ああ、今日は母の誕生日だ、生きていたら・・・。

さて。神社仏閣シリーズ、

今日で最終回です。

最後に書きたかったのは、

参拝の作法でも、ご利益でもありません。

そもそも、なぜ日本には、

これほどたくさんの神社やお寺が残っているのか。

考えてみれば、すごいことなんですよね。

何百年、場所によっては千年以上、

人がそこへ行き、手を合わせ続けてきた。

なぜなんだろう。

もともと日本の信仰は、自然と近かった。

古くから人々は、

山。森。巨木。岩。海。川。

そうした自然の中に、

人間を超えたものを感じてきました。

だから、最初から立派な社殿があって、

そこに神様がいた、という話だけではないんです。

自然そのものを畏れ、恵みに感謝し、祈った。

自然は命を与えてくれるけれど、

同時に、地震も起こす。洪水も起こす。

嵐も来る。人間には、どうにもならない。

だから昔の人にとって祈りとは、

今よりずっと切実な、

自然と生きていくための行為でもあったんだと思います。

そして日本では、神と仏が長い間、一緒にいた。

仏教が日本に伝わったあとも、

日本人は「神様か、仏様か、どちらかにしなさい」

とはならなかった。

むしろ、神と仏を結びつけて考えていった。

これが、神仏習合です。

神社のそばにお寺があり、お寺の中に神が祀られる。

神と仏を重ねて理解する考え方も生まれました。

今の感覚からすると、かなり自由です笑。

ところが明治時代になると、神仏分離によって、

神社と寺院を明確に分ける政策が進められました。

つまり、私たちが今、「神社とお寺は別のもの」

と当たり前のように見ている風景も、

長い日本の歴史から見れば、

それほど単純ではないんです。

ここが、私はすごく面白い。

では、なぜ人は祈り続けたのか。

昔の人だって、祈れば必ず雨が降るわけではないことを、

知っていたはずです。病気が治らないこともある。

戦に負けることもある。大切な人を失うこともある。

それでも、人は祈ることをやめなかった。

私は、ここに神社仏閣の本質のひとつがある気がしています。

人間には、自分ではどうにもできないことがある。

その前で、ただ絶望するのではなく、

手を合わせる。そして、もう一度生きる。

祈りとは、何かを叶えてもらうためだけのものではなく、

どうにもならない世界の中で、

人間が自分を立て直すために生まれたものでもあるのではないか。

私はそう思っています。

だから、千年経っても、人は神社仏閣へ行くのかもしれない。

科学が進んでも、スマホを持っても、AIまで登場しても、

人間には、どうにもならないことがあるから。

そして、目には見えないものに、手を合わせたくなる瞬間があるから。

神社仏閣とは、神様や仏様がいる場所であると同時に、

何百年、何千年という人間の、祈りの歴史が残っている場所。

そう考えると、見え方が少し変わります。

そして、その長い祈りの歴史を辿っていると、

不思議なくらい何度も現れる存在がいる。

水。雲。雨。天。そして、龍。

なぜ、実在するかどうかもわからない龍が、

神社にも、お寺にも、日本美術にも、

これほど残されているのか。

そしてなぜ私は、龍を描き続けてきたのか。

神社仏閣を辿った先で、

結局ここへ戻ってきてしまいました笑。

ということで、次のシリーズ。

「龍の正体。」ここからは、

歴史と美術と信仰、そして私自身の体験も重ねながら、

龍を追いかけます。神社仏閣の秘密。

これにて終了。

祈るという行為を、昔の人だけのものだと思ってはいけない。

私たちもきっと、形を変えながら、今もずっと祈っている。

そうそう、ラストスパートプログラムそろそろ締切ます。

それと10月から新年鑑定応募はじまるのでサロンへはおはやめに!笑

 




 

12星座別の詳しい占いもあるのは