表現が過激になるから、戸惑ったんだけど、
私は、私を、ちゃんと、障がい者として、扱おうと思う
障がい者っていっても、手帳貰えるとか、補助とかそういうレベルじゃない
私が思う、私の出来ないことを、障がいと呼ぼうって話だ
そして、それをケアしていこうって話だ
自分をバカと認める、の言い換えでもあるけど
障がいって呼んだ方がしっくりくる
私は、ADHDの特性があって、短期記憶がすごく苦手だ
夫からビール取ってって言われて
はーいって返事して
立ち上がってシンクいくまでに
息子から水とってーって言われて
はーいって返事して
夫のビールは忘れてる
…ねぇ、ビールは?って言われて
あ!!!って思い出す
これを、ほぼ、毎回、やってる
皿洗い中、次男に、ママ、ご飯温めてーって言われて
はーいって返事して
皿洗いを続けて
やっぱり忘れる
仕事でも、自分のボールペンをどこに置いたか忘れ、ファイルは忘れ、コピー機のなかに書類を忘れ、郵便に出す前の封筒を忘れる
忘れるというか、記憶出来ないのだ
これが、最近まで、自分を責める要因のひとつだった
育ての親である祖母が、
なんでこんなことも出来ないんだ、とか
ちゃんとやれ、とか
そういうクソなことを沢山私に言っていたので、
(そして父は仕事に逃げた、雑魚ぉ…w)
(私を否定することは無かったけど、私に興味も無かった。仕事に明け暮れる男が、ティーンエイジャーの女の子ことは、よく分からなくて当たり前なんだが。自分の娘のことがよく分からなくて、話題が仕事の愚痴しかないことに危機感を覚えないあたり、やっぱり、私の父も雑魚だしクソなのだ💩)
自分の持ってる特性を受け入れられなかった
他にも、私は倫理観が低い
時間も守れない
お金もすぐに使っちゃう
計画性がない
そんで、自己受容もなく自尊心もない
だから、上記の特性に向き合ってケアをする概念がない
親から大切にされてこなかったから、自分を大切にできず、
自分を大切にできないから、自分と向き合うことも意識しないとできず、
意識してもすぐには出来ない
びっくりするほど、色々ない
だけど、最近、私は、頑張ってる。
コミュニティーや友達に自分の内心をさらけ出すと、自分を受け入れられることに気づいた
もちらん、このコミュニティーは、私より精神が成熟している人たちが運営しているコミュニティーなので、ものすごく安全な場所だ
そこで、私は自分をさらけ出すことが出来た
そうしたら、少しずつ、
あーー、
私って出来ることも出来ないこともあって、
私に出来ることは他の人は出来なくて、
私に出来ないことは他の人が出来るから、
全然問題ないんだなぁって思えてきた
親が散々腹言ってきたことって、全部、意味なかったたんだなぁってね。
親が社会に怯えてウンコ行動をしてただけ
私の親も、また、歪んだ認知が原因の障がい者だった
私の親も障がい者
私も障がい者
人と比べなくて良い
障がいが無い私のことしか好きじゃなかった
障がいがあるって意識するだけでも、私は私と仲良くなれそうな気がするんだ
自分の存在と自分の機能を切り離して考えられるようになってきた