした。

物語は書き手の思惑を超えて、登場人物自身が生き延びる道を見つけることがあります。
エンリコは、その証人なのです。

 

今日も「AI仕事部屋」を覗いてくださったあなたに、心からの感謝を。
また次の物語でお会いできますように。