年末年始、帰省最後の日の夜
おばあちゃんに
今日子どもたちが寝た後話そうよって言われたとき
やだなぁと思って、断ってしまった。
明日早いから、今日はもう寝るよ、って。
おばあちゃんは、20代前半で子どもを3人産んで
北海道の田舎で転勤する祖父について回りながら子どもたちを育てた
子どもたちが幸せになるためには
自分が正しい道を指し示さなければいけないって
思ってたみたいだ
離婚して実家に戻った母は、仕事を始めたので
私はそんなおばあちゃんに育てられたようなもので
私のことは末っ子みたいに思ってると
言っていたことがあった
ねぇ、
夏休みの工作でおばあちゃんが手伝ってくれた
紙ねんどの人形
すばらしい出来栄えだったよね。
(ほぼおばあちゃんが作ったから 笑)
だけど、ピンクのドレスをきたお人形の花かんむり
ピンクで塗ろうと思ってたのに
なんで黄色と青を交互に塗っちゃったの?
それすごい変だったよwww
私の部屋のカーテンを買ってくれた時も
知らないうちにピンクと緑のチェック模様を選んでくれてた
それ、微妙に変なんだよね…😂😂好きじゃない😂
知らないうちに決まっていた成人式の真っ赤な振袖
ありがたいんだけど
私ピンクがよかったんだよ…
なんでも聞かれる前に、だいたい決まってる。
って書いてて思ったけど
どれがいい?どうしたい?
って聞かれた記憶があんまりないな。笑
私は子どもの頃から人前で意見を言うのが得意だったけど
折り合いをつけるような話し合いは苦手だった
どうしても自分の意見を通そうとする
人の意見の綻びを見つけて突く
ディベートの授業は得意だった
あれは、小さな自分の「好き」
日常の自己決定を承認してもらう機会が少なかったことで
自分の意見が通らないと、自分を否定されているように感じていたからなのかもしれない
でも、おばあちゃんのこと
だいすきだったんだよ。
ダイナミックで、ユーモラスで、おしゃべりで
いつも家族の中心にいたおばあちゃん
孫と本気でテレビのチャンネルを争うおばあちゃん
ヒロが生まれた時は、私とハルが出かけてる間
80歳差コンビ!って言ってミルクを作ってお留守番してくれた。
健康のために、って毎日やってたEテレの体操
会話もままならないのに
テレビ体操のアナウンス完コピしたハルに
DVD送ってくれたね。
ラジオ体操のピアノの人が幅しげみさんっていう名前なの知ってる幼稚園児はきっと日本中でハルだけだったかもしれない🤣
一緒に体操して楽しかったね。
厚木に来ると、だんごのたかので
お団子山ほど買って
札幌まで持って帰って冷凍までしてたね🤣
子どもの頃、熱を出して学校を休んだ私に
パブロン飲みなさいって持ってきて、
これ、オレンジのラムネ?って聞いたら
そうだよ ってテキトーに言うから
ガリって噛んだの。めっっちゃ苦かったよ😂
学校から帰ってきたら
おやつにおにぎり作ってくれてたね
小学生のときから
大学生になっても
私のお友達はみんなおばあちゃんのファンだった
遊びに来たお友達にもおそうじの手伝いさせるのは私はちょっと嫌だったけど🤣
みんなにもおにぎり作ってくれたね。
大家族の台所を仕切っていたおばあちゃんの作るご飯は
いつも大量で もっと食べなさいっていう
食べない子だねっておこられたりする
そして
そんなにいらないって言ってるのに
すごい量のいろんなものを送ってくれるの
冷蔵庫に入らなくて
捨てるのも申し訳なくて
でも最後は食べきれなくて捨てなきゃいけない
結局冷蔵庫を買い替えた🤣
洋服もたくさん送ってくれて
毎年冬になると厚手のももひきを送ってくれて
私、ももひきはかないんだよって言っても
毎年送られてくる🤣
何を送ろうかな、これ喜んでくれるかなって買い物して、送る時間がおばあちゃんにとってしあわせな時間なら
ありがとうって言って、寄付すればいい
そこに罪悪感を感じるのはやめようと思った
私は、自分のために自分の好きなものを身につけたいし
自分が食べたいものを食べたい
それが伝わらなくても
たくさんつくる、たくさん送る
それだっておばあちゃんにとっては
愛だから
もういいか、そこ折り合わなくても
って思った
でもさー
おじいちゃんに買ってもらった思い出の服
大量に送ってくるのは反則じゃない?
あれはどーすればいいねん
着れないし、寄付できないし、捨てれないよ😂
世の中ではコロナで仕事がなくなった人がいて
そんなときに離婚して
あんた大丈夫なの、って
色々話したいと言ったおばあちゃん
国のお世話になるのがいいと思う って
たぶん生活保護のことだったと思うんだけど
おばあちゃん一押しの教員やめて
いろいろやっているフリーランスの仕事は
おばあちゃんにはわかりにくかったよね
私、お金持ちじゃないけど、
一応子どもと3人で暮らしていけるくらいには
お仕事もらえてるんだ。
でも、
なんでも根掘り葉掘り聞いてくるおばあちゃんと
話すパワーがそのときはなかったんだよなぁ
去年からはじめたハイテンションのお仕事も
テレビ放送を一緒に見ようかと迷ったけどやめておいたの
お正月の再放送も、言おうか迷ってるうちに放送日になっちゃった
昔近所に住んでいた知的障害のあるご夫婦を
日にちが変わっても洗濯物干しっぱなし
ああなってはいけない、というような文脈で
話していたおばあちゃん
あと かたわ って言葉も使ったりする
それは、偏見とか差別とかじゃなくて
その時代の人にとってはそういうものだったのかもしれないけれどさ
あっちなみに私は知的障害はないけど洗濯物外に干しっぱなしで2日たってたとか、そもそも干してなくて洗濯機の中でくさくなってたとかよくあるよ😂
私は、今自分が見ている世界を
大切にしているものを
ちょっと記憶があやふやになってきたおばあちゃんに
説明できる自信がなかったのかもしれない
自分が、大事にしているものを
わかってもらえなかったら嫌だなぁって
思ったのもあったかもしれない。
だけど、
どうせわかってもらえない とか
この人はこういう風に思うだろう とかって
勝手に決めつけてたのは私の方だよなぁと思っていて
ハイテンションのお仕事でね、
この間、子どもたちと粘土でお菓子を作ったの
作るのが難しそうだな、って子の分を
私は代わりに作ってしまったのだけれど
一緒に働いてるスタッフさんはね
あっ◯◯くん、握れるかな?って
粘土、渡してた。
ちょっと歪な形のカップケーキ
でも、代わりに作っちゃうのよりずっとずっとステキだった
コミュニケーションを取るのが難しい利用者さんに
◯◯さんはこういうのは好きですか?って
私はついついスタッフに聞いてしまう
でも、だいたいいつも答えは決まっていて
本人に聞いてみてくださいって言われる
それで、聞いてみると
ちょっとうなづいてくれたり
嫌な時は耳を塞いだり
それぞれに、それぞれの方法で答えてくださる
勝手に、
無理かも
できないかも
伝わらないかも
そう考えているのは、いつも私の方で
だから、おばあちゃんとも
やっぱりあの日、話せばよかったよね。
それは、おばあちゃんに最後にもらった
宿題だと思って、私は生きていくね。
伝えようとしないのは
怠慢だ。
いっぱい楽しかったなぁ
たぶん、私がこれまでの人生を
一番長い時間一緒に過ごしてきたのは
おばあちゃんだったと思う
旅行もたくさんしたけれど
思い出すのは、日常の中の
何気ないやりとりばかり。
若い頃のおばあちゃん
3歳の時によくやっていた遊びを書いた師匠
死んじゃった…いや、その通りだけど🤣
お葬式で 大ばあがいつ起きるかわからないから怖いと言っていたハル
自閉っ子お葬式体験記はまた別に書こう…
ハルの喪服がなくて駆けずり回ったり
お坊さんの読経とタイマーがコラボしたり
まぁいろいろあったよね。www
みんなで一緒に行けて、よかったね。
おばあちゃんとの思い出











