今日は瞑想についてです。
瞑想を行うという、行いを止める事が瞑想かもしれません。覚醒している聖者と祝われる人達は、「 いまここ 」この瞬間しかありません。と言います。
この本当の意味は、「 いまここ 」この瞬間にしか 気づきの意識、観照意識に気づけない事を意味します。
気づいている、この瞬間こそが、いまここであり、 気づいているこの瞬間に落ち着かせる事が瞑想となる と言っても良いかもしれません。
もちろん、瞑想を今から行うという 自我の働きがダメという事ではなく、それは方便として、その流れはあっただけです。
最後は悟り的に言えば、それを思っているのは、自分ではなく、浮かんて来たものだけなのです。
最近は、体感として、サロンでもこのような話をしてもわかってきている人も多いので、とてもうれしく思います。
このような本質的な話というものは、シフトが進んで、少しでも体感がある人となると、とても共感できるものとなります。
アセンションの時代は、そのような体感を得ることは、そんなに難しくなくなってきています。
だれでも悟りに入れます。 入りやすい時代になってきつつあるのです。
kuの場合は、瞑想となると、外側も内側もなく、小さな点のようにエゴが溶けていくような感じになり、全体となります。
ここ最近は、さらにそれが日常でも深くなってきつつあります。
今日のような記事は、言葉というより、この波動を感じていただければ善いのかな?
と思います。
全体の中に浮かぶ、タスペトリ―のような、現れを 観察しながら人それぞの瞑想は進んで行きます。
いや、そうなればとても良い具合かもしれませんね。
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