こんにちは。

欠かさず読んでくれている皆さん、本当にありがとう。

 

「『大人』こそ近現代史を」(『本』 → http://hon.kodansha.co.jp/、講談社、1996年11月号)の続きです。

 

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■日本の近現代史を学んでこなかったのは、むしろ「大人」の側なのではないか

 

歴史と否応なく向きあう最初の機会が大学受験だという事情は、現代の「大人」にとっても同様でした。

 

あの時代、私たちは果たして、近現代史を本気になって吸収しようとしてきたでしょうか。

統帥権干犯問題(海軍軍縮条約をめぐる政争)やら企画院(戦時統制経済のための政策立案機関)やら傾斜生産方式(有沢広巳発案の戦後経済復興計画)やら55年体制(冷戦に対応した国内政治の構図)やらについて、とにかく説明できるようにしておこうなどと考えていたでしょうか。

 

特殊な趣味の持ち主でないかぎり、そんなことはなかったはずです。

当時はまだ、近現代史がらみの入試問題はそれほど多いとはいえず、明治から大正時代ぐらいまではみっちりやっておくにしても、かなりの期間、「昭和史はまだ出ないナ」と思える雰囲気が漂っていました。

今や50万人以上の受験生を集めるセンター試験が、第二次大戦以降のいわゆる戦後史を第6問として独立させたかたちで出題するようになったのは、1992年からのことです(*注)。

 

*注(20160516) 近年のセンター試験(日本史B)第6問は配点が大幅に増やされ、第5問(明治時代が出題の中心)とともに、近現代史の総合問題になっている。

 

となると、一般的にいって「大人」が有利なのは、同時代を生きてきたという記憶と感覚しかありません。

 

ところが、これはこれでとかくデフォルメされやすく、日本の講和・独立後も沖縄が直接軍政下におかれたことになってしまったり(実際にはアメリカの施政権下で琉球政府設置)、吉田茂内閣の時から自民党が存在したとばかり思っていたり(1955年の保守合同=自民党結成は鳩山一郎内閣時)、はたまた田中角栄内閣がロッキード事件で退陣しちゃったり(事件発覚は1976年で三木武夫内閣時)……、記憶と感覚は鈍るばかりで、誤解と錯覚の増殖がひどいのです。

 

まず、「大人」の側が日本の近現代史をふりかえってみる必要がありそうです。

あの時代、私たちは腰をすえて近現代史を学ぶ意欲に乏しく、その機会も本当に貧弱でした。