今日は少し深めの話です。悟り系かもしれません。

 

このストーリーの中をこのように肉体を持って今いるということは、ストーリーの中での自我、エゴというものと関係が深くあっているわけです。

 

多くの地球の人たちは、この自我という、「わたし」というキャラクターを使って遊んでいるわけです。

 

ですから、悟りを求めていくという究極の場面に入っていくとき、最後の最後に残る恐れというものがあるとすれば、この今日のテーマのような「自分が消えていく」とう恐怖です。

 

 

この恐怖は脅されるとか、そのようなものではなく、人間としてキャラクターを生きるときに最後の最後まで残るものです。

 

だから、人々は暗闇を怖がったりするのです。暗闇という場面では自分自身の存在が見えなくなっていきます。

 

多少なりとも、自分が消えるという場面と少しにています。

 

「空」というものは、この暗闇と似ている感覚があるのもその理由です。

もちろん、「空」に暗闇も明るさもなにもありません。

 

 

認識できないから「空」なわけです。笑

 

ただ、自分という自我は、いつもいつも自分自身の位置、自分自身のいる場所、自分自身の安定をしっかりはかりながら、恐れおそれ前に進もうとするのです。

 

ですから、自分自身が不安定になる事をとても嫌がるわけです。

 

死というものが、自分が消えることであるという不安から死というものを恐れるのは、当然であるといえるでしょう。

 

しかし、自分が消える恐れは最高の恐れであると同時に、最高の祝福でもあるのです.

 

 

というより、本当は最高のものであるのです。ただ自分というエゴにとっては最悪のものになるので、どうしても歓迎できないのかもれしません、

 

瞑想も深く入っていくと、自分がわからなくなるときがあります。

 

その自分の位置がわからないところで、消えそうな場所で、どこまで居られるか?

それは、瞑想そのものの喜びでもあり、極まっていくところかもしれません。笑

 

 

 

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