(その3) より
旅の3日目(インド2日目)は、アグラ観光です。
Four Points By Sheraton ホテル2階の部屋に泊まりました。設備は立派ですが、お風呂はありませんでした。シャワーのみです。

朝食に選んだものは、少しの固形物と、多量の流動食です。カレー味スープ・豆のスープ・ヨーグルトで充分でした。外国人観光客が宿泊するホテルですから、カレーであってもインド現地の辛い味はかなり抑えられていて、普通に食べることが出来てしまいます。

ホテル2階の部屋からの風景です。
緑の車体で黄色い屋根のオートリキシャー(自動力車)は、インドのタクシーです。日本人がもたらした人力車が元で、リキシャーと言われるようになり、近年エンジンが付いたのでオートリキシャーと言われるようになりました。
この日のホテルロビー集合時間は7:30でした。
いよいよ、今回のインド旅行のメイン・イベントというべき、 『タージ・マハル』 観光に向かいます。
【タージ・マハル】
今回の旅のハイライトです。スピリチュアルな視点で言うと『タージ・マハル』こそが、世界最強の『永遠の愛』のエネルギースポットなのだそうです。だからこそ、ここに来るために、このツアーに参加しました。
以下は、タージマハルに関する概要です。
ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、后ムムターズ・マハルのために22年かけて造った世界一豪華なお墓です。ヤムナー河畔にあり、ヤムナー川の200km上流にデリーがあります。
“マハル”は宮殿の意味で、“タージ・マハル”を言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」ですが、“タージ・マハル”は、“ムムターズ・マハル”の“ムム”が脱落して変化した呼び名だそうです。后の名前、“ムムターズ・マハル”は、后の出身地のペルシャ語では「宮殿の光」の意味になるそうです。

現地ガイドのバットさんが、みんなの入場券をまとめ買いしている時、同行の皆さんは日本人らしくロビーで待っていましたが、貢一はバットさんの後に付いていって、この部屋にあった満月のタージ・マハルの写真を撮っていました。

コブ牛さんがいました。ヒンドゥー教が栄えているインドでは、牛さんは聖なる動物なので、誰も牛さんの邪魔をしないどころか、牛さんは人間から餌をもらえます。なので、野良牛たちは都市部であってもどこにでもいます。
お猿さんもいました。観光客慣れしているので逃げないどころか、餌をくれる人間かどうかを観察しているようでした。
入場券売り場の所から、専用のピストンバスに乗り換えて、タージ・マハルに向かいました。真っすぐな道なのですが、速度を出せないように、左右から互い違いにバリケードが置かれていたので、バスはジグザグにゆっくり進みました。

ピストン・バスを降りて、入場門(左)を潜って、丸い屋根の見張り台(右)を過ぎると、右前方にタージ・マハルの南門が現れます。
天気は曇りでしたが、晴れると酷暑なので、観光にとっては最良の天候です。

茶色い砂岩でできた南門を抜けると、
白い大理石の 『タージ・マハル』 が眼前に現れます。
中心となる水路前は、観光客たちが写真を撮りたがるスポットですから、
順番に1枚だけとって移動します。
白亜のタージ・マハルは4方向のいずれから見ても全く同じに見えるよう
完全にシンメトリ(左右対称・前後対称)に造られています。
四隅に建つ、丸くて白い帽子を被ったミナレット(尖塔)は、万が一の地震の時、
廟を壊さないよう、外側に倒れる仕様で作られているそうです。

ガイドさんの説明を聞いた後、1時間の自由散策時間が与えられました。
白亜の廟(タージ・マハル)に向かって何枚もの写真を撮りながら進みます。
廟に入るには、入場券売り場で渡されていた“布の靴カバー”を履きます。
廟の中は撮影禁止なので、残念ながら写真は有りません。
廟の中心には、后ムムターズ・マハルと皇帝シャー・ジャハンの棺が並んで置かれていました。多くの観光客が一方通行で流れるタージ・マハルの中心で立ち止まるのは気が引けましたが、2分程立ち止まって祈りに集中していました。ここは、世界を救う 『永遠の愛』 のエネルギースポットなのですから。

タージ・マハルの廟は、南側から入って、北側へ出るようになっています。

ここで、暫く、ヤムナー川と、西側にあるアグラ城、そして世界中の観光客たちの様子を眺めていました。

廟の外側を半周して、南側に戻ってきました。
南門も、タージ・マハルの側から水路の先の見ると、とっても綺麗です。

世界中の観光客が集まっている 『タージ・マハル』 では、日本人以外は、ゆっくり、ジックリ時間を使って観光しています。
栗鼠さんが、木の上、芝生の上、そして観光客が通る通路にさえもいました。栗鼠さんはシバ神の化身です。
【尻尾に縞模様のあるシバ神の化身】

入場門の外は、日本の神社の参道みたいに、両側に観光土産店が並んでいました。陶磁器を売るお店がありましたが、団体ツアーなので、それらを眺めている時間はありません。ピストンバス(写真:右)に乗って帰ります。
バスを降りた時に、急に雨が激しく降り出しました。『タージ・マハル』 の観光が終わるのを待っていてくれたかのような雨の降り出し方でした。
【アグラ城】
ムガール帝国、第3代皇帝:アクバル(1542~1605)によって1565年に築かれました。アクバルは、インドの旧勢力であるヒンズーのラージプート族と提携することで、ムガール帝国を大いに拡張したのです。

雨が降ったりやんだりの天気でした。

写真:右の、枠で囲まれた四角い石は、お風呂と言っていたっけ? 確かな記憶ではありません。
背後の建物の入り口の上にある四角い小さな穴は、王様が帰って来た時、后が「花びら」を撒いて迎えるために造られた穴だそうです。
綾小路きみまろの話に象徴される日本人のオバチャンなら、その穴から、「もう帰って来たの!」とか言いながら、「花びら」ではなく「塩」を撒くことでしょう。

広場の中央にある穴は、雨を溜めるための穴だそうです。ヤムナー川沿いにあるお城とはいえ、ポンプのない時代ですから、必要だったのでしょう。

写真右は、謁見の間です。第5代皇帝、ジャー・ジャハンによって整えられたそうです。
写真の中央は、アグラ城から見える雨に煙った『タージ・マハル』の風景です。
5代皇帝シャー・ジャハーンは、3男の6代皇帝アウランゼーブによって、ヤムナー川越しに、后が眠っている『タージ・マハル』が見える、このアグラ城内のムサンマン・グルジュ(囚われの塔・八角殿・ジャスミンの塔)に幽閉されたまま、1666年に74歳で亡くなりました。亡くなった后の廟『タージ・マハル』を造るためとはいえ、ムガール帝国の財政を考慮しないお金の使い方ゆえに、息子によって幽閉されてしまったのです。
ここまでは、一般の観光ガイド本に書かれていることですが、今回の旅の現地人ガイドのバットさんが、バスの中で話してくれた、「ラージャスタン州」「マハラジャ」「ラージプート族」に共通する「ラージャ」ないし「ラジャ」をキーワードにすると、ムガール帝国の盛衰に関する明白な理由が分ったので、以下にまとめて書いておきます。
【6代皇帝アウランゼーブ】
アウランゼーブ(1618~1707)は、ラージプート族の宗教であるヒンドゥー教に対し強硬な姿勢をとったため、ムガール帝国は、急速に凋落して行くことになりました。
【ラージプート族】
インド西部にあるラージャスターン州に居住する民族であり、クシャトリヤ(王族・戦士)を自称するカースト集団。サンスクリット語のラージャプトラ(王子の意味)からきた言葉で、インドの正統的な戦士集団たるクシャトリヤの子孫であることを意味している。
日本でもよく知られている「マハラジャ」という単語は、マハー「偉大なる」ラジャ「王様」という意味であり、マハラジャのラジャは、ラージャスターン州のラージャが元。
【ラージャスターン州】
インドの西側にある州で、州都はジャイプール。
ラージプート族の本地であるラージャスターン州は、イギリス植民地下にあって、独立を保った唯一の州。
独立を保てた理由は、ムガール帝国の盛衰理由にもなるけれど、2つの大きな理由があった。一つ目は、勇敢なクシャトリア階級集団であったこと。二つ目は、岩山から産出する石材や宝石、およびインドの伝統的産業である草木染の衣類生産を基礎とする強力な経済力があったこと。
ムガール帝国の皇帝たちは、ラージプート族と手を結び、ラージャスターン州で産出される石材を用いて「アグラ城」や「タージ・マハル」や「レッド・フォート」や「ジャマー・マスジッド」等の巨大建造物を作り、ラージプート族に富をもたらすことで、帝国の発展・防衛・維持をなしていたことになる。
以上で、アグラ観光は終わりです。
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