この時期のロンドンの日の出は7時頃です。夜が白み始めた頃に起きだし、ホテルの地下にある食堂でハムとチーズを挟んだパンとシリアルの朝食です。
イメージ 1
 2日目は、ロンドンの西200km程の所にある、温泉の語源となったバースを経由して、スピリチュアルなパワースポットであるグラストンベリーに行くつもりだったのですが、昨夜パディントン駅の自販機で往復運賃を見てみたら異様に高かったので、予定を変更してケンジントンにコーチ(長距離バス)で行くことにしてしまいました。
この日は薄曇りの晴れでした。
 地下鉄のサークル・ラインでヴィクトリア駅に行き、10分程歩いてコーチ・ステーションに着き、往復切符を2人分42.40£で購入しました。一人片道2時間半の行程が10.60£(1500円)ですから、日本とほぼ同じです。学生証を持っていたら更に半額になるはずです。
イメージ 2
 チケットはゲットしたものの、ケンブリッジ行き直近の出発時間まで40分もあったので、近所を歩いてみることにしました。日本では見られない荷車式のゴミ収集車や、王冠とERの文字が彫られた楕円柱の郵便ポスト(英国では、pillar-box=柱箱と言うらしい)を発見しました。ERはエドワード王ないしエリザベス女王が統治していた時代に設置されたものであることを示しています。他にVR(ビクトリア女王)とGR(ジョージ王)があるようです。
イメージ 3
 暫く歩くと、テムズ川に架かるチェルシー・ブリッジに出ました。観光客が来ることはない橋です。橋のたもとにあった茶色と白の門はランラー・ガーデンズという(軍用?)公園の出入り口です。
イメージ 4
 出発の10分前にコーチ・ステーションに戻り、有料トイレ(0.5£)で用を済ませて乗り込みました。最前列の席は障害者用として空いていたので、お母さんと二人でこの席に座りました。前が良く見えて最高の座席でした。
バスはビック・ベンのあるウエストミンスター・ブリッジからロンドン・ブリッジ付近まで、テムズ川北岸を東に向かって走りました。イメージ 5
ロンドン・ブリッジ付近で左折し、市内を北上し始めると、古い煙突形状の家屋が所々で見られました。
ロンドンの郊外に出ると、ケンブリッジ市内まで約2時間の間、両側は林ばかりで、集落らしきものは3回ほどしか見かけませんでした。人口密度の高い日本ではあり得ない状況です。
 市内に入ったバスは、対角線状に舗装された歩道のある四角い公園沿いのバス停に停まりました。
イメージ 6
 ケンブリッジは幾つもの大学が集まったこじんまりとした街です。
 17年前も来ているのですが、詳細なこと等覚えていませんし、市内の地図も用意していなかったので、すれ違う人にインフォメーションセンターの場所を尋ねながら、まずはそこに向かいました。ところがそこで2£で手に入れた1枚モノの地図は、古い地図を元にしているのか、道路の太さが実際とは違って象徴的な絵柄になっていたので、肝心なところが良く分からず使い物になりませんでした。なので鞄の中に没シュートです。
これって、17年前と全く同じだったことを思い出していました。進化していない(!)のです。というか、古い歴史ある街であることを示すために、あえてこの地図を用いているのでしょう。
イメージ 7
  最初に入ったのは、ケンブリッジの象徴として観光写真に使われているキングズ・カレッジです。ひとり9ポンドの入場券を買って、門をくぐると、緑の芝生が広がり、左側に学舎、右側にチャペルが真っすぐ連なっています。イメージ 8
 チャペルに入ると正面に絵画があり、中央にパイプオルガン、両側には漆黒の木製椅子や凝った木彫りの書棚のような家具が並んでいました。前方と側方は全てステンドグラスです。
イメージ 9
 側室には、チャペルの建設方法を示す模型が置かれていました。この高い天井の壮麗なチャペルを完成させたのはヘンリ8世だそうです。オスマン帝国の最盛期を実現させたスレイマンが、イスタンブールに自らの名を冠したスレイマニエ・ジャーミー(モスク)を、建築家シナンに銘じて造らせたのも1500年代です。当時の王様たちは、建物の規模や壮麗さによって覇者としての威力を示すことを競っていたのでしょう。
イメージ 10
 キングズ・カレッジのチャペルを出てから、ケム川沿いに歩いてみました。丸い石橋はクレア橋で、クイーンズ・カレッジの学舎を繋ぐ木製の橋は数学橋と呼ばれているそうです。数学的に応力計算した結果、最も簡単な構造として実現したのでこのように呼ばれているのかもしれません。
イメージ 11
 三角帽子の丸い建物はラウンド・チャーチと呼ばれる1130年に創建されたノルマン様式の教会です。円形の教会は、この教会を建てた宗教団体が十字軍の影響を受けたことを示しているそうです。他の円形教会と言えば、『ダヴィンチ・コード』の舞台として登場したロンドンにあるテンプル教会があるそうです。
イメージ 12
 中折れの平凡な屋根の教会は、St Giles Churchと言うそうですが、ガイドブックに掲載れていない教会なので詳細なことは今も分かりません。この教会と道路を挟んで左隣にある民族博物館は、なぜかよく記憶に残っていました。
イメージ 13
 学生たちが集まってお喋りをしていた Fitzbilliesというお店で、通りに面した椅子に座り、3種類のパンとカフェラテを注文しての昼食です。
 通りの様子を見ながら、自転車の多い街であることに気づきました。学生が主体の街なので当然といえば当然ですが、日本と違うのは、どの自転車も盗難防止用の太いチェーンで留められていることでした。
 この後、街の中心にあるグランド・アーケードという商業施設に行って見ました。前回は興味なしということでここには来なかったのですが、今回ここに来てみて、「これじゃあ、学生の街ではなく、放蕩学生の街になっちゃうじゃん」と思ったものでした。明らかに近年新築されたらしい、3階建てモール仕様の複合店舗が出来ていたのです。ケンブリッジという学問の街の中心にある施設としては、全く相応しくなく気に食わなかったので一枚も写真に残す気はありませんでした。しかしこれはケンブリッジの変質を示す重大な事実です。
イメージ 14
 この後は、ケンブリッジらしい風景の写真ばかりを撮っていました。
 バスの出発時間の午後5時前に、シドニー・ストリートで大きなスーパーマーケットを見つけたので、パンやチョコレートや飲み物を買い込みました。帰りのバス内で食べる夕食分です。
イメージ 15
  ロンドン行きのバス停には、インド人学生らしい男性2人と、東洋人観光客らしい女性を含む5人だけが乗り込みました。平日とはいえ意外なほどの少なさです。
 発車して間もなく真っ暗になってしまったので、お母さんは寝てしまいました。貢一は『シナン』という小説の続きを読んでいました。
 ビクトリア・コーチ・ステーションに着いたのは7時半ころです。ビクトリア駅から地下鉄のサークル・ラインに乗りパディントン駅で降り、ホテルに戻ったのは9時前でした。お母さんはシャワーをして寝てしまいました。貢一はバスの中で『シナン』の上巻を読み終えてしまったので、下巻を読んでいました。面白かったので寝たのは多分3時頃でした。